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心理: 人見知りを考える

「自分は人見知りで…」と言う人がいるが、人見知りについてあまり悩んだりしないようだ。悪いことだと思っていないからだ。

「内弁慶」と言われる人もいる。この両者は関連がある。

人見知りはコミュニケーション障害とは違う。少し極端に言うと「家族以外は敵だ」という心理だ。

他者に対する強い警戒心ということだ。

人見知りの人がよく言う「慣れたら喋れるんだけど」という意味がそれを表している。
慣れるとは何に慣れるのかの答えがそれだ。

内弁慶は味方である家族は裏切らない、許してくれると信じているからそうするのだろう。

ぼくは何度も記事にしているが「自分は特別である」という心理は「自分以外は敵」という心理にもつながる。

現実社会では、他人であっても良い人はたくさんいる。

身内であっても信じてはいけない人はかなりいる。
親が死んだ後の揉め事なんてよい例だ。

ぼくは常々「他人であっても良い人を探す」と思っている。
noteの世界でも「この人良い人だなぁ」と思う人がいる。ぼくはそんな人を大切にしたいと思っている❤️

人見知りは性格ではなく、人間を性善説として観るか、性悪説で観るかの違いだ。

性善説で観る人は人当たりが良く気さくだ。
性悪説で観る人は、本音を隠し、自分や血縁者だけに関心を持ち他人を理解しようとしない。気難しい傾向がある。

内弁慶は、家族内ではやっかいな人になりがちだが、本人は血縁者は許してくれていると勘違いしていることも多い。家族に迷惑かけているとは思っていない。

ぼくはというと性善説でも性悪説でもない。

哲学のおかげでそんな心理傾向に引っ張られることなく、観察して良い人をいつも探している。人間は言葉を交わしてみないとわからないからだ。それから判断する。

そのおかげで人間関係で悩むこともない。
反対に、悪い奴には手厳しい仕打ちをするので嫌われてもいる。

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