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『炎三態』 / 谷本洋インタビュー 後編

ー伊賀で独立した後のお話をお伺いします。

 僕にとっては父(谷本光生)とアルチガスが師匠です。
 独立の際にも父の仕事場から100メートルくらいのところにアトリエを設けたんですね。やはり師ですので四十過ぎるまでは父に対しても敬語だったんです。軽そうに見えてもちゃんとしてるんですよ笑
 師である父の仕事を見ること、同じ道具や窯を使い、手伝うこと。背中を見ること、姿勢を見ること。技術以上のいろんなことを父から教わりました。もちろん全てを吸収する訳ではなくて、反面教師的な部分もあるんですね。それが良かった。自分の中で消化して人に見せる部分と溜め込んでいく部分とがあって、焼き物を続ける中でそれが明確になり、伝統を見直すきっかけにもなりました。

 本当に陶芸ってめんどくさいじゃないですか。窯と仕事場が必要で、それを構えちゃうと身動きが取りにくくなる。僕はローリング・ストーン陶芸家を自称していますので、もっとフラフラとあちこち行きたいのに伊賀にいなきゃいけなくなる。もちろん伊賀の風土や文化に触れることも必要ですし、「伊賀」という看板を背負っている意識もある。「伊賀にいないのに伊賀焼か」、と言われるのも癪なのでちゃんと伊賀にいるようにしてます。


ー二人の師との関係性の中で、独自の伊賀焼が育まれたんですね。

 そして「父」という存在を考えるに当たってコロナの自粛期間ってすごく良かったと思うんですよ。父が亡くなってから私の身の廻りに色々あって今までの陶房と窯が無くなり、アトリエの場所も変えることになったんです。今は伊賀市内の800坪くらいある工場みたいなところです。そこに窖窯もあります。
 今も手元には父の作品が多くありまして、コロナ禍の間にはこの作品たちと向き合う時間がたっぷり取れた。対峙してみると、この時父が何を考えていたか、どういう状況でこの作品が生まれたのかが見えてくる。焼き方については四十年間父の側にいて全て関わっていたので理解できる。それがすごく良かったんです。
 そうして私が引き継いだ父の作品や表現や姿勢を世に残したいしもっと伝えたい。ですので父の技法で焼いている作品に関しては「光生伊賀」と名付けています。
 いわゆる「古伊賀」には筒井伊賀、藤堂伊賀、遠州伊賀などの分類があります。それに倣い、昭和の時代に頑張った父に敬意を持って「光生伊賀」というものを興したいんです。父が示した技法やスタイルを総合したものが「光生伊賀」とご理解頂ければと思います。


谷本洋『光生伊賀茶碗「風の音」』

ーではこの「光生伊賀」の特徴はなんでしょうか?

 窖窯とか登窯で焼くと、どうしてもブツブツ感が出ますね。あれは石でもなんでもなくて灰が固まって溶けてないものが多いのです。「古伊賀って荒々しくていっぱい石ついてますよね」って皆さん仰るんですけど、実は窯の最後にかかった灰が溶け切らずに残ってブツブツ感になる。そして茶碗にブツブツ感があったら使えるか?ということなんです。父はそれをすごく意識していたはずです。最終的に薪の窯と灯油窯を駆使して、薪の窯で焼いたものを灯油窯で焼いたり、灯油窯で焼いたものをまた薪の窯で焼いたりしていたんですね。
 昔私はそのやり方にすごく反発感を覚えていたんですけどね。コロナ禍の間に色々考えて自分でもやるようになった。そうすると父がやっていたこと、言ったことがすごくわかってきたんですよ。

 例えばこんな話もあります。美濃の人間国宝の鈴木蔵先生は「桃山時代の人がガス窯を持っていたら、絶対にみんなガス窯を使って焼いたはず」と仰っています。志野を焼くために、意図的にコントロールできる範囲を現代の技術によって拡げたんですね。だから新しい伊賀焼というものがガス窯や灯油窯でできるんならそれはそれでOKだなと思います。ただし自分のこだわりとして、一つの作品を薪の窯で必ず一回は焼くことにしてます。そうして薪窯と灯油窯でキャッチボールしたような作品を私は「光生伊賀」と呼んでいます。

ーすると「光生伊賀」とついていないものは薪の焼成のみということでしょうか?

 そうですね。私の作品の3分の2くらいは薪だけで、残りの作品は光生伊賀。最近では光生伊賀が多くなっていますけれども。


谷本洋『伊賀茶盌』



ー 薪で一度は焼くところに「伊賀」らしさと言いますか、これが伊賀焼と定義できるポイントが生まれてくるのでしょうか?

 自分のこだわりでもあります。今の若手の皆さんの流行りで「土を掘ってきて云々」というのがあるじゃないですか。もう僕らの世代はそれを体験しているので笑 
 最近はそこがクローズアップされて、一生懸命土を探したことにも価値がついたりしますけど。でも僕に取ってはやっぱりそこに+αで造形なんです。もっとトータルの部分が重要です。原土をアピールしてるだけは自己満足ですし、逆に造形だけというのも自己満足です。
 
