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貴方の死に、祝福を。 3話

河川敷にいるのも目立つので(主に沙也加が)、
近所の公園まで移動する。
気の利くことに、男天使が靴を持って来てくれていたので、幸い足の裏は守られることになった。
靴を履く際、痛みが引いていった気がするのは、天使の力でもあるのだろうか。

公園に着くと、ベンチに腰かけた病衣の彼女が、そっかぁ、私、死んじゃってたんだあ・・、と噛み締めるように言う。

本当に幽霊・・、というか、未浄化な魂というものが存在するのか・・。
そう慄いてはいたものの、目の前の彼女は、普通の人間にしか見えなかった。

悲しむ彼女が気になり、沙也加も彼女の隣に腰掛け、様子を伺う。
天使は天使達で、ベンチの前に立ち、何やら話し込んでいる。

「あの・・、気付かなかったんですか?・・その、自分が・・」
と言い淀む沙也加に、
「うん、誰に声をかけても、無視されてばかりで怒ってたけど」
と気さくに笑って答えてくれる。
栗色の髪を肩まで伸ばし、少しふっくらとした、優しそうな顔をした女性だった。
沙也加より、一回りは年上の女性に見える。

「とても大切なものがあったのに、それが思い出せなくて。終いには、自分がどこにいるかも分からなくなって。誰に聞いても答えてくれないから、ここら辺をウロウロ彷徨ってたのよ」

そんな時にあなたに出会って、驚かせちゃってごめんね、と謝る彼女に、不思議な気持ちになる。
自分の状況をこんなに素直に受け入れて、こんなに優しい彼女が、いったい何にそこまで執着したのだろう。
そしてなぜ、未浄化、と呼ばれる存在になり、彷徨ってしまったのか。
その存在を目の当たりにすることで、死、とはどういうものなのか、今まで考えもしなかったことを思い知る。

「君の名前、覚えてる?」
男天使が女性の目前にその身を屈め、急に話しかける。
あんな奴とは言われていたが、とてつもない美形である。心なしか照れた様子で、それも思い出せないんです・・、と女性は俯き加減に答える。

「山口詩織さん」

そう呼ばれた時、弾かれたように彼女が顔を上げる。
「山口・・しおり・・?そう・・山口詩織!私の名前・・」
自分の名前を思い出すや否や、嗚咽を上げながら泣き始めた彼女。
驚きながら、泣き始めた彼女の背中を必死にさする沙也加に、
「名前を思い出して、今までの記憶が一気に流れ混んできたんだ。辛いよね、ごめんね、詩織さん」
と男天使が言う。そして、詩織さんに優しく話しかける。
「君が忘れていた大切なもの、思い出したんじゃない?」
泣きじゃくりながら、声にならない声で、彼女は必死に言った。
「わた・・わたっ、し・の子・・。無事・・です、か!」


公園の時計の針は、夜中の21時半を指していた。
こんな夜中に、人様の家を訪ねるなんて、無作法にもほどがある。

しかも目に見える人間は沙也加一人しかいないのだ。年若い女の子が、夜中に訪ねてくるなんて、警戒されて当たり前だ。不安しかない。

「あまり時間を置かないほうがいい、早いほうがいいんだ。彼女のためにも」と男天使は急かすが、女天使はあまり乗り気なようではない。

部屋から逃げ出した時は、あんなに怖く思えたのに。
先程までの彼女への接し方から、少し見る目が変わってしまったのかもしれない。
未浄化と言われる魂に、拓実の姿を重ねてしまったのかもしれない。
もしも拓実が、こんなに嘆き苦しんで、彷徨っていたら、そんなに悲しいことはない、そう思った。

「君とこうして出会ったことにも何かの縁があると思うんだ、、。だから、ちょっと力を貸して欲しい、沙也加ちゃん」
そう言われ、その隣にいる詩織さんにあの切なる視線を向けられ、沙也加は断ることが出来なかった。

