映画『マイ・ファミリー~自閉症の僕のひとり立ち』原一男さん(映画監督)トークイベントレポート2023/12/2(土)新宿K’s cinema
1972年に一作目、『さようならCP』という映画をつくりました。撮影は71年です。71年、私たちが映画を作ったころというのは、皆さんご存知のように、全共闘運動というのがありました。全共闘運動に刺激を受けて、障がい者の人が運動を展開しました。特に私たちが主人公として選んだ脳性まひの人たちは、「青い芝の会」(*注1)というグループをつくっているのですが、障がい者のグループの中で最も過激なグループでした。彼らが「街に出たい」とね、ごく自然な欲求でしょう?だけれども、当時彼らが街に出るためにバスに乗ろうとすると、乗せてくれないんですね。バスの運転手さんが拒絶するんですよ。それで、頭にきて「なんでバスに乗っちゃいけないんだ」ということで強引に乗ろうとするという運動を展開して話題になったことがあります。つまり、そういう風にして、差別が強い時代、今でもそうなんですけれども、そういう差別に対して、社会に対して、行政に対して、権力に対して抗うという、そういう時代だったと私は思うんです。この映画を観ながらそんなことを考えていました。
自分の意志で闘うことの「自由」
この映画の主人公、ケース・モンマは自分の行動、自分が思っていることを全部口に出すでしょう?映画を観ながら、その言葉を聞いて私は楽しくて仕方がなかったんですよ。主人公を見ていて思わず笑ってしまうというか。気持ちがゆるやかになって。コメントを書きまして、書いた後になんでこんなにこの映画をみて楽しいんだろう、主人公を見ているだけでね。そして考えて気がついたんですよ。なんでこんなに心地よくさせてくれるんだろうと思って気がついたことがあるんです。とても大事なことなのですが、この主人公は自由なんですよね。つまり、自分の運命というか、自分が生きていく状況、環境、条件を自分の意思で彼はつくっていっているでしょう?日々、自分の意思で、彼の前に立ちはだかっている色んなことってありますよね。一番大きいのは、両親が歳をとって自分の面倒をみてくれる人がいなくなるということに対して彼は不安に思っている。しかし、そういうことも含めて彼は自分の意思で闘っているじゃないですか。自由ってそういうことでしょう?自由ってなんでもかんでも思っていることが実現するというよりも、自分の力で自分の環境をつくっていくということが自由だからね。そういう意味で言うと、『さようならCP』をつくった時代というのは障がい者の人にとって抗うこと。抗わないと自由になれないからね。抗うということが70年代の生き方だったと考えた時に、それに比べて、50年という時が経って、この映画の主人公はとても自由に生きているんだなって、そう思った時にですね、私は感動するんですよね。
「障がい」とは何なのか
「障がい者」という言葉があります。「障がい」って、例えば「身体障がい者」、「身体に障がいを持っている人」っていうような理解の仕方を私たちはするわけですが、実はそうではなくて、障がい者の人が、今言いましたように、バスに乗ろうとする時に、乗せてくれない、それが障がいだからね。社会の方が「障がい」なんですよね。それで、車いすの人が街に出て行きたい。街に出ていくと、当時ですよ、今ではずいぶん変わりましたけれど、段差ってあるでしょう?歩道って差がつけてあるじゃないですか。あの段差というのは、車いすをつかっている人にとっては、まさに段差が障がいなんです。だから、「身体障がい者」という言葉を使うけど、「障がい」なのは社会の方なんですよ。私の一作目で描いているのは、脳性まひの人が主人公ですけれども、「身体障がい者」ということで言われている「障がい」って一体何なのかということを追求して、そういうものを生みだしている社会に対して抗っていくという生き方が今の時代なんだっていうことがメッセージです。
映画が放つメッセージ~主人公がこれだけ「自由に生きている」こと
そういった私たちのメッセージに対してこの作品は、そうじゃないんですよね。50年経った今、世の中も少しずつ変わってきていますが、主人公がとても自由に生きているのだなというのがこの映画のメッセージなので。少し考えれば分かることですが、これはオランダという国の映画ですよね。映画的な理解をすると、「主人公」というのは、同じように障がいを持った人と言われる人たちの気持ちというか、在り方を代表するのが「主役」、「主人公」の役割です。しかし、実際にはオランダに行けば、もっと厳しい現実があるかもしれないけれども、少なくとも、作品として描かれたときに、「主人公」が持っている役割というのはやはり、これだけ彼が「自由に生きている」ということです。
オランダって日本よりはかなり、「福祉」という言葉を使いますけれども、これが重要なのだなという感じがするんじゃないですかね。本作の監督は26年間、彼を撮り続けているという解説がパンフレットを読むと書いてあります。監督は女性の監督だということで、彼と知り合って、この作品が三本目?すごいですよね。一人の主人公で三本目。ですから、そういう意味で言うと、この作品は結構、珍しいんじゃないでしょうか。ここまで自由に主人公を描けている映画というのは。日本でこんなに活き活きと生きている主人公というのは、いないとは言いません、いるんでしょうけれども、こんなに言いたいこと言いあげて、好き勝手に生きているじゃないですか、気持がいいくらいに。そういう主人公って、障がい者の人っていないなという感じがしますけどね。
観客は観る側の自由というのを持っていますので、自由に解釈していいわけですけれども、でも、本当に主人公が自由に生きていて、こんな風に生きているんだよねというようなメッセージを持った映画というのは、あるようでなかなかないのではないでしょうか。しかし、最近は障がい者を描いた日本の映画でも、けっこう自由に生きているという、障がい者の若い人たちを描いた映画って出てきつつありますからね。時代の流れみたいなことを映画から読み取っていくと言いますかね。そんな感じがしました。それで、こういう映画をたくさんつくることができるといいなと思いますね。私なんか未だに、2年前につくった6時間12分というもの(『水俣曼荼羅』/2021年)がありますが、水俣病の患者に取材してね、つくりましたけど、かなり権力に対して、時代に対して抗うというような映画を自分はつくっているなと思うんですよね。それに比べると、この監督は主人公と出会って30年、40年、50年、自由というものを描けるというのは、映画の作り手としてもうらやましいなという気がします。それだけ日本の方が差別が厳しいということになりますけどね。そういう社会に我々は生きているわけですからね。なんとも言いようがないというか、頑張っていくしかないわけですが。
ぜひみなさん、この映画を勧めてあげてほしいと思います。特に福祉関係とか、教育関係とか、そういう差別に苦しんでいる人と関わるような仕事をしている人たちは、この映画をみて自由ってこういうことなんだ、そういうメッセージを持った映画として、たくさんの人に観られるといいなという風に思います。
※脚注はパンドラ作成。
(*注1)
全国青い芝の会:脳性麻痺者による障がい者差別解消・障がい者解放闘争を目的として1957年(昭和32年)11月3日、当事者により発足された団体。東京都大田区で結成後、神奈川県川崎市、横浜市を中心に全国的に活動を行う。1977年、障がい者のバス単独乗車拒否に反対するため、神奈川県川崎市内の路線バス(川崎市バス・東急バス)30台に乗り込み、深夜までバスに立てこもった「川崎バス闘争」で知られる。この事件は当時テレビニュースや新聞などマスメディアでも大きく報じられ、暴力を伴う実力行使には大きな批判もあったが、公共交通機関におけるバリアフリーや乗車の問題に一石を投じた。2020年6月、新しい「日本脳性マヒ者協会全国青い芝の会」の最高決定機関とされる第1回総会を予定していたが、コロナ禍で延期に。現在、教育・優生問題を中心に活動中。