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「表現する言葉の見つけ方」を教えてくれた人

朝の習慣を大切にしている人は多いかもしれない。朝ヨガだったり、散歩だったり、新聞は絶対に社説から読むとか、目玉焼きは半熟じゃなきゃいやだとか、波の有無をチェックするというのはサーファーあるあるかな。

私にも朝の習慣がある。なんてことないけれど、コーヒーを一杯いれることだ。コーヒーが好きということもあるけれど、なんと言うかコーヒーを入れる準備や時間が好きなのだ。

まだ起ききらない頭を抱え、肩のストレッチなんかをしながらキッチンへ向かう。やかんに8割くらいの水を入れて火にかける。早く沸いてほしいから火を大きくしたいと思う気持ちをグッと堪えて弱火にする。沸騰しても吹きこぼれが少ないからだ。

ペーパーフィルターを丁寧に折って整えてから、トイレに行って洗面所で顔を洗う。トイレから洗面所に向かう途中に、やかんの中で水がお湯に変わる音に耳をそばだてる。そうでもしないと顔を洗っている間にやかんを火にかけたことを忘れかねない。あれをやったらこれを忘れることが多いから、「おっちょこちょいのちょいたろう」なんてあだ名をつけたのは母だったかな。

コーヒーは同じ豆でも、いれた私のその日の気分によって味が違う。それが一種のバロメーターみたいに感じていて、そんなことを推し量るのもなんだか楽しい。私にとって朝の習慣とはそんなことだ。

そんな朝の習慣が、なんだか前とちょっと違う気がする。

それはすごく個人的な話で、例えばお湯が沸くのを待つ時間が前よりももどかしくなくなった。「早く早く」と急いていた気持ちがなんだかずっと落ち着いたものになっている。やかんを火にかけてから、少しやかんを見つめちゃったりなんかしている。前は一目散にトイレにいって顔を洗って、時間を無駄にしないように、「有意義な朝」を過ごせるように、ザワザワザワザワしていたのに。

実はその理由は明確で、ある人と仕事の話をした時に素敵な言葉をいただけたからなんだけど、そのことはあとでちゃんと書くからもうちょっと待ってほしい。この変化は自分の中でとっても嬉しいことで、だからもう少しだけ嬉しついでに聞いてほしい。


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もう一つ印象的な変化があった。

先日、私が住む人口6,500人の町の、その中でも小さい集落の学校で出前授業をした。六年生13人が、卒業制作の一つに集落のPR動画をつくるというので、移住者として外から見た地域の魅力を子供たちに話した。

私以外にも、漁業に従事する移住者、地域のコミュニティカフェを運営する移住者、Uターンで帰ってきた町出身者など、多様な「よそもの」がそれぞれの視点で集落の魅力を持ち寄った。

私は何を話そうかといろいろ考えた結果、動画には収めづらいかなりソフトな部分ではあるけれど、「地域が一つのチームのように機能する、町のつながりの魅力」を子供たちに伝えたいなと思った。

例えば、家の施錠を忘れて出かけたら泥棒の代わりに誰かが野菜を大量に置いていってくれたこととか、地域の学校の生徒が修学旅行先のホテルに無事着いたアナウンスが町内放送で流れることとか、道端で会った見ず知らずのおじさんから野草の食べ方を習ったりとか、隣に誰が住んでいるかもわからない都市部から来た私にとって、つながりとチームワークの中で生きられるここでの生活が、いかに楽しく尊いものであるかを、自分なりの表現で伝えたいと思った。

だから子供たちには一般的な話ではなく、しごく個人的なエピソードを話したのだけれど、冒頭の「朝の習慣」に感じた変化と同じ類のものを、ここでも感じていた。

なんと言うかその日の私は、話すべきことに迷子にならなかった。きっと以前だったら、「よし、面白い話をするぞ!」と意気込んで、ガチガチに緊張していたと思う。「派手な話」を用意してもなんだか上滑りし、本当の意味で「伝わる」ことはなかった気がする。

今回も事前にある程度の準備はしたけれど、直前になってカンペを見るのはやめようと思った。子供たちの顔を見ながら、自分が話したいと思う話をしようと決めた。

結果、子供たちは身を乗り出して聞いてくれたし、声を出して笑ってくれる子もいたし、質問に手をあげてくれる子や、驚いて目をまんまるくしてる子もいた。

「伝わった」と思った。

火にかけたやかんの前でゆっくりとお湯ができていく過程を聞いているような、そんな心持ちで子供たちと向き合うことができた。自分の言葉を紡ぎ、時間を共有することができた。そのことがとでも嬉しかった。

