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紀州鉄道とコスモス

今日の写真は紀州鉄道とコスモスです。

秋桜をコスモスと読ましたのはさだまさしさんだとか。山口百恵さんが歌って大ヒットした曲のタイトルがあきさくらとしか読めないのにコスモスと読ませてしまう強引さがさだまさしさんらしくて好きです。

こい
新曲アルバム「孤悲(こい)」なんて「こい」で漢字変換したくても出てきやしない。昔の言葉だそうです。孤独な悲哀が恋なんて日本語は美しすぎる。

美しい日本語だと思うのは「ありがとう」などの大和言葉です。
「ふるさと」も「おぼろ月」に「花筏」みんな大和言葉です。

聞いただけで情景が浮かんでくるのです。

今日の写真はコスモスが中心です。秋桜と書いても良かったのですが、「あきさくら」と読みたくてあえてコスモスとタイトルに書いたのです。

インターネット上のサービスがいつまでもあると思ってはいけません。無料から有料にそして高くなり顧客が減るとサービスを廃止するのです。

クラウド空間は便利ですが有料化しては値上げします。自分の作品が人質として取られているのですから簡単に辞める事はできません。課金サービスが今後も増えてくるでしょうが消えていくサービスも増えるでしょう。

来年の今頃は何をしているでしょうか? 3年後、5年後、10年後、100年後の私は間違いなく死んでいるでしょう。5年後、10年後、20年後、30年後のわたしは、健康で元気で生きていたいと思ったら寂しくなってきました。

100歳以上生きたとして、何をしたら良いでしょう?生きるのではなく生かされてるのです。生きがいが、あれば良いのですが、病気で疲れていて楽しいことが何もなく生かされている老年期。

生きがいは仕事、早朝からの電話受付と夜間の施設管理は小遣い程度ですが収入になります。生かされてはいますがそれは少年、青年、中年でも同じです。生きがいがなくても生きていけるのです。

老人になると生きがいだけが生きる気力になっているのです。

子のため、伴侶のため、孫のため。

自分のためだけに生きるのは虚しいのです。誰にも気づかれず、ひっそりと生きてひっそりと死んでいきたいと思うのはそれが自分にとって幸せだと思うからです。死後の世界があってそこでは誰もが幸せになれると思ったら死ぬことが怖くないのです。逆に生きているのが辛ければ死にたくなるのは当然のことです。

死後の世界が、苦しい。楽しい、怖い、悲しい、どれでもないの5パターンであれば楽しいになるのは5分の1の確率です。

現世の世界が同じく5パターンだとして楽しいになるのはサイコロを振るのではなく自分次第です。生まれてきた事は間違いないのですから楽しい人生にしたいと思ったら100%楽しい人生になるのです。

死後の世界はわかりませんが、紀州鉄道とコスモスの写真が撮れたのは楽しい時間でした。朝早く起きて準備してたくさん歩いて疲れましたが楽しい時間でした。

そしてそれを記事にしている時間も楽しい時間です。