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友達が 1人もいない 幸福論

 私には友達が1人もいない。友達がいないことによる社交性の欠如に悩まされる私からすれば女性との交友などというものは砂上の楼閣であり、絶世の美女を引き連れた同世代の男とすれ違うと濁流にのみ込まれた筆舌にし難い感情で溺れそうになる。

 これまでに幾度にもわたる精神のテフロン加工を繰り返しなんとか平静を保てているが、それでも時折女性との触れ合いがないという現実が砒素毒ぐらい後から効いてきて死にそうになってしまう。それを逃れるには逢瀬的富裕層な男たちに有明海のムツゴロウの如く泥にまみれた私が勝る部分を見つけ出すことが必要不可欠であった。

 だがそれには精密治療で使うほどの拡大鏡が必要であり非常に困難を極めるため、いっそこのまま親指を立てながら溶鉱炉に飛び込もうかと真剣に考えていた矢先に昔見たあるテレビ番組の1シーンを鮮明に思い出した。「もしこの世に女がいなかったら男は身だしなみなんて気にしない」というある大御所タレントさんの言葉だ。これだと思った。

 モテる人間というのはモテるための努力をしている。それは認める。しかしいくら努力をしても意中の女性を必ずしも手に入れられるとは限らない。相手の立場や生活。ましてやタイプと言った様々な予測困難な障壁があるため自分のためではなく相手のために使った努力は水泡と帰して無駄になる可能性が十分ある。しかし私の場合は違う。私は人生においてそんなことに時間を割く必要がないため、モテるための努力を重ねる浅短な男たちに比べ莫大な自由を手にしているのだ。

 私のこのストロングポイントが肥溜めを寝床にしていなければ出てこないコバエのような持論であることは認める。しかしよく考えて欲しい。意中の女性のために費やした金、時間などの労力が全て無駄になった際の精神的ストレスの数値は厚生労働省の調べによるとスマホのSIMカードが勝手に取り外されたときのおよそ7倍とも言われている。そのストレスを一生涯感じないですむと言われたら果たしてどちらが幸せだろうか?

 私はこの持論が正しいということを生涯をもって証明しようと思うのだが一つ問題がある。それはこの説を裏付けるためにはモテるための努力をする男よりも私が幸せを感じていなければならないということだ。今の私の現状はといえば日頃の疲れやストレスからなのか肌がタンカーの底ぐらい荒れて肌もどんどん白くなる死にゆくサンゴのような状態であり幸せとは対極の位置にいる。あぁ・・・幸せになりたい・・・モテたい。

 

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