朝の時間も子供たちとの時間も、感じた変化は同じものだと思う。時間をどう過ごすか、「有意義な時間」とは何か、なにを伝えるか、「伝わる言葉」とは何か、そんなことにいちいち迷わなくなった。

そういうものは既に常に「持っているんだよ」ということを、私に教えてくれた人がいるからだ。ライターの中村洋太さんだ。


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やっとここで本題に入る。
前置きがとんでもなく長くて申し訳ない。

先日、中村洋太さんのライターコンサルを受けた。長い前置きで書いたことは、中村さんの影響が大きい。

大きいからその分感謝の気持ちもとても大きくて、感謝の気持ちが大きい分この記事も長くなっている。だから「しゃあないな」と思って欲しいし、私も「しゃあないな」と思って書いている。ついでに言うとコンサルを受けてから2週間も経っている。本当、しゃあないな。

前回の記事でも書いたけれど、コンサルを受ける前日から私はとても緊張していて、当日も朝からココロココニアラズだった。ソワソワついでに海まで散歩に行ったり、コンビニまで新聞を買いに行ったりもしたけれど、秋晴れのお手本みたいな空がなんだか私の心を急かすばかりだった。

それでも10時に中村さんからお電話をいただいてから、私の緊張は嘘みたいにするすると溶けていって、予定の時間を大幅に過ぎて、ライターとしての心得や経験、取材テクニックなどをお話いただいた。

インタビューのコツとか、仕事の取り方とか、ためになることを様々に色々と教えていただいたのだが、私はその中でも特に大切にしていこうと思ったのは「表現するものの捕まえ方」だ。本当に大切なことだと思うから、これはちょっともう手放したくないなと思う。

「表現するものの捕まえ方」とはつまり「自分を軸にした生き方」であるし、「自分と外の世界のつながり方」とも言えるかもしれない。あるいは簡単に「個性の出し方」と表現されるかもしれない。

表現はなんでもよくて、ライターとして、また普通に生きていく上でも、とても大切な心のあり方を中村さんは教えてくれた。ちょっと大袈裟と思うかもしれないけれど、本当にそう思ったのだからしょうがない。

中村さんがくれた言葉は、例えば次のようなことだ。

個性とは、自分の内側の、心の動きを出発点としたものをベースに表現する行為にあらわれるものだ。
「自分だから書ける記事」の本質は、例えばSEOのスキル的なことではなく、「自分がそれを書く意味を忘れていない」ということ。なぜ自分がそれに興味が向き、知りたいと思い、書きたいと思ったのか、そういうことを忘れず、そういうことを書く。それが「自分だから書ける記事」になり、個性になり、万人ではない“誰か”にささるものになる。
一般化する必要はない。「おすすめの本10選」ではなく「ベスト10」を書いていこう。

中村さんとの2時間を終えて、「あ、私はこういうことを言ってくれる人と出会いたかったんだ」と思った。滲み出たコーヒーみたくじわっと暖かい嬉しさが残った。中村さんの言葉にはそう思わせてくれるものが溢れていた。


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何か伝えたいことがある時、私はどうも自分が伝えたい世界を、他人が見たい(だろう)と思う世界に合わせてしまう癖がある。また例えば、空いた時間はゆっくり自分の好きに使えばいいのに、何かで聞きかじった「有意義な時間」を求めてしまいがちだ。

私はあらゆる理由や目的を自分の外側に置いてしまっていて、だからこそいつも、どこか定まらずソワソワして、全てに緊張していた。

だからだろう、書くことが怖かったし、緊張したし、億劫だった。書くこと以外の全てがそうだったかもしれない。私は全てに緊張していて、全てが億劫だった。

中村さんとのコンサルが終わった次の日の月曜日、ゆっくり入れたコーヒーを窓辺ですすりながら、冒頭の変化に気が付く。「自分がやりたいことをやればいい、書きたいことを書けばいいってよく言うけど、どうやればいいかまでは教えてくれないんですよね。」と中村さんが言っていたのを思い出す。

