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【長編小説】暮れなずむ秋と孤独な狛犬の歌 #27

10月6日(日)ーー(2)

「おはよう! アキっ! おはよう!!」
 すっかり慣れた足取りで山道を登り、神社の境内に入る。
 僕の姿を認めるや否や、少女はぴょんぴょんと飛び跳ね、ぶんぶんと手を振りながら僕を出迎えてくれた。狐面は昨日と変わらず少女の顔を覆っており、黒色のマフラーと小豆色のカーディガンは、夏服の少女をしっかりと温めているようである。
「おはよう」
 それを見ただけで、ここへ来るまで抱えていた不安感が少し和らいだ気がした。
 僕は少女の意見を尊重したいと思う。だからこの先、少女がどう結論を出したとして、頭ごなしに否定するような真似はしたくない。先のことよりも、まずは今このときを大切にしたい。目先の問題を先送りにしているだけと言われればそれまでだが、どうしても先を急ぐ気にはなれなかった。
「昨日はよく眠れたか?」
 荷物を社殿前の階段に下ろしながら、僕は尋ねた。
 今日も狐面を付けているということは、目元が腫れたままなのだろうか。或いは、寝不足でできた隈を気にしているのかもしれない。よくよく考えてみれば、こんな場所で安眠なんてできるものではないだろうに。
「ああ、ぐっすりだったぞ!」
「マジでか」
 しかし少女は、僕の想像とは真逆の回答を口にした。
「マジでだ。この神社の中は意外と快適で、普通に寝られるぞ?」
「へえ……」
 ちらりと横目で社殿を見る。
 十数年前から地元民でさえほとんど寄り付かない、寂れた神社。手入れがされていないのは、その外観からも伺える。外側でさえこうなのだから、中はもっと酷いことになっているのではないだろうか。
「そういや気になってたんだけど、この神社、鍵かけられてなかったか?」
「ああ。確かにあったな」
「あれ、どうしたんだ?」
「ぶっ壊した」
「ぶっ……?!」
「あっ、違う、違うぞアキ!」
 少女は両手をばたばたと振り、慌てて否定する。
「ここの鍵、もともとすっごく錆びついていたのだ! だから持ち合わせの工具をちょっと使ったら、あっさり壊れてだなっ?! 決して素手で壊したわけではないぞ?!」
「ああ、工具……工具を使ったんだな……」
「当たり前だ!」
 遺憾の意なのだ、と言いながら腕組みする少女。
「とはいえ、神社の鍵を破壊して、あまつさえそこに居座っているのは事実だ。これが悪いことだという自覚もある。……しかしこの神社、本当にアキ以外に誰も来ないから、管理している人もわからないのだ。ワタシは誰に謝れば良いのだろうか」
「それは僕もわからないなあ……」
 少女と同じように腕組みをして考え、僕は言う。
「まあ、謝りに行くときは、僕も一緒に行くからさ」
「えっ、あ、ああ、ありがとう?」
「わかりやすく動揺するなよ」
「いやだって、鍵を壊したのも、神社に居座っているのもワタシだけだから……」
「僕だって昼間はこうして一緒に居座ってるんだ、共犯みたいなものだろ」
「……えへへ、そうだな」
 そう言って、少女は微笑んだ。それと共に歪む顔の痣も、昨日よりはだいぶ良くなってきているようだ。痛みはもうないと言っていたし、あとは徐々に治っていくと思いたい。
「さて、それじゃあ少し早めのお昼にするか。コマ、お腹空いてるか?」
「もちろんだ! ……あ」
 何度も首を縦に振った少女だが、なにか思うことがあったのか、ぴたりと動きが止まる。
「アキ、ワタシは重大な事実に気付いてしまった」
「な、なに……?」
 真剣味の増した少女の声音に、僕はごくりと生唾を飲み込み、続きを待つ。
 家出のことで、なにか思うことがあったのだろうか?
 それとも単純に、今日の弁当にリクエストができなかったことか?
 様々な可能性が一気に脳内を駆け巡る。
「あのな、アキ」
 ゆっくりと僕を見据えて、少女は言う。
「ワタシは狛犬ではないから、このお供え物は受け取れないのだ……!」
「え? コマさん?」
「いたいけな少年の夢を壊してしまって、本当にすまない……」
「同い年だろうが、なに言ってんだ。身長でそう言ってるなら、僕だって怒るぞ」
 まだ成長期前なのだ。今に見てろ、絶対に追い抜いてやる。
「あ、いや……」
 弁明しようとする少女を右手で制して、僕は口を開く。
「弁当をお供え物って言ったのは、そうでもしないとお前が食べてくれないかと思ったからだ。昨日も言っただろ、僕は最初から、お前が本物の狛犬じゃないってわかってたって」
「胡散臭い中学生、と思っていたんだものな」
「……」
 意外と根に持っていたらしい。
「でも、コマと一緒に居るのは楽しいし。そういうやつと一緒に飯喰いたいって思うのは、変なことか?」
「……変じゃない。でも……」
「それとも、一緒に弁当を食べたいと思ってるのは僕だけだったか? そうだとしたら、こっちこそ悪いことをしたなー」
「そ、そんなわけない! ワタシもアキと居るのは楽しいぞっ!」
「えー、でも今の流れだと、なんだか僕が言わせたみたいじゃないか?」
「違うちがう! ワタシはアキに会うのも、お弁当も、どっちも楽しみにしていたのだっ!」
 そこまで言ってから、つい本音が飛び出してしまった、という風に口元を押さえる少女。
 しかし残念、とき既に遅し。
 この両の耳で、一言も漏らさず聞き取った。
「うん。それじゃあ一緒に食べよう。んで、歌の練習をしよう」
 不敵な笑みを浮かべて言った僕に、少女は一瞬だけ苦虫を噛み潰すような表情を浮かべる。だが、次の瞬間には降参だと言わんばかりに肩を竦め、そうだな、と笑った。

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