そのマンションは、先ほどまでいた河川敷や公園と、さほど離れていない場所にあった。
10階ほどまであるだろうマンションを、改めて見上げる。

一体なぜこんなことに・・・、
と改めて思いつつ、詩織さんの顔を思い浮かべると、その足はマンションのエントランスへの一歩を踏み出していた。

エントランスへ入れても、防犯のためのオートロックのドアは開けれない。
不安げに男天使に目をやると、スイ〜、と目の前のドアが開いた。
「ま、一応、天使なんで」とニヤリと笑った男に、何でもありかよ、と心の中で突っ込んだ。

6階の603号室。それが山口詩織の部屋だった。さっきまであんなに泣いていたのに、心なしか、はしゃいでいるようにも見えた。

ドアのインターホンを押す。
ほどなくして、男性の「はい・・?」 という不審そうな声が聞こえる。
その声を聞き、堪らない、といった様子で口を両手で押さえ、再び詩織さんが泣き出す。
「あのー、このマンションの者で、木村と言いますが・・。実は、詩織さんから、伝言を頼まれていまして」

無理があるよな、と自分でも思う。
インターホン越しの声は少し怒ったように、
「詩織に君くらいの年齢の知り合いは、いなかったように思うが。しかも、この近所に」と言われ怯みそうになる。
「タチが悪いイタズラならよそでやれ、しつこいなら警察を」
「あの、引き出しの、カチューシャと、スタイを捨てないでって!行くのをやめないでって、言ってる、た・・言ってたんです!」

何か倒れたような、少し大きな物音がする。その後慌てたような足音がして、ドアが開かれる。
「なぜ君がそれを知ってるんだ」
そう言って中から現れたのは、眼鏡をかけた、真面目そうな男性だった。

掃除の行き届いた、綺麗な部屋だな、と感じた。余計な装飾物もなく、木製の棚やテーブルを配置した、落ち着いた室内。
きっと、キッチンで今お茶の準備をしてくれている彼の母親のおかげだろう、と詩織さんが隣で言っている。友美子さんと言うらしい。
ただ、装飾のない壁を見て、詩織さんは悲しそうな表情を滲ませていた。

そのテーブルに、旦那さんの山口圭介さんと、神妙な顔で沙也加は向かい合って座っていた。

「それで、詩織は何て・・?」と先に口を開いたのは圭介さんだった。
未だに疑いの念が晴れていないようで、とても居心地が悪い。
「あの、詩織さんは、テーマパークに行くのが好きで、毎月一回は行くって決めてたじゃないですか」

その言葉に、圭介さんは少し、驚いた様子を見せる。

「で・・、もし、自分の身に何かあったら、伝えて欲しいことがあるって言われいて・・」

「君に・・・?」

そりゃそうだ。何故ぽっと出の近所の住人に、そんな伝言を託すのだ。
そこで圭介さんのお母さん、友美子さんが、グラスに入ったお茶をテーブルに置いてくれながら、
「なんだか沙也加ちゃんに頼んだ気持ちも分かるわよ。あなた、とっても優しそうだもの」
と助け舟を出してくれる。その優しい眼差しに、なぜか沙也加まで泣き出しそうになる。

「そのカチューシャの話し、私も知らなかったわ」
あなたって基本、人にものを言わないもの。そう言いながら、圭介さんの隣りに友美子さんは座った。
詩織さんは、うんうん、と頷いている。

「はい、それは、圭介さんと詩織さんだけの、大切な約束なんだって、言ってました。圭介さんが恥ずかしがるから、他の人には言えなくてって・・」
言ってたんです・・と言いながら、嘘をつく罪悪感で声が小さくなっていく。

そんなことまで・・・、と圭介さんが呟く。

「だから、もし、本当にもしもなんだけど。自分に何かがあっても、そのカチューシャとスタイを捨てないで。私の夢を叶えてって詩織さんが言ってるんで・・言ってたんです。あ、あの、伝えて欲しいって」