 もちろんこれは僕だけの考え方なので、それが全てと誤解してほしくはないんですけど。コレクターであったり使う人であったり、持ってくださる人のところに、つまり自分から手が離れたところに重要性があるんです。そこをちゃんと成立させないと時代を越えて行かないと思っています。先日はたくさんのお茶の先生たちを前にした講演会をしまして、その際にもお話しましたが、やっぱり誰が持つのかということが大事です。その手にした方が使ったり飾ったりして先に繋げてくださる。工芸はそういうあり方が残っているから時代を越えてきているんだと私は考えてます。現代陶芸というのはそこの意味合いが少し違う気がしますね。
 ただ考えようによっては今の伝統的な焼き物も現代陶芸の中に入っていったり、逆に現代陶芸も重なってきたり、それがベン図のようにリンクしていく。現代陶芸も見立てによってはお茶道具として使えるかもわからない。それがベン図のちょうど重なる真ん中の部分です。

ー作品からは陶芸のための陶芸ではない、アトリエの名前『音土』にもリンクする風通しの良さを感じます。

 音楽というのは僕にとって重要です。僕は20代の時ハードロッカーだったんですよ。ライブハウスや学園祭に出たりして。本当に一回だけ陶芸をどうしようかな、と思った時があり、実はミュージシャンになりたかった。ご覧の通りやっぱり陶芸を選ぶわけですけれども。
 作るに当たっても、作品を見る時にも、造形もさることながらリズムやメロディがあるかを見ています。リズム感が悪い人のはやっぱりだめなんです。昔の人で有名なのは、小山富士夫さんの轆轤でスピード感もリズム感も抜群で作品も素晴らしい。テンポがちゃんとしている。30代の頃に一度、とあるコレクターの方に「最近の谷本さんリズムが狂ってるよ」と言われたんですね。その頃はバブルの最中で、自分もそのバブルのリズムに翻弄されていたんじゃないかと思います。最終的には自分のリズムを取り戻して、例え売れなくなっても自分のリズムで作っていく。だから音楽的なものというのは凄く意識しています。


谷本洋『伊賀茶器「風の音」』

 
 そして昔の人たちもリズムは持っていたんだと思います。
例えば桃山時代でも生活や祭りがあったり、お経を読む時とかそういうリズムというのが近くにあったんでしょうね。あえて言えば現代の方が、あちらこちらでいろんな速度があってリズムが乱れて掴みにくい時代かと思います。
 それと「音土」というのはOn Doでもあるんですよ。この年になるとDoまで行くのに気持ちを入れないといけないので笑
ですから今年もたくさん展覧会を入れて、リズム良く作ってリズム良く発表できるのが理想かな、と思いますね。

ー白白庵での展覧会は初めてですがどんなことを意識されてますか?

 当然自分が今取り組んでいることを出していくんですけれども、自分の中では何個か引き出しを持っていますので、他とは少し出すものを変えたいという気持ちがあります。「風の音」シリーズと、「光生伊賀」と、「陶匣」シリーズとですね。


ー「風の音」シリーズは「光生伊賀」との違いはなんでしょうか?

 形ですね。普通は轆轤を挽いてヘラ目を入れたりしてお終いなんですけど、そこからさらに削ったり足したりして形を整えていきます。
 シンプルなんですが口を柔らかく持っていくのが風の音シリーズ。風そのものはどこに行っても同じ風でも、自分自身の居場所や思いが変われば、京都と日本海で、あるいは海外で感じる風は違いますね。自分の感覚が違うんです。だから茶盌を見てそれぞれにどこかの風を想像していただいたら僕は嬉しいですね。その音もそれぞれの感覚で違いますし。


谷本洋『伊賀陶匣花入』



 自分はいつも轆轤の前に座って仕事をしますが、この陶匣はたたら作りなんですね。粘土の板をある程度上に持ち上げても自立する硬さにして組み合わせエッジを効かせるんですが、窖窯だと前と後ろで火の強さの違いがあってどうしてもちょっとづつ歪むんですね。寸法を測ると四角でも1~2ミリズレてるんですよ。最初はピッタリ合わせて作ってるんですけど。まぁそれもいいかなと思って。エッジを効かせつつ柔らかく。これも音と関連してるかもしれないですね。


ー最後に、今回の展覧会にはどのようなことを期待しますか?

 作品は同じでもステージによって見られ方は全然違いますね。
 白白庵だと他の場所とは箱も違えば展示方法も変わります。そして今回は三人展。おそらくそれぞれに共演の部分と競演の部分とあるかと思います。
自分の作品は自分の分身ですから、凛として立っていてくれてるのか、他と手を繋いでいるのかとかいろんなことを確認したい。楽しい共演ですし、楽しい箱ですし、作家も個性豊かな方々ですので、私の作品が皆さんにどうやって響くか、どのように見られるかは興味抜群ですね。
 
 それともうひとつだけ。今回はお茶とお花とお酒とあり、ご来場いただいた皆さまに五感を働かせて楽しんで頂きたいですね。五感で感じたものは忘れないじゃないですか。本当に楽しみですね。

谷本 洋 TANIMOTO Yoh
(アトリエ 音土|伊賀)Atelier ONDO / Iga
1958 陶芸作家(伊賀焼)の父・谷本光生と、服飾デザイナーの母のもとに生まれ幼少の頃から伊賀焼と接する。伊賀・京都にて陶技を学ぶ。
1982 個展・グループ展にて作品発表を始める。
1984 渡仏。パリにてデッサン・油絵を学ぶ。
スペインの造形作家J.G. アルチガスの助手を務める。
パリ郊外にアトリエを設け、作陶を始める。
1988 独立。伊賀焼・谷本洋陶房を開く。
yohtanimoto@instagram

~ 火 土 花 茶 酒 これぞ春の五大元素 ~

春爛漫・百花繚乱茶会 2024 『炎三態』

会期:3月30日(土)~4月7日(日)
*木曜定休 時間:午前11時~午後7時
会場:白白庵、オンラインショップ内特設ページ

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