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自分の道を歩むということ:『キリン解剖記』

生き方で憧れるのは、その道を最大限に楽しんでいるんだろうな、と感じる人だ。YouTuberが憧れの対象になるのは、楽しいことをやってお金を稼げるなんて、という側面もあるかもしれないけれど、子どもを魅了している点は「楽しいことに全力で取り組んでいる姿」じゃないだろうか。もちろん、大人になると、YouTuberだって楽しいことばかりではなく大変な作業もしている、ということに気づく(はず…な)のだけれど、子ども同様、興味関心を広げて好奇心をもって活動をしている人には惹かれるんだと思う。

この本を読んで、研究者の好奇心、その道を最大限に生きようとする姿勢に改めて刺激を受けた。

著者は、キリン博士の郡司芽久(ぐんじめぐ)さん。自分の名前には濁音が多いから、「キリン」という名前は「象やラクダ、パンダ、クジラのようなほかの人気動物と違って、濁音が入らないのも爽やかで良い」なぁという感性をお持ちの方で、確か1歳半頃の写真館での撮影には自分からキリンのぬいぐるみを2体も選んで一緒に写っているような、生粋のキリン好き。もちろん、好きこそものの…で「大学院修士課程・博士課程にてキリンの研究を行い、27歳で念願のキリン博士」となり「世界一キリンを解剖している人間(かもしれない)」らしい。

そんな子どもの頃からキリンが好きなら、さぞかし迷いのない道を歩んで来られたのだろうと思う。だけれど、キリンのことなんて忘れて勉学に部活に励むときもあった。で、大学に進学してすぐの4月に、同級生の意識に触発されて、私は何を研究する?何なら目を輝かせて研究ができるかと考えて「そうだ、キリンだ」と思い出した。そう、本当に一生取り組むことって、一回忘れても思い出せる様になっているんだと思う。

キリンについての解説も知らないことだらけで、はぁ〜ほぉ〜と面白いのだけれど、著者の研究の道のりの紆余曲折にも非常に心惹かれた。紆余曲折しているご本人からすると大変だろうと思うのだけれど、それでも好奇心という羅針盤を持ってその道を進み続けている姿が見えて、惹かれるのだ。

キリンを研究するのは決めたけれど、キリンの何を研究する?と悩んでいたとき、「キリンの首には、彼らにしかない特徴的な構造があるのではないだろうか」と気づいた。それを先生に伝えると、「今度、腕神経叢〔わんしんけいそう〕を見てみるといいかもね」とアドバイスをもらった。

▼ 運命の出合いも、当時は意外と劇的じゃない

先生は、その論文に書かれたことをあまり信じていないようだった。そのため、キリンの腕神経叢〔わんしんけいそう〕をきちんと確認してみたら?と提案してきたのだろう。実際その夜、遠藤先生から論文のPDFファイルとともにこんなメールが届いた。
「盛んに頸椎が8個あると主張していますが、誰も納得していません(笑)」
実は、この時渡された論文を、私は読破できなかった。もともと英語が得意ではなかったし、大学3年生の頃は「学術論文」を読むことにも慣れていなかった。解剖の知識も全くなかった。「腕神経叢」という言葉も、このとき初めて知ったくらいだ。腕神経叢以外にも、初めて見る専門用語がたくさん出てきて、何が何やらわからない。わからない単語を辞書で調べてみても、結局それが骨のどの部分を示しているのか見当もつかない。
かろうじて読めた論文の要約部分では、「キリンの第一胸椎は、本来第七頸椎である」「キリンでは、第二から第六頸椎の間に椎骨が1つ加わっており、首と胸の境界部分で構造的な融合が起きている」などが主張されていた。何を言ってるのかさっぱりわからない。
頸椎は頸椎、胸椎は胸椎じゃないか。「キリンの第一胸椎は本当は第七頸椎で……」だなんて、この論文の著者は、一体何を言っているのだろうか。遠藤先生の言う通り、こんな主張、誰も納得するはずがない。そう思って、詳しく読むこともなく、投げ出してしまっていた。
この論文が、後々私の研究の基盤になるなんて、この時は思いもしなかった。(93ページ)

