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【長編小説】暮れなずむ秋と孤独な狛犬の歌 #18

10月5日(土)――(3)

「アキ! おはようっ!」
 山道を登って鳥居をくぐると、少女がいつものように僕を出迎えてくれた。
 昨日までと変わらず、少女は夏用の制服とアニメ絵のお面を身に着けている。
 初めて会った日は、そのお面の所為で雰囲気ぶち壊しだ、と思っていたのだが。こうして日の高い時間帯に会うと、どこか浮世離れしている雰囲気があると認めざるを得ない。少女だけが異界から切り取られてきたかのような、奇妙な不一致を感じるようだ。僕が少女をただの人間か、或いは『本物』なのか見分けられなかったのは、この独特な雰囲気によるところが大きい。
「おはよう」
 頭を切り替え、僕もいつもと変わらない調子で挨拶を返した。
 一度荷物を下ろすために社殿に向かう僕に、少女はくるくると踊るように付いてくる。
「いつにも増してご機嫌だな」
「えへへ。だってアキが、日の高いうちから来てくれているのだぞ。嬉しいに決っているではないか」
「……ふうん」
 にやけそうになる口元を抑える。
 けれど、それだけだとなんだか負けたような気分になって、僕は、
「僕も、コマと過ごす時間が増えて、すごく嬉しいよ」
と言ってやった。
「ふへ?!」
 すると少女は素っ頓狂な声を上げて、その場に立ち止まってしまった。
「……なんだよ。気持ち悪がるなよ」
「き、気持ち悪がってなどない!」
 そうではなくて、と言いながら、少女は小走りに寄ってくる。
「アキがそんな笑顔を見せてくれるとは思ってなくて、びっくりしたのだ」
「……」
 笑顔が似合わないということだろうか。
 それはそれで、失礼な話である。
 これでも、少女の前ではだいぶ自然な表情でいられるようになってきていると思っていたのだけれど。どうやら僕の自覚している以上に、僕の目付きの悪さは人相に影響しているらしい。
「だけど」
 少女は僕の前に回り込みながら、言う。
「アキの笑った顔、ワタシは好きだな。柔らかくて温かい感じがする」
「……」
 他人から笑顔を褒められたのは、初めてだったかもわからない。
 そんな言葉を予想だにしていなかった僕は、きっと気が動転していたのだろう、少女の言葉を素直に受け取ることはできず、
「そんなこと言って。目当てはこの弁当なんじゃないのか?」
なんて、茶化すようなことしか言えなかった。
 切実に、少女の素直さが羨ましいと思う。
「お弁当も楽しみだが、そんなに卑しくはないぞ。ワタシは由緒正しき狛犬なのだからな!」
「はいはい」
 社殿前の階段に荷物を下ろし、一息つく。
「しかしアキ、今日はやけに大荷物ではないか? そんなにたくさん食べ物があっても、二人で食べきれないぞ?」
「これ全部が食べ物なわけないだろ」
 そうじゃなくて、と言いながら、僕はリュックサックに入れてきたものたちを取り出す。
「コマは犬だから寒さには強いんだろうけど、見てるこっちが寒そうだからさ。これ、良ければ使ってほしいなと思って持ってきたんだ」
 小豆色のカーディガン、黒色のマフラー、よくわからないキャラクターもののひざ掛け。
 これらは全て、寒さ対策用に家から持ってきたものである。
 だけど、僕の私物というわけではない。マフラーとひざ掛けは母さんのものを拝借してきたが、長身の少女に母さんのカーディガンは小さいだろうと思い、それだけは兄さんのものを選んできた。
「え、でも……。これは、アキの、その、ご家族のものなんじゃ……」
 それは傍目にもわかりやすかったのか、少女は遠慮がちに言った。
「……着る人がいなけりゃ、捨てるしかないんだよ」
 思い出すのは、お盆の頃。
 葬式以来、数ヶ月ぶりに集まった親戚たちは、とにかく遺品の整理をしたがった。ばあちゃんは高齢で大きな荷物の整理は難しいし、僕はまだ中学生で、その辺の判断はできない。
 動ける大人が居るときに整理してしまったほうが良いでしょう。
 そんな言葉でねじ伏せられ、家からいろんなものがなくなった。
 母さんが大切にしていた着物も。
 父さんがたまに着る上等なスーツも。
 兄さんが買ったばかりだと言っていた自転車も。
 全部、親戚たちが「だって、使う人が居ないなんて勿体ないだろう。大丈夫、大切に使うから」なんて口々に言って、次々とこの家から持ち去って行った。そして同時に、彼らにとって不要なものは躊躇なく捨てられていった。これは高く売れるとかどうとか、彼らにとっての基準はそれだけしかなかった。
 遺品整理をしてもらっているということもあり、僕がそれに口出しすることは叶わなかった。だってこの家に、故人のものを使える人間は居ないのだ。母さんの服をばあちゃんは着ないし、父さんの服は僕にはまだ早い。自転車だって、僕には中学へ進学するときに買ってもらったものがある。
 しかし、果たしてそれだけの問題だったのだろうか。
 それが今でも心にしこりを残している。
 僕は、僕の目の前から思い出を引っ剥がされているような気がして。
 それが、たまらなく嫌だった。
「良かったらコマに使って欲しいと思ったんだけど――」
 それに、もしもみんなが生きていたら。この少女の話をすれば、きっと僕と同じようにしていたと、僕は思う。
 だけど、それがどうしたというのだ。少女からすれば、これは僕の押し付けにしかならないだろうに。
「――迷惑な話だったな。悪い、忘れてくれ」
 よくよく考えてみれば、当たり前のことだった。
 故人の服を、誰が好き好んで着るというのだろう。あまりに浅はかな考えだった。僕は急いでカーディガンたちを回収しようと手を伸ばした。
「待って」
 しかし。
 伸ばしたその手は、制止の声と共に掴まれてしまう。その力強さと言ったら相変わらずで、やすやすと振り解けるものではない。
「これ、ワタシのために持ってきてくれたのではないのか?」
「別に、無理して着る必要は――」
「無理などしていない」
 僕の言葉をぴしゃりと遮って、少女は言う。
「ワタシのためを思って持ってきてくれたものが、迷惑なわけないだろう」
「……良いのか?」
「それを訊くのは、ワタシのほうじゃないか?」
 苦笑するような息を漏らし、少女は続ける。
「アキ。このカーディガンたち、使わせてもらっても構わないだろうか?」
「……うん」
「ありがとう」
 少女はそう言うと、僕から手を離し、カーディガンにするりと袖を通した。兄さんの小豆色のカーディガンは、少女によく似合っていた。
「ん。あったかい」
「……そっか。それは、良かった」
「マフラーとひざ掛けも、あとで使わせてもらうな。ありがとう、アキ」
「……うん。どういたしまして」
 格好のつかないかたちになってしまったが、ひとまずは良かったと安堵しておこう。これで少女の防寒対策はできた。そう思うと、僕の身体まで温まるようだった。
「ところでアキ、ずっと気になっていたのだが――」
 少女はマフラーやひざ掛けが置かれている場所を指差しながら、言う。
「それ、なんだ?」

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