⭐️学び: あるべき姿は現実化しないものだ
人々が描く未来像の多くは幻想だ。
悲観的なことを言いたいのではなく現実的なことを言いたいのだ。
心の煩悶についての話を聞いているといつも、「こうあるべき」「こうなるはずだ」といった思い込みや期待が現実化しないことに苦しむようだ。
そして、それを「生きづらい」と表現することもある。
ぼくのこれまでを振り返ってみても、思い通りに生きてきたとは思うが、理想通りに生きてきたとはとても言えない。だからといって苦しむことはない。
理想の現実化は時代や環境、運などが大きく左右することを知っているからだ。
条件さえ合えば、世間で言われるような、かなりのことが出来ていたと想像できる。
しかし、現実はうまく理想と合致しないものだ。だからといって苦しんだりはしない。
たまたまうまくいくこともあるが、うまくいかないこともあるのが現実だ。優劣とも一切関係ない。
人間は劣っているということに耐えられない生き物だが、優っていると思うと調子に乗る生き物でもある。そういった現実もある。
また、他人の行動から学習してきた経験から、一面だけを見て、他人を羨ましいと自分を卑下することもある。
先日、結婚したけれど子供ができなかったという話を聞いた。生まれたのは煩悶だ。
結婚すれば当然のように子供ができると思っていた理想が、現実ではなかったということへの煩悶だ。
現実にはよくある話なのだが、それを自身が経験してしまうと穏やかではいられないようだ。
世の中は「これが当然」といった思い込みがある。それを刷り込まれた人は、そうでない自分を卑下する。勘違いだ。
また、子供のいない女性に対して「子育てして一人前だ」という女もいるようだ。
その女を「一人前」と認める人がいるだろうか。いない。
他人が傷つく言葉を選択する者は確信犯である。そういった現実は人間の理想像とは違うが現実だ。
理想を追うことと現実を生きることは違う。
違いを楽しむことは健常だが、その違いや差をあれこれ思うことは健常から離れてしまう。
この分野についてはもっと言いたいことがあるがこれくらいに。