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何のために働くのだろう。考えてみた

こんなことをテーマにしてみても「人それぞれ」という言葉しか返ってこないだろう。たしかにそうなのだ。
ただ一つ共通することは「何かに貢献する」ということだけだ。何も貢献しない仕事というのは仕事ではないといってもいい。

何に貢献するか、何に貢献しようとしているかが自分の仕事である。
給料泥棒なんて言われている人を見ると、心が落ち着かないのは、何にも貢献していないようにみえるからだ。それでも本人は、自分や家族に貢献しているつもりなので、仕事をしているつもりになっているだろう。

偉そうなことを言いそうになるが、ぼくにはその資格はない。
ぼくは自分の好きな仕事を選んだので、人生を賭けるほど働き、休むよりも仕事、自分よりも他者への貢献として働くことができている。
しかし、もし、今の仕事でなければそうしていたかというと、やっていなかった確率がとても高い。

今の知識なら「貢献することが仕事」だと思うが、それは今の仕事を通してわかることだ。
ぼくは仕事に救われているだけなのだ。

「働くというのは貢献すること」だとはっきりと言えるが、そうしなさいと強く言えないのは、「たまたま」によって出会う仕事に影響を受けるからだ。
同僚や会社の方針にも影響を受けるはずだ。

人生を賭けるほど好きな仕事に出会えることができれば、貢献することが仕事だと言えるかもしれないが、そんな仕事に出会うまでに、人生の旬を過ぎてしまうに違いない。

そうなら、どんな仕事ならいいだろうかと考えるよりも、自分は何に貢献できるかを考えた方が健康的だと思う。
それに気づくことができれば、少なくとも自尊心を維持することができる。

人間は何かに貢献しなくては生きていけない。
貢献するというのは、与えるばかりでなく道徳的に生きることも含めてである。邪魔しないこともそうだ。有害なことは何一つ貢献しないといっていいものだ。
邪魔をせず、できるだけ貢献しようと心がけるだけでも仕事ととして成り立つかもしれない。
結局、働くというのは、何かに貢献するしかないのだという結論から逃れられないようだ。