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日々よしなしごと~清ちゃん大好き!その2~

清ちゃんこと、清少納言の「枕草子」にすっかりハマってしまったという話。その2・・・ちゃんと書けるのだろうか・・・若干心配ですが。

実はまだ全部を読み解いたわけではなく、今のところ2/3くらいだろうか。しかも全段でもなく、先生のチョイスした段だけなので、偉そうなことは言えないのだけどね。

それでも清ちゃんが、明るくて機知にとんだチャーミングな女子で、きっと当時の宮中でも男女問わず人気者だったことは分かる。
私も、もし同じ職場(宮中)の同僚だったとしたら、友達になりたいと思うだろうな。まあ、先方はどうか分からないけどね・・・・
案外人の評価は厳しくて、教養も知性もありとユーモアを理解し、打てば響くような会話じゃないと、面白くないわ~ときっと思われるだろうな~笑
まあ、ちょっと小生意気な女子でもあるのよね。

生意気と言えば、同時代に生きたもう一人の超有名な女子、紫式部は、清ちゃんに対してはあからさまにライバル意識むき出しにして、頭がいいことをひけらかす生意気でお調子もんみたいにこき下ろしてた。
そもそも、紫式部は一条天皇のもう一人の后、中宮彰子の女房役だったのだから。教養と知性と明るく機知に富んだ中宮定子の周りは、いつもにぎやかで華やかなサロンだったので、その中心にいた清少納言には負けたくない!と強いライバル意識があったのは無理もないこと・・・・

そんな中宮定子も、後ろ盾の道隆が亡くなることで、華やかな場所からは遠ざかることになるのだが(そうなってもいろんな人が訪ねてきていたのは、定子の人柄によるものだろう)、不遇となった定子の状況について清ちゃんは、一切の嘆きや愚痴もなく、淡々とむしろその中で起きた面白いことや楽しいことなど、若干の自慢も含めて書いている。

とにかく、イケメン大好き! ファッション大好き!

当時よく僧による講話は、当時の若い男女もたくさん来る楽しいイベントだったようで、今度の講話をする僧はイケメンだとか、どこどこの誰々はどんな色の衣装だったなど、事細かにかいている。
この衣装についての記述は、いろんなシーンに出てきて、どんな色の襲(かさね)だったとかの観察も鋭く、さながら宮中ファッションレポートのように書いている。

とても印象的だったちょっと衝撃?のエピソードは・・・
定子が、それまでいた局から別の住まいに移動せねばならなかった際、一時集合?のまったく初めての場所に来た定子付きの女房達は??

そこは、長い椅子のようなものがたくさんあって、側に梯子の掛かった高い塔のようなものがあった。中には若いまだ子供のように元気な女子が多くいて、彼女たちは初めて来た所に好奇心と少しの解放感で、長椅子に乗って飛び跳ねてみたり!、塔の梯子をよじ登ってきゃあきゃあ言いながら、上に上がって!といいつつお尻を上げてやったりと・・・当時は朱の長袴をはいていたのにも関わらずこの騒ぎ!まあ、なんとお転婆さんたちの狂乱騒ぎでしょうか! 笑
塔の梯子にぶら下がった、彼女たちの赤い長袴が風にたなびいている景色は、雅な平安時代の印象とは違うけど、なんとのどかで美しく、微笑ましいシーンだろう・・・
とはいえ、暴れた?あと倒れた椅子もそのままで、かなりお行儀は悪いけどね。あとで、係?のおじさんたちがびっくりしていたのも当たり前だわね。
いやはや、今の中学生や高校女子としょせんは同じだよね~と笑っちゃいました。
この段(何段だったか忘れましたが)とても好きな段です。

一方で、三十三段は男と女の情景・・・
朝、女のところから帰る途中の男が、通りかかり(以前自分のところにも通っていたらしい・・)、同じく早く帰った男を少し不満に思ってふて寝?している部屋に、勝手に御簾を上げて入って来るのを、ドキドキしつつ寝たふりをしている。男はしどけなく柱に寄りかかって、そんなに寝たふりしてよそよそしなくてもいいじゃないか、みたいなことを言う。
そこへ女の下に、帰った男からの後朝の文(朝帰りした後の文)が届く。男は自分も書かないと、と言って出て行った・・・・
というような、なんとも艶めかしい情景を書いている。当時は男女の関係はかなり緩やかでおおらかなのだが、これは自分のことなのか、だれかの話なのか、はっきりはしないけど、清ちゃんはこういうシチュエーションに少なからず胸をときめかして、恋も楽しむ女子なのよね。