そこまで言うと、顔の前で組んだ両手を震わせながら、
圭介さんが話し出す。

「あいつは、自分の身が、それだけ危険だと分かっていたんですね。それでも、心の底から、あの子が産まれることを楽しみにしていた。僕と、詩織の、大切な宝物だから、って」
顔を下に向け、その声は、心なしか震えていた。

「願掛けのようなもの、だったんです。きっと、きっと・・、大丈夫だから。これをつけて、絶対3人で行こうねって・・」

そう、詩織さんもそんな未来が必ず来ると信じていたから、それは二人だけの約束だったのだ。

詩織さんは、大好きなテーマパークがあったけど、妊娠中は前のように遊びに行くことが出来なかった。
母体の調子も安定していなかった。
子どもが生まれたら、二人でお揃いのカチューシャと、その子には同じキャラクターのスタイをつけて、家族3人で来園することを希望に、日々、我が子の誕生を待ち続けていたのだ。
圭介さんと2人で時間をかけて、お揃いのカチューシャと、そのスタイを選んだことを、まるで昨日のことのように嬉しそうに語ってくれた。

「最初は、圭介のほうが行きたがったのよ。
今まで恥ずかしく人に言えなかったんですって。けど、私を口実に行く機会が増えて、私にその楽しさを教えてくれたのは彼なの」
「きっと圭介のことだから、私がいないと、一生あそこには行かないと思うの」

「でも、私の大切な夢だったの。だから代わりに、圭介と子どもに、その夢を叶えて欲しいの」

それが、詩織さんが伝えて欲しいことだった。

これ以上なんと声をかけたらいいか分からず、
やはり帰ることを告げようとした時、赤ん坊の泣き声が聞こえた。

ハッとしたように、詩織さんが立ちあがる。
「あらあら、目が覚めちゃったのねぇ。せっかくだから沙也加ちゃん、あの子を見て行ってくれないかしら」
そう言って友美子さんが立ち上がる。

後ろで天使達の言い争う声が聞こえる。
「それは、決して良いことは言えんぞ」
「いや、むしろあの子のために、必要かもしれない」
話しの内容からするに、ろくなことじゃなさそうだ。
近づいてきた男天使に、イヤな予感がする。そして、側に来た詩織さんに、
「これが、山口詩織として、最後のお願いです」と言われ、またもや断れるわけがないのだった。

友美子さんが抱いて出てきたのは、生まれて間もない、小さな赤ん坊だった。生後数ヶ月も経っていないのではないだろうか。

詩織さんは、自分の命を掛けて、その子どもを産んだのだ。

そう思うと、自然と涙が溢れてきた。
友美子さんが、赤ん坊を沙也加に抱くよう促してくる。
そっとその子を腕に抱いた時、沙也加さんの感情が流れ込んで来るのを感じた。
「詩歩っていうのよ。詩織の、し、から一字取ったの。」
そんな言葉を聞いて、嬉しくたまらなかった。

「あなた、詩歩ちゃんっていうのねぇ。女の子だったんだ。なんて、可愛い女の子なのかしらねぇ」

そう言いながら、次から次へと涙が溢れてきた。身体の中から、この小さな命に対する愛情が溢れてたまらなかった。

「私、お母さんになれたんだね。あなたを産むことができたんだね」
「それって奇跡みたいじゃない?しほ」
その小さな柔らかな頬に頬擦りして、愛しさを込めて名前を呼ぶ。

それを止める人は一人もいなかった。
友美子さんも圭介さんも、まさかとは思いながら、その可能性を信じずにはいられなかった。

「あなたをこの手で抱きしめる事ができなかった。それだけが心残りだった。嬉しい。嬉しいよ。愛してるよ、詩歩。この腕の中の温もりは、一生忘れない」
「やっぱり、赤色の、可愛らしいスタイを選んで良かった。この子の白い肌に映えて、とっても可愛らしいんだろうな」

