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料理教室というと、何が何カップ、何が何CCなんて教え方をするけれど、ホントは料理こそ、数値化、定量化するのが難しい世界。だから、そのあたりの矛盾が「塩、少々」の「少々」に現れちゃうんだと思う。

でも、僕らが若者だった頃は、そういうことに何の疑いも持たずにやっていた。科学的だとさえ思っていた。

ロボットクリエーターの高橋智隆さんはCADなどで設計図を描くと、全部、数値化できる範囲に置き換えなければならないから、わざわざ木型とプラ板でロボットのボディをおつくりになるそう。東京大学の先端科学技術研究センターに在籍する彼が「木型とプラ板」。そういうことを意外だと思ってしまうところが、未だに「間違っているところ」なんだろうと思う。

何でも数値化、定量化できるもんじゃない。
でも、世の中、そんな具合でできている。なんでもマニュアル化できると思っている。

そして、新しいことにチャレンジするなら「まず教室」に通いはじめてしまう。

でも「何を何カップ、何を何CC」なんて憶え方をすると、肝心の料理勘などは、あらかじめ、それを失うために教室に通っているようなもの。日によって、湿度も気圧も違うからね。均質なレシピなんて詮無いことだ。

哀しいね。

でも、なんで「手探り」を始める前に「まず教室」なんでしょう。
多分、無意識のうちに学校教育を信じ込んじゃってるんだろう。いろいろあるけど、知らないことを始める前には「学校行かなきゃ」みたいに。

でもね。

工業生産時代の工員さんやマニュアルで働く人を育てるためだけに有効なもの。ショーウィンドウのサンプルみたいな料理をつくるにはいいのかもしれないけど、「オフクロの味」みたいな料理が上手くなるためにはまったく無力。さじ加減を教えてくれるわけではありませんし、そんなもん、スクール形式では教えられないから。

料理の大衆化。でも、あらかじめ「ベスト」を放棄したような料理。

僕らも、早くそういうことに気がついた方がいいんだろうな。
AIも攻めてきてるんだし、あしたのための一歩…なんて。