見出し画像

名前がつかない苦しみ

昨日、病院の待合室の窓から景色を見下ろしながら、考えていた。
「あなたは○○病です」と言われるのと、またいつものように「特に異常はありません」と言われるのと、どちらが辛いだろう。
どちらも辛いな、何で診断してもらおうなんて思ったんだろう、怖い、帰りたい…。

生まれついての虚弱体質だ。

仕事柄、何10kgのキャリーカートを引き回し、
「近畿エリアならどこでも行くよー」などと言って受注し、
仕事に行った先で、おもしろいもの、きれいなものを見つけては写真を撮り、SNSに上げて…
などしているので、あまり信じてもらえないけれど。

そもそも生まれる前の、母との血液型不適合に始まり、
・乳児の頃は喘息持ち、
・幼稚園の頃に肺炎を起こすも、発熱しないため死にかけ、
・二十歳過ぎくらいまで、毎年のようにインフルエンザや酷い風邪をひき、何度も40℃以上の高熱を出し、
・高校生で既に、原因のはっきりしない腰痛持ち、
・何かと言ったら瞼や唇やお腹が腫れ、
・手足には年1くらいで、謎の紅斑が出現し、
・朝礼や通学の電車やバイト中などに失神して倒れ、
・息を吸うと咳が出たり、布団に入ると咳が止まらなくなることが度々あり、
・眩しくて痛くて目が開かなくなり、
・一時期は胃炎で栄養が吸収できないため、毎日コントのように巨大なブドウ糖注射を打たれて、液漏れで巨大な青アザになり、
・耳鳴りめまいは日常茶飯事…
みたいな、人生だった。

おかげで
・バリウム飲む
・脳のMRI撮る(危うく、脳に検査用のカテーテル入れられるところだったのを、別の病院でMRIにしてもらった)
・甲状腺機能の検査
・大腸カメラ
・百日咳の検査
など、様々な検査を受けてきた。

ところがほとんどの検査では異常がなく、病名がつかない。
今も耳鼻科に通院していて、副鼻腔炎はレントゲンではっきりしたけれど、メニエール病は“疑い”のまま、服薬している。

昨日は、突然あちこちが腫れる現象の原因がわかるか?!という血液検査だったが、やはり「異常なし」。
「こうやってずっと、症状はあるのに名前がつかず、根本的な治療ができないまま、一生過ごすのかな?」と、さすがに泣きそうになった。

病名がつかない=辛い症状がない、なら、めでたくありがたいこと。
でも、実際に痛かったり、辛かったりする。
なのに、名前がないから、
・今後の見通しが立たないし、
・他の人に辛さをわかってもらいにくいし、
・自分でも「甘えなのか?」と疑うことになる。

きっとこれ、発達障害のグレーゾーンの人も、同じような辛さじゃないか?

はっきり「あなたはメニエール病です」とか「あなたはADHDです」とか言われると、ショックもあるけど「甘えじゃなかった、自分のせいじゃなく、病気のせいだった」と安心できる部分もある。

同じ病気の人と交流して情報交換ができたり、病気によっては治療に補助があったり、現実的なメリットもある。

反面、病名がつくことで、他の病気の可能性を排除してしまい、結果的に命取りになる危険もあることから、医師も敢えて断定しないこともあるらしい。

難病の方の体験談で、確定診断を受けるまでに、あちこちの病院に行き、違う病名がついて違う病気の治療をしたり、「異常なし」で原因不明のまま過ごした時間の苦しみが語られるのを、聞いたことがあるだろう。

正しく名前をつけること、は難しいけど、それによって気持ちの整理ができて救われる。
そして、名前はつかないけれどそこにあるもの、を認め、受け入れることもまた、救いになる。

病名がつかない不安を鎮めようと、一駅分を歩いたり、咲き始めの桜を愛でたりしながら、そんなことを考えた。

一駅分を歩ける人は多分、病人ではなく元気なんだろうけど(笑)。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?