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心理: 人間への関心

人間関係について苦慮することは誰にでもあるものだ。先日、人見知りの話を書いた。その続編でも書こうかと思った。

人間関係で悩みたくないなら、人間を知るにかぎる。
そのためには人間に興味を持たなくてならないと思っている。
好きとか嫌いじゃなく興味を持つことだ。

そこそこにうまく生きている人は自分にしか興味がなく、自分の生き方は間違っていないと思っているはずだ。当然、ぼくの記事は何の役にも立たないだろう。

反対に、ぼくは、そこそこうまくいっている生き方をしている人には何の興味もない。何の役にも立たないからだ。興味をもったからこそわかったのだ。

しかし、人間を知り自分を知りたいと思っている人には、ぼくの話は、確実に役に立つと信じている。
なぜなら、ぼくの役に立っているからだ。自分と他人は同じだからである。

人間に興味を持つことだ。

世の中に悪い人はそういない。
車を二時間運転していれば、変な奴は一台か二台だ。それ以外は良識のある人だと思う。

ぼくは以前、車を運転していると、後ろを走るTOYOTAの黒い大きな車が車間を詰めてきた。適度な速度で走っているにもかかわらずだ。
ぼくにも普通の心理が働く。

たまたま休憩する所に入ると後続車も付いて入ってきた。
ぼくは、何か言いたいことでもあるのかなと思って、車外に出てそいつを待った。
ぼくの横にその黒い車は駐車した。男が出てきたので、何か言ってくるだろうと待ったが、目も合わさずに男はトイレに駆け込んだ。

悪い人じゃなかった。勝手にイラついた自分を恥じた。

本当に悪い奴もいるが、思い込んでいるだけでそうでもないこともあるはずだ。

同じ人間にでも警戒心を抱くことは、自分を守るという良い働きがあるのは確かだが、それも度を超すと、人間関係を自分から壊していくことになる。

そんな人はその自覚すらなく、自分は間違っていない、他人は敵だと見方を継続する。

実は、自分が最もややこしく、周りの人に要らぬ心の労力を使わせているものだ。

少なくとも「自分は敵ではない」という何らかのアピールはした方がいい。

警戒心の強い犬であっても、尻尾を振ってくれさえすれば、こちらも安心していられるのと同じ理屈だ。

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