ところで、
清少納言の夫(だった)は、橘則光という、どちらかというと体育会系の男で、和歌などは読まないし嫌い、人のいい裏表のない直球型の男。私は好ましい人間に思えるけど、清ちゃんにとっては、あまりに武骨で機微に欠けて話していても知的な会話などはなく物足りない、面白みに欠ける男だったようだ。今は別れたが、則光は人気者の清ちゃんとは兄妹の関係なのだと吹聴している。
ある時、中宮定子側とはライバルだった藤原道長と清少納言は通じているのではないか、つまりスパイ容疑のうわさが立った。確かに道長とは気が合う相手(出世するまでは)ではあったが、スパイなどするはずもない。騒ぎが収まるまで一時身を潜めていたところに、則光が、頭中将(清ちゃんの友人)が、清少納言はどこにいるのか教えろと責められたと訴えてきた。
その話、最初はまるでコメディのような内容で大爆笑だったのだけど、
その後の展開からのオチは、なんとも切ない清少納言と則光との決定的な別れになる出来事となったのだ。
清ちゃんは、この別れの顛末についても、まあしょうがないわって感じで淡々と語っているのだが、あとからよく考えてみると、このような別れになることをむしろ望んでいたのではないか・・・と気が付いた。
その時の清少納言の若干苦しい立場や、則光のこれからのことなどなど、清ちゃんなりに考えたことなのかもしれない・・・
千年前とは言っても、人間の心や人に対する思いや感情は、今と何ら変わらない。そんなことを教えてくれるのも、さりげなく語るこんなエピソードなのだと思う。

それと、もうひとつ秀逸なのは、自然観察の鋭さ。
冒頭の「はるはあけぼの・・」のような、季節それぞれの特徴や美しさをとらえて適格に表現することは、当時の文章表現としては斬新だった。
鳥や植物、虫など、本当に多くの種類の名前としっかりと区別も分かっていたことにとても驚く。人間の暮らしの周りに、これほどの多くの自然の動植物がいて、人々はそれらに全部の名前をつけて、時に楽しんでいた様子も分かる。日本人の季節に対する繊細な感性は、こんな自然の中で自然とともに暮らしていたからなのだ、とよくわかる。

エッセイという形をとりながらも、当時の社会情勢(あくまで宮中のだけど)や、宮中での暮らしや行事、習慣などなどが垣間見れるし、特に着ているものへの関心の強さからの記述は、例えば宮中に集う人たちはどのような出で立ちで集まり、男女問わず色とりどりの襲(かさね)や、裾を御簾の下や牛車からも見せるという習いをイメージしてみれば、華麗な色にあふれた色彩豊かな情景が浮かぶ。タイムスリップして実際に見てみたいと思う。

枕草子が、源氏物語と決定的に違うのは、実際にそこで生きて暮らしていた人々や、自分が見た景色や聞いた声、感じたことを素直に表現豊かに書いているということ。

そして、浮き沈みが日常的にあり、一瞬にして栄華と凋落が入れ替わることも、実感として清ちゃんがわが身のこととして常に覚悟していただろうということ。それでもなお、幸せだったその瞬間のことを自分が記すことで、中宮定子そして自分の最も輝いていた時のことを記録しようと思ったのだと。

清少納言がいつ頃どこで亡くなったという記録はない。おそらく、清ちゃんにとっては、中宮定子に仕えていた時こそが自分の人生といえるのであり、その後の自分や自分の周りを書くことにはなんの興味もなかったのではないか。そう思うと、明るくふるまっている清ちゃんの心の中にある「諸行無常」を感じてしまう。

まだまだ続く枕草子の旅だけど、清ちゃんの生きた瞬間をしっかりと読み解いて受け止めていきたいと思う。

ワクワクドキドキしながら!!


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