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不適切にもほどがある最終話 アップデートしなきゃダメですか? ②

 「不適切にもほどがある」が大爆笑のままクライマックスを迎えます。サカエと安森の恋の行方は、結局サカエが一足先に令和に戻り、安森のひと時の恋は終わってしまった。
 最後のタイムマシンのミッションはキヨシを令和に帰すこと、純子先輩との恋や佐高くんとの友情とやるべきことはあったかと思うが、地上波のおっぱいを十分に楽しんだ模様、満足して令和に戻りました。 

 市郎のいる中学は平和な学校では?

 市郎のいない中学にもキヨシや井上、そして安森先生に佐高くんとなかなかににぎやかな学園風景ではありましたが、これまで全く触れてきませんでした。昭和の中学というバイオレンスで不適切な空間だというのに、このドラマの情報量の多さに、学園生活はスルーしておりました。

 私の昭和の終わりは小学生で、当時思い描いていた中学や高校は、スクールウォーズやビーバップハイスクールに代表されるバイオレンスな修羅の国でした。運動神経に恵まれずおとなしかった私がバイオレンスな場所に放り込まれたらたちまちカツアゲのターゲットとなるであろう。当時のクラスメートの何人かが、バイオレンスな空間に染まると本気で考えていました。私は昭和の終わりに転校したので、その後どうなったのか全然わかりません。

 昭和60年当時の中学校は、教員がタバコをふかしミスをしたらケツバットの世界観でした。まだ市郎がタイムマシンに乗る前はザ・ヤンキー後ろの席にドカッと座っていた気がしましたが、キヨシや井上が出てきたころには随分と平和なクラスになった気がします。

 不登校の佐高くんが登場した時は、昭和のバイオレンスな学園生活より、私がリアルに過ごした平成初期の中学のようなイメージを持ちました。不登校のことを「登校拒否」とよびそんな生徒は「不良」とくくられていました。私たちの中学高校にも不登校はいましたが、不適切な表現かもわかりませんが、不良というよりも何か負のオーラをまとっていた気がしました。そして彼らに対して「居ないもの」として、机を運んでいました。

 佐高くんは謎の転校生キヨシを受け入れ、自宅に入れて一緒にファミコンをやっています。次の日にはなぜか学校には来ないのに何人ものクラスメイトが佐高くんの家に遊びに行き、ファミコンをやっています。友達の家で無言でファミコンをやっていた思い出がよみがえります。そして、キヨシの熱心な説得もあり、佐高くんは学校に行くことを決意します。

 「佐高くん!おかえりなさい!」とクラス全員が拍手で迎え、登校を祝して一時間目からマラソンです。佐高くんの走る姿を全員がかたずをのんで見守ります。

 いやいや不登校の生徒にこれはあかんだろ。案の定次の日から学校に来なくなります。まったくなんなんだよ。これだから昭和は嫌なんだよ。って一斉にツッコミが入ったことでしょう。

 この安森先生の空気の読めなさ、コロナを経験し新しい学校の価値観では失笑ものです。しかし、この空気感は昭和ではなく、どちらかというと平成初期から中期にかけて、私も経験した既視感のある空気です。不登校の生徒にはきつすぎる扱いかもしれませんが、とりあえず真面目に学校に通っていた私にとって平和でいい学校だなと思います。

 確かに平成初期にはヤンキーやスケバンは絶滅しました。しかし、高校生活には別の地獄が存在したのです。野島伸司脚本でKinki Kidsが華々しくデビューした「人間★失格」という激やばドラマがあったのです。

「人間★失格」とは

 1994年の私が高校一年生の時に、野島伸司脚本のTBS激やば三部作の2作目が放映されておりました。転校生の堂本剛が堂本光一率いるいじめっ子グループに目をつけられて、6話にわたり苛烈なイジメをうけます。教科書を落書きされ、給食には寄ってたかって糊だの絵の具などをぶっかけられ、掃除のロッカーに閉じ込められる。これを2話から5話ぐらいまで散々見せつけられます。やがてエスカレートした堂本光一らいじめっ子軍団は学校の屋上で剛を追い込み、イジメに耐えかねた剛はついに飛び降り短い生涯を終えます。その後、本作品の「主人公」で剛の父である赤井英和が、関係者に復讐を遂げるというのがこの物語です。

 平成初期にして不適切な激やばドラマであり、これを地上波で流すのは叶わないでしょう。当時は恐怖にぞわぞわしながら視聴していましたが、今じゃ怖くて見ることができません。

 そう平成初期の不登校の生徒がいる学園ものは、ヤンキーによるバイオレンスな描写は時代遅れになっているもののこれがスタンダードであり、普通の生徒がいじめの加害者になっています。

 恐ろしいのは担任の桜井幸子が、苛烈ないじめにまーったく気づいていないとんでもない「高校教師」だったことです。1部作で散々問題のある高校教師と接していたにもかかわらず、自分が問題のある「高校教師」となっててしまったのです。

 私のイメージしていた平成初期に見る恐怖の学校は「人間★失格」だったので、佐高くんにとっては勘弁してほしいところだったのだが、安森先生やその生徒が一丸となって佐高くんを迎えるところは平和で良い学校と思います。逆に剛はあんな学校行かなきゃいいのにと思ってますが、当時は「不登校=悪」ですからね。どうにもならなかったのでしょう。

市郎が帰ってきた中学に何が起きたのか?