この章のタイトルが「運命の論文とのすれ違い」だった。このすれ違いは一瞬だった。折に触れてこの論文を読み解こうとして…なんてその後に書かれていないので、忘れ去られていたと言ってもいいのではないかと思う。そして、このときは論文がさっぱり分からなかった、というのもいい。私から見たら天才だと思う著者も、それに出合ったときにはそれが何を意味するか、パッと理解できないときがあるのだ。それから人生を歩んで、振り返ってみたときにあれは転機だった、というのは簡単で、思い出補正でその出合いが劇的に語られることはあるだろうけれど、その当時は意外とあっさりしていたりするものなんだ。

▼ 「迷う」の意味はいろいろある

運命の論文を素通りして、さらにまた、キリンの何を研究するのか…という迷路に入る。

ただ観察して、どういう構造になっています、というだけではダメだ。一体私は、何を明らかにしたいのだろうか。目の前の貴重な遺体を無駄にしてはならない。もっと真剣に、必死に、考えないと。そう思えば思うほど、思考はまとまらない。無目的に遺体をいじくり回すことが、いい気分なわけがない。次第に日も暮れ、寒さと疲労で頭が働かなくなってきた。
きっと遠藤先生だったら、ニーナやシロ、アジムの遺体で、面白い研究ができていただろう。先生じゃなく、私みたいな素人に解剖されて、ニーナもシロもアジムもかわいそうだ。そう思ったら、涙が出てきた。悔しさと、申し訳なさでいっぱいだった。
そんな時、ゴンゴンと鈍い音がして、解剖室の扉が開いた。研究室の博士課程の先輩が、一服ついでに様子を見に来たらしい。「進んでいる?」と声をかけられて、「全然だめです」と返す。
「何を調べてるの?」と尋ねられ、「前回わからなかった筋肉を中心に、首の筋肉の構造を観察しています。でも、今やっていることがどう研究に結びつくのか、全然わからなくて……」と率直な気持ちを述べた。すると、気落ちした様子を察してか、先輩はこんなことを言った。
「凡人が普通に考えて普通に思いつくようなことって、きっと誰かがもう既にやっていることだと思うんだよね。もしやられていなかったとしても、大して面白くないことか、証明不可能なことか。本当に面白い研究テーマって、凡人の俺らが、考えて考えて考えて、それこそノイローゼになるくらい考え抜いた後、さらにその一歩先にあるんじゃないかなあ。だから、そうやって悩みながらいっぱい考えてみるといいよ」
今振り返ってみると、考えあぐねて気落ちしている学生に「もっと考えろ」というのは、一般的には良いアドバイスでは無いのかもしれない。思い悩んで追い詰められてしまう学生もいるだろう。けれど、私はこう言われたときに、なんだか気持ちがすっと楽になったのだ。
(中略)
研究は概ね楽しいことばかりだが、「生みの苦しみ」みたいなものはいくらでもある。うまくいかないことだって当然あるし、1つのことを考え続けて頭がこんがらがってノイローゼ寸前に陥ってしまうこともある。そんな時は、この先輩からの言葉を思い出し、こう考える。
「ああ、今こそ、世紀の大発見の一歩手前だ」(98ページ)

人生の迷いに入ったとき、迷いに入っていることがダメなんじゃないかと思ったりする。自分の行く道が明確に見えていて、確信していて、そんな人が素晴らしく見えたりする。そして先を行っている誰かと比較して、あの人ならきっともっと素晴らしいことをするに違いない、私はダメだ…という考えが生まれる。

だけれど、ここで教えてくれていることは、「悩んでいい」ということじゃないだろうか。先輩の言葉は「もっと考えろ」というよりも私には「考えて、悩んでいいんだよ。悩んでいる状態で正常なんだよ、きっと」と言ってくれているように感じた。

