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⭐️学び:レッテル貼るにはまだ早い

人間は、何でもかんでも「あの人は…」「これはね…」と奇妙な名前をつけて断定的に判断しようとするようだ。

ぼくの分野においても「椎間板ヘルニアで…」と病名を痛みの原因かのように話す人は多い。

「で、その原因は?」と問うと「椎間板ヘルニアです」と繰り返すのみである。

病名をつけるということは現状を固定して理解するということでもある。しかし、諦めてしまう理由にもなっている。当然、それ以上考えたこともない。

「椎間板ヘルニアにどうしてなるのか」「そうならどうするべきなのか」「何がいえるのか」など考える余地は残されている。それが解決する方法だったりもする。

いつも現状を変更させることができるかが問われるのだが、そう考える人は多くない。

「あの人は◯◯だ」「私は◯◯だ」と決定づけてしまうと気は楽になるかもしれないが、変更の余地はある。

ぼくは、そういったことを証明しようとして自分を実験台に使う。
ぼくはいつもそこからどう考えるかということばかりを考えているが、変更不可というのもあるが、多くの場合変更可能だ。

変更可能にするのに必須なのは「意志の力」である。

「もうダメだ」と言う必要のない局面でそう言ってしまうと、どうすることもできない。
「これは◯◯だから…」と結論づけるには早過ぎることの方が多い。「そこから何がいえるか」「それをどう考えるか」と問うことで、違う自分になる可能性がある。

大それたことを考えないのなら、さらにその可能性は広がるのだ。

何事においても名前を付けるクセがつくと「どうせ◯◯だから…」と言って諦めてしまいがちになるものだ。

気をつけたい。


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