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もう犬は飼わない

初めてひなに出会ったのは、私が小学4年生のときでした。
母と二人の姉たちと祖父母の家に向かう途中、
「見るだけ!」
と3人で母を説得して、飼わないことを約束しペットショップに立ち寄りました。
動物好きだった私は、いつか犬と一緒に暮らすことが夢でした。
膨らました風船を犬に見立てて『メグ』と名付け、友だちだと妄想して飼ってたくらいです。

ちなみに、幼少期の私には『つんく』というイマジナリーフレンドがいました。
いつ出現したのか正確な時期は定かではないですが、つんくがいなかったらあの頃の私はずっと淋しさを抱いていたと思います。
学校で起こった出来事、家族のこと、自分のことなど、いろんなことについて話して、その都度つんくは興味深そうに聞いてくれていました。
※シャ乱Qは無関係

「この子やったらいいよ」


ペットショップに戻ります。
現在の私は、”ペットショップ”という場所があまり好きではありません。
どうしても不憫に見えてしまって『かわいそう』と感じてしまうからです。
人間のエゴによって生まされて、窮屈な場所に閉じ込められて、価値を品定めされて……。
でもそのときの私にとっては、そこはまるで夢の国でした。
玉のような仔犬たちはどの子も可愛くて、一緒に暮らせたらどれだけ幸せだろうと想像するだけでうっとり。
「ちょっと見て!この子なんか可愛い!」
姉の指差した先には、生後2か月のビーグルの赤ちゃんがいました。
犬種こそ違えど、どの子も大きさはだいたい同じくらいでした。
でもそのビーグルを見たとき、なんかもう、理屈を超えて『身内だ』って思っちゃったんです。
見るからにやんちゃそうで店員さんを困らせているし、お行儀も悪そうだし、どうもお利口さんには見えないけど、何故か他人(他犬)の気がしなかったです。
でも見るだけって言ったし、小学生の私たちには飼うお金もないし、諦めるしかないか。諦めきれないけど。
今日はこの子の夢を見るだろうな。
そう思いながら3人で出口に向かうと、母がついて来ていないことに気が付きました。
店内を探すと母は、さっきのあのビーグルの入れられたショーケースの前に呆然と立ちすくみ、じーっとその子に見入っていました。
そしてひとり言を漏らすように、
「この子やったらいいで。あんたらがお金合わせて飼うなら。どうせお母さんが面倒みることになるやろうけど。でも、この子がいい

これまでの人生で起こった嬉しかった出来事にランキングを付けるなら、その瞬間は確実にベスト3に入ります。
初めて抱きかかえたときは涙が零れそうになりました。
小さくて、温かくて、弱くて、ちょっとおしっこの臭いが混ざったミルクの香り、柔らかい毛並みは…、これからたくさん抜けて大変そうだな。
母にパスして自分の服を見るとすでに、白と黒の無数の毛が。

――日本中で、いや世界中で一番幸せな犬にしよう。

私たち姉妹は貯めていたお年玉のほとんどを出し合い、その子を連れて帰りました。

自分のこと人間だと思ってる?


そうして我が家にやってきた犬は、『ひな』と名付けられました。
3月3日。ひな祭りの日に産まれた女の子。
その年の5月5日にうちにやってきて、それから私たちの生活はひなを中心に回っていたと言っても過言ではありません。
ひなは散歩中自分より小柄な犬にも怯え、私がしゃがむと膝の上に飛び乗るような臆病な子でした。
布団で寝るときも人間用の枕に頭を置いて、母や私たちと同じような態勢で寝ていました。
「自分のこと人間やと思ってんちゃうん」
それが家族の見解でした。
ひなの存在のおかげで家族間の喧嘩も長引かなくなり、もともとうるさい我が家は一層賑やかになりました。つんくはもう現れませんでした。

元は猟犬として飼われていたビーグルは食いしん坊で好奇心旺盛、人懐っこくてとても活発な性格。
例によってひなも、ビックリするほどの食欲と活発さを持っていました。
一時は太りすぎて、獣医さんにダイエットを勧められたこともあります。
育てるって、ただ可愛がって甘やかすだけじゃダメなんだな。
躾をして、掃除をして、健康管理をして…。命には責任が伴うということを知りました。
でも、当初の母の予想通り、ひなのお世話のほとんどは母がやってくれていました。

ひながやってきて最初の頃は、寝てるところを起こしてまで構いたがるほどの溺愛ぶりでした。
中学校に上がり高校生になると学校の友だちと遊ぶのが楽しくなって、ひなと遊ぶ時間は確実に激減していきました。
そのことに気付いてすらなかったです。
家に帰るってただいまのハグとキスは一応するけれど、その後は『遊ぼ!』と絡んでくるひなを振り払い自分のことに夢中でした。

大学生にもなると、ひながいるのが当たり前の生活になりました。
買ったばかりのウールのニットにひなの毛が混じることにうんざりし、
「もう!なんなんこれ!!」
と、理不尽に怒鳴りつけたこともあります。

愛してるのに


発覚したときには、もう治療の余地がないレベルの胃癌でした。
亡くなる数週間前から、自力で食べることも排泄することも難しくなり、
もう小屋には入れず、ひな用のソファをリビングに置いて
母が付きっきりで看病していました。

その頃の私は二十歳になったばかりで、交友関係が一気に広がりお酒も飲むようになり、毎晩のように遊び回っていました。
その日も、母からひなの苦しそうな写真が送られてくるまで
『生きるものはいつか死ぬ』
ということがとても非現実的なものに思えて、ひなが死ぬという実感を持てないまま慌てて家に帰りました。
電車の中。
『なんでもっとちゃんと愛してあげなかったんだろう』
悔し涙を流し、でも、私には泣く資格はない。
なんでお前が泣けるねん。
と堪えても無理で、車両内で泣き崩れてしまいました。

ひな


あぁ……、手が震えます。
一旦落ち着いて、感情を落ち着かせますね。


ひなは幸せだった
と思おうとしていたのは自分のためでした。そうしないと苦しかったから、都合よく解釈しようとしていたんです。
自分の罪深さに耐えられなくて、ぺしゃんこになってしまいそうだったから。
ひながいないこれからも、私は死ぬまで生きないといけないし。
だから”自分のために”楽な方で捉えようとしていました。

でも今こうしてひなに想いを馳せて書いていると、それはちょっと違うんじゃないかという気がしてきました。

『ひなは幸せだった』
そこは変わりません。というか、それで正解なんだと思います。
自分のために無理矢理そう思おうとしているのではなく、実際にそうだったんだと思います。
ひなに対する私の想いを封じていたようで、実はひなを私の悲しみと罪悪感の中に閉じ込めていたんじゃないかという気がするんです。

ひなと過ごした時間はもう二度と戻ってこないけど、だからって出会ったことを後悔するなんて、そんなの悲しすぎます。
生まれてこない方がいい命なんて絶対にない。そう信じたいです。

今もこれからも、ずっと、愛してるよ。



今日は綺麗事ばっかで読んでいても疲れられたかも知れませんが、
最後にもう一発、綺麗事を書かせてください。

これから出会う生き物とも、愛の気持ちで関わることのできる自分でいたいです🤍🕊️


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