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セラピストの役割は良くすること『だけ』なのか。

昨日こんなツイートをTwitterに投稿しました。


TwitterやFacebookなどSNSでの発信を見ていると、当たり前といえばそうなのですが、いかに患者さんの訴え、症状を『改善するか』『良くするか』に重きを置いた内容が多いですよね。

それ自体はいいことだと思います。良くできるものは当然セラピストの仕事、使命として良くしてさしあげたい。悩みを解決してさしあげたいし、それができることが専門職としての技量だし、リハビリテーションの一員としての大事な役割だと思う。

先月(2021年2月)にPT協会の会長がYouTubeのとあるチャンネルに出演されていた時も、「理学療法士が介入したことで良くなった、というエビデンスをもっと増やす必要がある。レベルの高いエビデンスを作っていかないといけない」という趣旨の発言をされていましたしね。


そう、良くする。改善する。

これは大事なことで、これは患者さんも医療職もわかりやすい指標なんです。

痛みが良くなる。動きやすくなる。生活しやすくなる。仕事の不安がなくなる。etc・・・

これらのために日々向き合っているとも言えます。


話は変わって、私は理学療法士1年目、一番最初に入職したのが療養型の病院でした。

脳卒中発症後10何年。全介助。
認知症が前面に出ている。全介助。
寝たきり。家族とは音信不通。全介助。

そんな方々がたくさんいらっしゃる職場でした。

そうなると、良くなる患者さんはそういません。そもそも良くできるなら私が担当する前に、先輩方がすでに良くできているでしょう。

たまに亜急性期から転院されてくる方だって、相当症状が重く、改善が難しい、見込めない方が多かったのです。

そんな状況を見てきた私からすると、改善するばかりがセラピストの役割ではないと思うのです。


セラピストが介入することで日々、ほんの1ミリでも変化する。
日々悪くしないようにみんなで共同して介入する。
昨日笑ってくれなかった、挨拶してくれなかった患者さんが今日は挨拶をしてくれる。そんなことを職員みんなで喜ぶ。分かち合う。

そもそも人間は年を取ります。

ある年齢を境にして、衰えていくのです。

それに逆らってまで良くする、というのは人間の理想、希望ではあるけど、限界があります。

加齢という一次性の原因で起こったものは改善はしにくい。できない、と完全否定まではできないけど、難しいとは思う。

二次的に起こったものは高齢でも改善したり、何とか解決できることはありますよね。それはたくさんあると思います。


でも、良くする、改善する、という視点に拘り過ぎていないかな、と思うことが自分自身でもあるわけです。

日々衰えていく。

でも、それでも状態をできるだけ維持する。いつもと変わらない生活、状態を保つ。これはこれで大事なことだし、すごいことなんじゃないかなと思う。

それはセラピストの介入の力、醍醐味でもあると思う。『改善』と比べると派手さはないけど。
そしてリハビリテーションとして、多職種で共同して、患者さんや家族さんとともに、維持していく。これもセラピストの役割や介入の意義でもあるんじゃないかなと思います。


このツイート、反応は少ないけど私の中の真理が含まれていると思います。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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