見出し画像

哲学: 苦しみから逃れるために楽をする

今日はもっともらしい題名を付けたが、内容はノウハウにはなっていない。

ぼくは苦しいことが嫌いだ。いつも逃げる戦略を考えている。その方法がいくつかある。

ストレスへの対処には「闘う」か「逃げる」か「死んだふり」といわれる。ぼくは逃げるを選択する。

こうやってnoteをほぼ毎日投稿するのも、苦しさから逃げるためだ。
書くと頭の中が整理されて心地良く感じるのだ。書いていないと大切なことも忘れ、何をどこまで理解しているかもわからなくなるのは非常に苦痛だ。

絵もほぼ毎日描いている。五分でもいいから描いている。これを描きたいと思った時に描けないのが苦痛だからだ。

運動も出来る限りする。動けなかったりへばるのが苦しいから嫌なのだ。

苦しいことからは全て逃げるつもりだ。

勉強をしたがるのも、知らないことを知らないままにしているのが苦しいからだ。知ると心地良い。

思うよりも考える方が楽なので「考える」を選択する。

苦しんでいる人を見ると「みんな根性あるなぁ」と思う。
ぼくなら、もっと逃げる方法を考えて楽な方へ行きたい。そのためならなんだってする。考え方すら変えてみせる。

そうやって楽なことばかりを選んできた人生がぼくの人生だ。これからも苦しくない限りそれを続けるつもりだ。
苦しくなったら他の方法へ切り替えればいいと考えている。

現在の日本の世の中においては、苦しさから逃れることは可能なように思える。ただ、少し労力は要る。当たり前の話だ。

楽に生きることは「普通」でしかないかも知れないが、その「普通」を手に入れることすら難しいのかと思える時もある。
楽な生き方をしない人は、きっと苦しいことが好きなんじゃないかと思う。

ぼくは楽をするためになんでもやっている。そんなに難しいことなのか。楽するためなら何だってやればいい。

こうやって投稿の記事を書いていると、とても楽になる。
人にもお勧めするが、何を勘違いするのか「そんなしんどいことようせんわ!」と言われる。
「違うんだって、この方が楽になるんだって」と思うが伝わらない。悲しい話である。

そう言わない方が楽なのかも知れないが、言わない方が苦しいのでやっぱり言う。
楽になる方を選択することばかりを実践した方が楽な生き方になる。当たり前の話だ。

楽だと思って仕事もせずに家に引きこもっていると生活が苦しくなる。気分も良くない。楽ではないのだ。それなら働いた方が楽なはずだ。

そうやって楽な方を選べばいいだけだと思うのだが、なぜか多くの人は苦しい方を選ぶ。不思議だ。

この記事が参加している募集