子育てについて悩んでいる人が、自分の親から「子育てに正解はないのだから、この子育てで合っているんだろうか?と悩んでいるってことが正解なんだよ。確信している方が危ない。悩みながらやっていったらいいんだよ」と言われてなんだかホッとした、というような記事を読んだことがある。

冥想についても同じようなことが言える。私は5年くらい毎日冥想をしているのだけれど、同じくらいに冥想を始めてもずっと続けている人は結構少なかったりする。冥想がうまくいかないと挫折する人によく聞くことは、冥想とは無心になって、雑念が湧かずに…という確固たるイメージがあるらしく、それに達しないからやめることが多いらしい。いやいや、そんなの、どんだけの賢者ができるのだろう?昨日今日始めた私たちのような凡人には無理じゃないですか?と思うのだけれど、悩むということが許せない、許されていないのじゃないかと思う。(本人はそこまで気づいていないだろうけれど)私のやっている冥想では、冥想中にザワザワすることも「いいこと」「順調な証拠」とラベルする。

誰だって人生で悩むことは生じる。一瞬の迷いなく生きている人なんてこの世にいないといっても過言ではないんじゃないだろうか。なぜなら「迷う」の意味はいろいろあるから。

同じことで悩んでいるようでも、この著者のように、悩みながら同時になにかも経験して何らかを獲得しているはずなのだ。冥想だって確実に回を重ねている。何を獲得しているのかに気づけなくても、ただただ獲得していることを信じ、悩むと同時に考えていけばいいんじゃないだろうか。悩むことは心地悪いことかもしれないけれど、決して悪いことじゃない。

▼ 出合うのにふさわしいタイミング

2012年4月。修士課程に進学後も、私は変わらず研究テーマを模索していた。せっかくキリンで研究するならば、胸が踊るような面白い研究がしたい。できるならば、先生からテーマをもらうのではなく、自分でテーマを見つけたい。ノイローゼの一歩先にある景色を見てみたい。そう思っていた。
(中略)
しかし、夏の終わりに差し掛かっても、研究テーマは一向に決まらないままだった。(中略)
そんなある日、インターネットの論文検索エンジンを通じて、1本の論文に出合った。その論文のタイトルは、「The remarkable anatomy of the giraffe’s neck(キリンの首の驚くべき構造)」。1999年に、アメリカの大学の研究者が書いたものだった。(中略)
論文の著者は、骨の形の特徴に加え、「キリンの腕神経叢が少し後ろ(尻尾側)にずれている」ことも報告し、キリンでは首と胸の境界が移動しているのではないかと主張していた。そして最終的に、「キリンの第一胸椎は、本来は第七頸椎だととらえることができる」と結論づけていた。
賢明な読者のみなさんなら既にお気づきだろうが、これこそが、大学3年生の時に遠藤先生に渡され、全く理解することができなかった論文だった。
この論文を読み終わった時、なんて面白い研究だろう、と思った。数年前、初めて読んだ時には、面白いと思わなかったどころか、読み切ることすらできなかったのに。
時間が経ってからその面白さに気がつくというのは、よくある話である。論文が面白く思えないのは、多くの場合、読み手側の知識不足・視野の狭さが原因だ。何事にも、出合うのにふさわしいタイミングがある。この論文は、大学3年生の私には早すぎたということだろう。
それにしても、私は自分の研究テーマを自分で考えてきたとずっと思ってきたが、結局は先生の手のひらの上で転がされていただけだったのかもしれない。先生はいつも、一枚上手だ。まあ先生は、この論文が主張していることを信じていなかったけれど。(101ページ)

チャンスの神様は前髪しかないと言われたりする。だから、チャンスが来たらパッと掴まないといけない、と。だけれど、この本を読んで、チャンスの神様は一瞬で掴まないといけないかもしれないけれど、運命の神様(そんな神様がいらっしゃるのかどうかは分からないけれど)は、何度もチャンスをくれるのではないかと思った。一度試しにやってきた。だけれど、こちらに受け取るだけの準備が出来ていなかった。そして数年後、また著者の前に現れてくれた。すっかり忘れていたにも関わらず。二度目のチャンスをくれた気がするのだ。

