友達が 1人もいない コンビニ愛 ~私はもうおにぎりに抱かれてもいい~

 私には友達が1人もいない。そのため想像に容易いと思うのだけれど休日ともなると地獄でる。ただ週に一度やってくるその日は容赦のなき溶岩流のごとく私をのみ込んでくる。なので毎週毎週休日なるものはいかに精神的に乗り切るかの闘いであるのだけれど休日の朝に必ず行く場所がある。コインランドリーとコンビニだ。

 現在我が家の洗濯機は故障している。洗濯機だけでなくテレビ、冷蔵庫、おまけにスマホまでもが調子が悪いためいよいよ文明の利器すらも私から離れていっている地続きな漂流状態となっている。なので一週間で溜まった洗濯物を鞄に詰めてバックパッカーばりに大荷物を抱え近くのコインランドリーに向かう道中にコンビニによる。おにぎりを買うためだ。

 私は基本平日はパンしか食べない。それも食パンしかだ。そもそもがなんの味付けをしなくても小麦の持つポテンシャルにより十分おいしいし、全てのパンが食べるために作られているにも関わらず名前に「食」と刻まれた人の腹を満たすという食物の根本的価値から逃げも隠れもしていない部分も好きだからだ。しかし休日の朝だけは日本人なら米というDNAに刻まれた大和魂を思い出すからなのか決まっておにぎりを買うことにしている。

 健康面と胃袋のポテンシャル的に買う数は3つまでと決めて陳列棚の前でモネの「睡蓮」を鑑賞するぐらい真剣な目つきで物色を始めるのだが毎度毎度種類の豊富さに驚かされる。梅、鮭、明太子などシンプルなものから煮卵、つくね、わさびとエキゾチックな舌鼓を期待させる責めたものまで様々だ。ただいかに米と具材のハーモニーを奏でようとも私が買う3つのうちの1つの席は絶対に決まっている。塩むすびだ。

 トッピングに塩・・・おにぎり界隈にとってそんなことは「売り切れ次第終了」の謳い文句ぐらい当たり前の話の話であるし、他にもプラス数十円払えば多種多様な具材が乗ったおにぎりが買えるのだがなぜか塩むすびは絶対に買ってしまう。具材や海苔の力を使わずに米本来の旨味とそれを引き立てるわずかな塩のみで人々を魅了できる。

 それになによりおにぎりたちの中で最も安く、全く飾り毛がないにも関わらずにこれだけのポテンシャルを見せつけるストロングスタイルなその姿は、なにも余計なことはしなくていい・・・単純でいいんだと世の社会人たちに訴えかけているようで懐に優しい鼓舞となる。

 おそらくではあるがなんでもいいからおにぎりを買ってきてくれと頼まれて塩むすびを買っていけばセンスがないと罵られることだろう。ただそれは永遠なる円周率の羅列ぐらいつまらない考えであるし、塩むすびにはそんな哀れな価値観の人間の脳裏にまん丸い風穴を開けるだけのポテンシャルを持ち合わせている。塩むすびを否定する人間は無様にその味わいに前にひれ伏し、開いた風穴の面積でも求めていればいい。

 だから私はこれからも塩むすびを買う。いや愛し続ける。


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