遅めの反抗期

十年ぐらい前の学生時代から、なぜ私は他の女の子のように振る舞えないのだろうと悩んできた。

そう悩んできたが、三年前のある日アダルトチルドレンという言葉に出会い、自分は当てはまるのではと疑問に思った。
アダルトチルドレンとは、ざっくりいうと今の生きづらさは幼少期の親との関わり合いからきているのではないかというものだ。

私は信じがたかった。
それまで私は、親はもちろん祖父母に対してもことあるごとに感謝を伝え贈り物など親孝行っぽいものを一通りやるような考えで生きてきたからだ。いわゆる"(親にとっての)いい子"だった。

でも、"アダルトチルドレン"や"毒親"関連の本やブログ、Twitterの書き込みを読むとまるっきり私のことが書いてあるようで止まらなくなった。

親を憎んだ。約一年ほど音信不通にして親との一切を遮断した。


その後しばらくし、対決(衝突)をすることになる。

対決をすべきか否かってよく議論になるけど、
私はダメージを負う覚悟があるならしてもいいんじゃないかと思う。

なぜなら私自身、対決をしたことによっていい意味で諦めを感じ、自分は自分、親も人間、と一歩前に進めた気がしたからだ。自我の確立だ。遅めの反抗期だ。

その分ダメージはでかく、三日ほど動けなくなったが。

自我の確立。自分はこういう人間だとわかると、他人も認められる。他人に依存しなくなる。期待もしなくなる。

"いい意味で諦めがついた"と書いたがこれはどういうことかというと、"親だったら受け入れてほしかった"、"親なのに"、"家族なのに"という絶望や、"これは親に期待してないか?"という家族幻想を自分も持っていることに気づき、変化したということである。

衝突→絶望→自分自身との振り返り というプロセスのおかげで、"親も人間だ"という言葉がやっと自分の中に入ってきた。
やっと、あの憎くてたまらなかった親に対して、だ。


また、憎むという感情を思いっきり自分の中で感じたことも良かったかもしれない。

今まで言葉で直接は言われなかったにしろ、"いい子でいなさい"という無意識のメッセージを受けて自我を抑圧して生きてきた私は、その期間に、あんなに感謝してた親に対して思いっきり憎んだ。

そしてしばらくした後、今度は自分にフォーカスしてみようという気になった。親を憎む傍ら、「死ぬのも怖いしどうせ生きなきゃいけないならなんとか楽しく生きたい」という思いから、自分自身に対して考えることを始めた。

好きなものは何か?したいことは?行きたいとこは?何が心地よい?どの時間帯が好き?どうなりたい?



私が憎んでいた間はこんな文章を読んでも理解しがたかった。とりあえず嫌いで仕方ないので認めたら負ける、折れたら負ける、という思考しかなかった。なので、これを読んでムカムカするとかモヤっとするという感情が少しでもあった方は、憎むのを続けた方がいいかもしれない。

(しかし毒親、と一言で言っても様々なタイプの人がいると思うし完全に同じ境遇の人はいないと思うのでどうか参考程度に、、、)



自分と繋がるほど、人に対してイライラしたり、"なんでこれをしてくれないの"という気持ちが消えていく。
繰り返すが、人への依存や期待がなくなるからだ。

今はまだ練習中だが、これからは他人の目を気にするよりも、私自身に集中して生きたい。

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