出合うのにふさわしいタイミングはたしかにあると思う。だけれど、その瞬間にしかヒントが得られないのではなくて、何度も何度も、こちらの準備が整うまで、私がそうだと気づくまで、それを獲得しようと覚悟するまで、そのタイミングはチラチラとやってきてくれているのかもしれない。


高校3年生の冬。受験を間近に控えたある夜、NHKの番組に、当時京都大学に所属していた遠藤先生が出ていた。先生の研究の話は本当に面白く、私は夢中になった。一緒に見ていた母が、「京大を受験した方が良かったかもね」と言ったくらいだ。
なので、東大に入学した後、シラバスで遠藤先生の名前を拝見した時は、本当に驚いた。以前、先生が「人生において本当に大事な人間とは、どんな道を選んでも必ず出会う」と言っていたが、確かにそうかもしれない。私が大学に落ちたり、先生が東大に異動しなかったとしても、私と先生はどこかで出会っていたような気がする。
(中略)
何より感謝しているのは、出会った当初、「キリンの研究がしたい」という私に、さらっと「できるんじゃない?」と言ってくれたことだ。あの言葉を信じて、ただひたすらにまっすぐ突き進むことができた。一度たりとも「キリンの研究なんてできないよ」と言われたことはない。どんな時も、あたたかく見守っていてくれた。
ずっとそう思っていたのだが、博士課程2年の終わり頃、衝撃の事実が発覚した。後輩が「先生に聞いてみたら、『郡司は、キリンの研究は難しいんじゃないか?といってもいって止めても、聞く耳を持たなかったんだ』と言ってました」と言うのだ。
先生の記憶が間違っているのか、私の記憶が間違っているのか……。(110ページ)

著者が先生との出会いをそう表現していること、「私が大学に落ちたり、先生が東大に異動しなかったとしても、私と先生はどこかで出会っていたような気がする」というのは、私はお二人にお会いしたこともないので適当と言われればそうなのだけれど、私も同じ様に確信する。このお二人は、このタイミングがズレていたとしても、きっと後々にでも、確実に出会っていたのだろう。

「人間は一生のうちに逢うべき人には必ず逢える。しかも、一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に」とは哲学者、森 信三さんの言葉だそうで、天が采配したとしか思えないような出会いにも見える。チャンスの神様の話を少し違って解釈して、私はチャンスの神様の前髪をきっちりそのときにつかめているのか、きちんとつかめていないのではないかと焦ったりするのはまた違うということだろう。適切に采配されている。チャンスの受け取りを失敗したと思っても、本来の道であれば軌道修正して必ず起こるようになっている。

▼ 意味がないことをする

「自分の道を歩む」というと寄り道がない気がするのは私だけだろうか。自分の道に邁進している、というと、その道一筋何十年と想像しそうな、そんな感覚もある。確かに、昔はそれだけに特化しているという状態が美徳だったかもしれない。だけれど、今、この時代で「自分の道を歩む」というのは寄り道も大いに歓迎されているように思う。寄り道も含めて自分の道だと言えることに憧れがあるように思う。冒頭のYouTuberの話のように。