「書くべきことはいつも自分の内側にある。」中村さんはライターコンサルでそんな当たり前なことを当たり前のこととして私に教えてくれた。

「意義」も「理由」も「目的」も全部、自分の中にある。あるはずのない場所に求めるから焦るし、しんどくなってしまうのだ。そんなことにはっとする。「そういうもの」は常に既に自分で持っていたのだ。

個性ってなんだろう。自分らしさってなんだろう。恥ずかしい話だけれど、そんなティーンのような問いをずっといままでくすぶらせてきた。

でも例えば、世界を旅をしたり、田舎移住したりしても、それがいわゆる「個性」だとは思えなかった。旅も田舎移住も、ただ単にそれを選択したに過ぎず、条件が揃えば誰だってできる。「一見すると感じる奇抜さ」で「個性」をうそぶいたって、本質的な面白さとはちょっと違うよなとずっと思っていた。

でも「個性」ってそういうことじゃなかったんだ。

図らずも、中村さんが教えてくれたライターとしての心構えは、そっくりそのまま私のくすぶった思いに対するアンサーをも含んでくれていた。



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中村さんとお話してから、けれど実のところ書くことが習慣化したわけではない。書きたいことは山ほどあるのに、書けていないことがたくさんある。むしろ書きたいことは膨れ上がるのにアウトプットの量は以前と変わらず引き続きもんもんしている。私を取り巻く客観的事実は以前とたいして変わっていない。

でも心のありようは確実に変わった。それはとても良いことだ。

地球内部を流れるマントル対流。その流れが変わったら、ゆっくりとではあるけれど着実に地球表面の大地は移動をはじめる。移動の速度はおそらく問題じゃない。流れが変わったこと、それを認識し、地表が年に数センチでも移動していることを認めて、満足することが大切だ。そんなふうに今は思う。

コーヒーをいれた月曜日、小学校で授業をした火曜日、立て続けにいろいろなことがあって、立て続けにいろいろなことを感じた。何かを感じ入るたびに膨れ上がる内側のものが、「わーー!すごーー!わーー!」となって、それらをアウトプットするにはどうしたらいいのかを、中村さんにLINEで相談してみたことがある。

中村さんからは次のような返信がきた。

アウトプットは早い方がいいですが、人によっては1日寝かせて気持ちを落ち着かせてから書いた方がいいとかもあるかもしれませんね。
わーー!すごーー!わーー!

の状態だと、興奮が強すぎると思うので、すぐパソコンに向かうよりも先に長めに散歩するといいかもしれません。

全てのことに言えるけれど、自分に必要な具体的なスキルやティップスは、自分自身で掴み取って行くべきものだと思っている。ヒントやコツは誰かに教えてもらえるが、結局はなにをどうやるかは自分次第のところが大きい。

そういう具体的なDoの部分だけではなく、必要なDoを引き出すためのbeの部分と、そんなbeへの持っていき方なんかを、中村さんは教えてくれる。それがすごくありがたいし心地よい。

「アウトプットを早くするにはどうしたらいいか」という問いに「散歩をしなさい」と教えるライター講座はきっとちょっとなかなかない。

繰り返しになるけれど、だからこそ、「こういうことを言ってくれる人と私は出会いたかったんだ」と思う。そういう出会いが大人になると余計に嬉しい。


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まだ初回のセッションしか受けていないけれど、中村洋太さんのライターコンサルは私にとってこんなことだった。

まだ一本も記事を添削してもらっていないし、noteも書いてないし、SNSも更新頻度が低い。なんとやる気のない生徒かと思われているだろう。

それでも個人的には中村洋太ライターコンサルの一員として、日々、表現すべき言葉を見つけに内外を旅している。そういう気になっているだけかもしれないけれど、今日もゆっくり散歩なんかしながらそういう気を楽しんでいる。

今朝のコーヒーは少し苦かった。蒸らしのお湯がドバッとですきてしまったのが反省点。それでもポタポタと落ちる深い茶の液体を見ながら、自分のマントルが今日もしっかり動いているのを感じた。

今日も明日も明後日もやることはたくさんある。現実は待ってくれない。けれどみんな平等に時間は過ぎていく。だから焦らずじっくり過ごしてみたい。自分の心に手をあてながら、じわっと染み出してくるものを溜めながら、過ごしたいと思う。


(イラスト / Rikako Kai )



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