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才能に寄り添う

昔から、天才という言葉に弱い。
永遠に手に入らぬ憧れ、といった感じだ。

幸いにして、
「食べていける人が限られている」と言われた
「好きなことを仕事に」しているので、
全く才能がないわけではないのかもしれない。

ただ、そういったちょっと特殊な仕事をしていると、
圧倒的な才能に出会う確率も高くなる。

世に名前の通った同業者などをみてしまうと、
技術的なこと、感性、ビジネスパーソンとしての資質、
全てにおいて、その方と自分の間の果てしない距離に眩暈がするほど。

周りに「天才的」な方が増えたおかげで、
水面下での足掻きの一部を見せていただける機会もあり、
天才が何の努力もなく天才で居られるわけではないことはわかってきた。

そして、才能がある人全てが、一定の地位に就いていたり、
世の中に認められているわけではないことも。

どれだけ才能があっても、花開かせられない環境、
というものがある。

例えば、高等教育を受けなければなれない職種に
適性を持った人がいたとして、家庭環境によって、
大学進学を諦める、みたいなのが、想像しやすいかな?

これは私の持論なのだが、
「才能は神様からの借り物。
持って生まれた才能は、人類全員の資源であり
決して無駄にしてはいけないもの」
だと思っている。

ところで私は、天才的な同業者と真っ向勝負しても、
叶うわけもない。

学生時代柔道をしていた、昔の同僚が
「天才がサボってたら勝てるけど、
天才に努力されたらどうしようもなかった。
だから俺はいつも、銀メダルしか取れなかった」
と言っていたのを、折に触れ思い出すのだけど。
(いや、銀メダル取れるなら充分なのでは?は、置いといて)

天才は往々にしてサボることなく、
「努力を続ける才能」も、持っているような気がする。

じゃあ、どうする?どう戦う?

…まあ、何が<勝ち>で何が<負け>だかわからないし、
戦う必要はないのだろうけど。

圧倒的に強い1枚のカードは持っていないけど、
そこそこ強いカードを何枚か持っているのが私。

だから、掛け算をする。

僅かな才能と僅かな才能を掛け合わせて、
圧倒的な1枚を持っている人が、
そこに集中できるようにサポートする。

それが私が神様からのお借りした才能なんじゃないかな、
と思う、今日この頃。




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