最後に。
私はこれまで、30頭のキリンを解剖し、骨格標本として博物館に収めてきた。(中略)
なぜこんなに標本を作るのか。それは、博物館に根付く「3つの無」という理念と関係している。「3つの無」とは、無目的、無制限、無計画、だ。「これは研究に使わないかもから」「もう収蔵する場所がないから」「今は忙しいから」……そんな人間側の都合で、博物館に収める標本を制限してはいけない、という戒めのような言葉だ。
たとえ今は必要がなくても、100年後、誰かが必要とするかもしれない。その人たちのために、標本を作り、残し続けていく。それが博物館の仕事だ。
キリンの解剖は、それなりに大変だ。遺体を輸送するにはお金もかかる。解剖後、不要な筋肉を処分するのにもお金がかかる。「日本でキリンの標本を集めても仕方ないよ。研究する人もいないし」。誰かがそう考えていたら、私のこの研究は成り立たなかった。博物館に収められたたくさんのキリンの骨格を見ると、これらを集め、未来につなげていこうとした過去の方々の心意気に胸を打たれる。
正直言って、「3つの無」は、学生時代はやや負担だった。何の役に立つのかわからないものを、忙しい中で作り続けるのは、それなりにしんどい。けれども誰かがやらなければ、標本を蓄積し、未来に残していくことはできない。私にキリンの標本を残してくれた過去の人たちに敬意を払い、私も、博物館標本を100年後に届ける仕事の一翼を担っていきたい。
それと同時に、100年前から届けられた標本を利用して、様々な研究成果をあげ、薄暗い収蔵棚に収められた標本たちに日の目を見せてあげたい。
(中略)
無目的、無制限、無計画。
「何の役に立つのか」を問われ続ける今だからこそ、この「3つの無」を忘れず大事にしていきたい。(211ページ)

随分昔の話だけれど、別の学問の修士課程〜博士課程に進む人たちと話をしていたときに、ポロリと「自分は好きでこの研究をしているけれど、この研究が一体何の社会の役に立つのか?とふとふと考えるときも正直ある」ということを言っていた。当時は学部生だったので、好きなことをやっているのはいいなぁ、研究なんだからいつか役に立つんじゃないの?くらいにしか思っていなかったけれど、今聞くとその悩みは分かる気がする。社会に何かしらの還元をしたいという思いが込められている。だけれど、今、この瞬間に役に立てているのかまだ分からない迷い。

「やって何の意味があるの?」「何の役に立つの?」という問いは、効率を求めるには非常に有効な問いだと思う。だけれど、創造性を発揮するためには、毒でしかない。最初から意味なんて考えていたら、面白いことはできない。好奇心の向くままに行動できない。

「やって何の意味があるのか?」そんなの世の中には分からないことだらけなのだ。意味がある、なしをどうやって決めるのか?この1年2年で決めるのと、10年20年、100年単位で考えると違ってきたりしないだろうか。結局今の発見なんて、誰かしらが「そんなことやって何の意味があるのか?」と言われながらそれでもやって残した結果から、世紀の発見が生まれたりしているんじゃないのか。後からひっくり返されることはいくらでもある。

別に世紀の発見を目指しているわけではない。私にそんなことができるとは思っていない。だけれど、私自身に、自分自身に、「やって何の意味があるの?」「何の役に立つの?」そんな問いかけで好奇心を潰すことだけはしたくないと思う。意味や役に立つことは、あとからついてくることなんだ。

▼ 最後に

今回『キリン解剖記』を読んだことで、改めてキリンが好きになった。4〜5年前、アフリカのウガンダに行ったとき、初めて野生のキリンを見た。動物園でキリンを見てもそんなに感動をしなかったし、アニマル柄で、特にキリンの柄って何がいいのか分からないな、と思っていた。だけれど、国立公園で見た野生のキリンは、その風景と相まって、非常に美しかった。初めて、あぁキリンの柄ってとても素敵!と感動した。素敵な詩を最後に引用したい。

 きりん
 きりん
 だれがつけたの?
 すずがなるような
 ほしがふるような
 日曜の朝があけたような
 (後略)
出典『まど・みちお全詩集』
童謡「ぞうさん」の作詞で有名なまど・みちお先生の作品の中には、キリンについての詩が9編も存在している。これは、その作品の中の1つだ。

まど・みちお先生は、きっとキリンという名前をとても気に入ってくださっていたのだろう。私も大好きだ。気品があって凛とした雰囲気があり、子供でも発音しやすく、口ずさんでいるとなんだか楽しい気分になってくる。まさに、「すずがなるような、ほしがふるような、日曜の朝があけたような」、心が弾む響きを持つ言葉だと思う。(28ページ)


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