 半年ぶりに帰ってきた市郎の中学で校長先生が退任してしまい、スライドで教頭先生が校長に就任していました。

 「あいつ苦手なんだよな。暑苦しいしガサツだし」

 校長はなんと女装の趣味がありそれを父兄に目撃されて、PTAで問題視されています。モンペに囲まれ、安森先生をはじめとした先生方に幻滅されています。しかし、校長先生は堂々としたものです。モンペに囲まれていても楽しそうに女装を語ります。女装を取るか教員を取るかの究極の選択に、あっさりと女装を選び、校長を辞任します。

 この多様性の時代、「女装」は趣味であり犯罪でもなんでもありません。校長先生はLGBTQだの関係ありません。れっきとした「男」です。それでもなお問題視されています。でもこれは昭和関係ない気がします。つい最近まで見られた光景であり、近年の「多様性」に対するカウンターに思えます。
 勘違いしないでいただきたい。小川市郎の言う通り罪でも犯罪でもありませんが、多様性とやらのLGBTQも関係ありません。校長先生は男です。むしろ、学校を半年も無断欠勤して副業している小川市郎の方が問題です。

 そして、昭和の不適切な象徴が小川市郎の復帰祝いと称した飲み会です。まあ、随分と平和で楽しそうな飲み会ではないか。確かにセクハラが横行する不適切で時代遅れな昭和の雰囲気ではあるが、平和で良いではないか。令和にアップデートとされた小川市郎から見て昭和の飲み会が古臭いと思わせる演出に見せかけているが、私にはそうはみえない。

 小川市郎は決してアップデートされていない。今でも昭和の香りを残した不適切な中学教師だ。なぜ「炙りしめさば200皿」を置き土産に退場したのか。それはズバリ佐伯という新しい校長が気に入らないだけだろう。今も昔も嫌いなやつが同じ空間にいる飲み会ほどキツイものはない。

 客観的に見ても2000年初頭の飲み会の方が不適切だ。飲み会は強制参加で会費は自分持ち、女性社員はお酌してまわり、若手はイッキと全裸で一発芸これがスタンダードであり歓迎される側が地獄となる。もっとひどくなれば上司から過去を蒸し返す説教から殴る蹴るのオンパレード、一発芸として鍋に顔を突っ込まれる。最後はSNSが流れたものしか見ていないが、市郎の中学の懇親会なんて、佐伯先生のうざい話をスルーさえしていれば、普通に飲み食いできるなんて、平和な飲み会だと思ってしまった。

歌手のサプライズゲストは最近の流行?

 最終回に向けていろいろと好き勝手にしゃべってしまったが、全話を通してとっ散らかり伏線を回収しなくても収まるところに収まった。7話のエモケンの登場が最終回の大きな伏線にちがいない。

 渚とキヨシが令和に戻るとき、乗り遅れた謎の二人組が荷物いっぱいで乗り遅れる。この怪しい大学生はCreepy Nutsがサプライズゲストとして登場している。卒業式に新しい音楽として主題歌「二度寝」を市郎のクラスの面々がノリノリで踊っている。復帰した佐高くんはともかく、井上は元気だ。大リーガーを目指すが彼はエラーばっかりするからタイムマシン開発に注力していただきたい。

 Creepy Nutsは2024年の代表的なアーティストであり、Bling-Bang-Bang-Bornが世界中でバズを起こしており、ちょっと暇になればYouTubeでそれを聞いているありさまだ。年末の「一番すきな花」の主題歌を歌う藤井風も最終回にサプライズ出演した。それは流行なのだろう、最近のアーティストはアニメやドラマなどの世界観を主題歌に忠実に解釈して作品にしている。90年代アニメのように世界観全く無視の主題歌ではない。90年代のアニメSLAM DUNKだって主題歌の「世界が終わるまでは」や「あなただけ見つめてる」も大ヒットしているが世界観は完全に無視だからな。

こうして「不適切にもほどがある」が最終回を迎えた

 この作品は不適切な台詞が多く含まれますが時代による言語表現や文化・風俗の変遷を描く本ドラマの特性に鑑み2024年当時の表現をあえて使用して放送しました。




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