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そこにある〝奇跡〟

日本でも人気が高い「マイセン磁器」は、当時のヨーロッパで品薄になった「柿右衛門」のコピー(つまりパチもん)から始まったもの。

こちらも、人気の「ガレ・グラス」にも日本文化が大きく関わっている。

エミール・ガレは、彼の工房があるフランスのナンシーにあった国立の林業学校(水利・森林学校)に留学していた高島得三との交流し、彼が嗜む水墨画から、日本的な画法、モチーフの取り方を吸収し、そこからガレ・グラスに独特な手法を開発していく。

日本では人気のゴッホも日本オタクといっていい志向の持ち主。つまり、マイセン磁器やガレ・グラス、ゴッホの絵画が、日本人にとって、どこか親しみやすいのものだというのも当然の帰結だと言える。

つまりね。僕ら、日本人こそが、こうした事実を知らないし過小評価している。だから「KAWAII」だって、きのうやきょうのことではなく、この国の、しかも市井が熟成させた文化の賜物なんだけど、そういうことには無関心かな。

(急にサブカルが評価されるようになったわけじゃないんだ)

欧州では17世紀が不作と魔女狩り。フランス革命が18世紀後半。でも、それで平和が確保されたわけではなく、ロベス・ピエール派による反対派の大量処刑から恐怖政治が蔓延。イングランドも内乱と戦争が繰り返されている状態。
それに対し、日本の江戸時代では260年間、対外出兵も内乱もない時代が続き、市井は賽の河原にされることなく文化的な生活を継続発展させることができました。故に、王侯貴族の側にある文化ではなく、街場の文化を充実させることができました。

(フランス革命の頃、日本では元禄文化が花開いていた)

王侯貴族の欲した「美」ではなく、街場のカジュアルな文化が特に高い評価を受けているのはそのため。「街場なカジュアル」が、すでに南蛮貿易の頃には欧州の王侯貴族に高い評価を受け、江戸時代に入っても、街場のイラストレーターだった北斎や広重、歌麿の作品が、欧州では高い評価を受ける。今日に至るもエスタブリッシュな芸術と肩を並べて評価されている。

ベトナムは、19世紀には植民地になり、20世紀のほとんどを戦乱で過ごす。その間、織物、焼き物など、様々な分野での「文化」が途絶え、エスタブリッシュな宮廷音楽なども、完全に散逸してしまっていて、どんな音楽だった、今となってはわからない状況…

(日本でも、近代になって戦争に巻き込まれるようになると、いっときヨコハマに栄えた輸出用の「真葛焼き」という焼き物技法のように、一度の空襲で、後継者を含め技術者のほとんどずべてを失い「幻の技法」になってしまっているものもある)

「KAWAII」には、長い平和な時間が熟成してきた大切な「日本文化」が溶け込でいる。でも、それはガラス細工のようなもので、あっけなく粉々に砕け散ってしまうものでもある。

一瞬の輝きのために、数百年以上の熟成を必要とする。でも、一瞬にして灰燼に帰してしまうものかもしれない。

大切にすべきものは、そこにある。