そう言って、優しい微笑みを向けた詩織さんに、ぐしゃぐしゃの笑顔を見せながら、圭介さんは「・・うん」と静かに頷いたのだった。

友美子さんが、沙也加の身体を抱き締める。
「詩織ちゃんだったのね。なんか、ずっと、そんな気がしてたの。あなたが、そこにいるんじゃないかって」

沙也加の中の詩織さんが言う。
「お母さん、今までありがとうございます。そして、ごめんなさい。私はもう行かなくちゃいけなくて。この子を、どうか、どうか。よろしくお願いします」

「謝ることなんて、一つもないのよ。詩歩ちゃんは、私にも、とっても大切な存在よ。
詩織ちゃん、貴方の生きた証しなんだから」

泣きながら、二人は顔を見合わせて笑ったのだった。


山口家での別れ際の玄関、
「あの、私、特別な力があるとかではなく・・。ほんっとーに、偶然の出来事、みたいな感じなので・・」
できれば今日のことは忘れて頂きたい、そんな気持ちだった。
圭介さんも「心配しなくても、誰にも言わないから、安心して」と言ってくれて安心した。
友美子さんには「同じマンションのよしみだし、こらからも遊びにいらっしゃい」と言われ、アハハ〜と視線を流す。
「あ、最後なんですけど、壁の飾りとか、集めてたぬいぐるみとか、もっと飾った方がいいかも、です」
そう言うと、圭介さんが目を見張ったあと、「・・・うん」とその目を伏せて頷いた。

詩織と圭介さん、同時に言葉を放つ。
「詩織さん、ありがとう」
「詩織ちゃん、ありがとう」

部屋から出て、何とかなった、とほっと胸を撫でおろす。
横を見ると、詩織さんがふう、と満足げにため息をついた。

「君はあの子を産んですぐ、壮絶な体のショックと混乱で目覚めが遅くなってしまったんだね。
迎えが遅くなってごめんね。」

「ううん、こちらこそ手間をかけさせて、ごめんなさい。詩織ちゃんも、本当に本当にありがとう」と最後まで、念を押して感謝をする。

「準備が出来たようだな」
女天使の声に、詩織さんが頷く。

「心残りが全く無いと言えば嘘になるけど、でも、良かった。生きてて良かったー!」

死んでるのに、生きてて良かったって、変な表現だな、と思いつつ、
「え、ここで?」と声に出してしまう。
こんな、マンションの狭い廊下で?

「場所など関係ない。この者に、迎える準備ができたら、その時だ」

その時、与えられるのだ。

詩織さんは、マンションの廊下から夜空を見上げ、驚いたような顔をする。
そして、これまで見たことがないような、穏やかな笑顔を見せた。
その瞬間、こちらを振り返ることなく、光に包まれていったのだった。

帰り際、沙也加の疲れはピークに達していた。何が何でも、一日のうちで、人間が理解できる範疇を超えた事件が起きすぎた。
最後の最後で、他人に身体を貸すなんて信じられない芸当もやってみせたのだ。

男天使は、気を失ったように眠る沙也加を横抱きに抱え歩く。
「歩かずとも、そのまま飛んでいけばよかろうに」
「お前に合わせてやってんだよ」
余計なお世話を、と眉毛をピクつかせながら答える。
「今回のことは、イレギュラーなことだ。ただでさえ、この人間の状態は不安定であるのに」
お前のせいでな、と付け足され、さらに眉毛が釣り上がる。

「この子もお前もさぁ、もうちょい時間かかるよ」

「だから、俺もそれまで、出来ることをする。お前も、人間界の勉強だと思って、気楽に頑張れ〜。」

そう言って飛び去っていく背中を見て、
「心底、腹の立つ奴だ」と呟く女天使だった。



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