弱い心を持つあなたへ


「弱い心を持つ人」に伝えたいことがあります。

最近気づいたことがありました。
わたしは「強い人」に見えるんだということ

「強さ」はわたしが昔から渇望していたものだから、嬉しく思う。

だから今、そう見える(であろう)わたしから弱い心を持つ人に伝えたいと思うことがあります。
わたしがとてもとても弱いということ。

びっくりするほど些細なことでわたしはいちいち傷つく。

たとえば「普通のコーヒーください」って言われただけで、
ちくりと胸が痛くなります。あぁ、頑張っているのにな、と。
もちろん相手に悪意なんかこれっぽちもないと頭でわかっています、自分勝手な問題だとわかっています。
それでもじんわりと悲しい気持ちになります。
それはそういう弱い心だから仕方ない。誰も悪くないのです。

わたしは30年以上そのような弱い心を持ち続けています。

わたしが弱い心をどう取り扱っているかの話をしたいです。

わたしは傷ついたとき、自分の傷を無視したり、隠したりはしないようにしています。
理由はふたつで、
ひとつは傷つくことができる人は、優しくなることができるって思っているからです。
もうひとつは「傷つく」は感情のひとつの色合いで、わたしの中にしかない豊かさのひとつだから。

わたしよりずっと繊細で弱い人はたくさんいると思います。
そういう方に伝えたいなと思います。

誰かが気にしないことを気にすることは、
面倒くさいことでも悪いことでもなく、それがただあなただということです。
そして「ただあなただ」ということはとても尊いことです。

それを一度受け入れてみると、傷つくことによって起きる悪いことは「傷つく」ということだけで、そこから相手に責任転嫁したり、自分を責めたりする必要はないとわかります。さっきの「普通のコーヒー」の例えと同じことで。
傷つくと、人が傷つくことが見えたり読めたりするようになります。
そういう人の優しさにたくさん触れてきました。
わたしたちは傷ついた分優しくなれます。
痛い時、傷つく時、「この痛さはもしかしたらどこかの誰かの痛さと似ているかもしれない」と思い、それを刻んでおこうとわたしはいつも思います。

それともうひとつ。
わたしは感情をとても大切なものだと思っています。
傷つくこともその「感情」のひとつの「色」で、感情は持てる人にしか持てないものです。
それはハッピーでもアングリーでもサッドでもみんなそう。持てる人にしか持てない感情。擦りむいたことのない人は擦りむいた時の痛みのことを、想像するしかできないでしょう。

「感情的であること」ってなんだかあまりいいことに捉えられないけど、
わたしはそれをつとに不思議に思います。
今特に、こんな世の中になっていて、「感情」以外のことをいちばん重視して話をしても面白くないって思います。

日本には人間が減っていくでしょう。
その中で豊かさを見つけるひとつの手立てとして、感情は生きてくると思います。

そしてそのひとつの振れ幅である「繊細さ」は、持ち続けているのが大変ではありますが(傷つくので)、大切な色合いのひとつです。
だからわたしは大切に大切にひとつずつ傷ついていきたいってそう思います。ちゃんとその傷を見つめて、認めて、ちゃんと傷ついて立ち上がる。それを丁寧に、やる。

だからわたしはたくさん泣くし、たくさん落ち込むし、そしてたくさん感じてたくさん忘れます。たぶんいろんな人の立場になって考えることに、少なからず寄与しているようにも思います。

弱い人は弱いままでしかいられないとわたしは思うけど、それは大切なあなたの一部だから、隠したり塗ったりしないで大切にしてください。それで大丈夫だから。

そう伝えたいと、思いました。

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