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表現すること

この写真は末っ子が描いたうちの『トラ』が水を飲んでいるところ。
ホワイトボードに描いてあって、とってもいいなと思った。
なので、白い生地に刺繍してみた。

うちの子供たちは、それぞれ違う。
みんな違うけど、ちょいちょいなケンカ?もするけど仲良く毎日楽しそう。
すごくうるさい
でも、すげーなって思う。
話しがわかる
日常生活は、ダメだけど

本題だった・・・

そうそう
『表現すること』について
子供の頃の私の夢は、『芸術家になること』だった
これは、小学校一年生の時には『絵描さんになる』と言っていた。
ある時、
幼馴染のお家でご飯をいただいている時かな、
幼馴染のお母さんが、『芸術家なんて、自分でそういってしまえばいいんだよ、今、言っちゃいなよ』みたいなことを言ったのだ。
えっ?芸術家なんて滅相もございません!って思っていたけど、それって刷り込みだったってその時にわかった。
そして、イケイケで強気な中学生
その時から密かに私は『芸術家』になっていたのだー。

私は、5、6歳の頃から絵画教室に通っていた。
たまたま、イタリアから引き上げてきた芸術夫婦がいて、教えてもらうことになった。私は、描くこと自体が楽しかったので、当時は先生のこともとってもすきだった。

よく先生から言われたのは、あなたは、小さい頃からこの教室に通っているんだから絵がうまくて当たり前。学校で誉められても浮かれないで頑張れって。
そのままを受け止めていた。
だから、たいしてうまくもないのにプライドが高くなっていた。
けど、才能なんてないんだから、ちゃんと絵の勉強をして、練習をして美大に入れとも言われていた。
そこで、そうゆうもんか、って。
私の中で、何かが小さくなったことを思いだす。
切ない〜

でも、デッサンや構成やテクニックなど知って描くだけで楽しかった。
基礎が大事なのもよくわかる。
哲学や歴史や背景があるのもわかる。
それはそれで面白い
いまやっても面白いと思う。

でも、描けなくなっっちゃったよね
周りの気に入る絵しか
自分の本当に描きたいものとは違っていた。

十代は隠れて描いてた。
隠れて描くものを評価されることは、とっても嫌だった。
私そのものだから。
だから隠していた。
でも、絶対的な自信があった。(何を表現したかったなんてわからないような未完成で未熟なものばかりなんだけど)
下手だってみんなにわかってもらえなくたって何だって、
なんの根拠もない自信があった。
先生にはぜったに見せないスケッチブック。。。
でも、中学生くらいの時に、一度だけ見せたような・・・
思い出してきた
こんな風に描くには、まだ早いとか、
もっと基礎を頑張れ そんなことをいわれたと思う
やっぱりな 私なんて
って」思ったのを覚えている

(思い出したぞ。書いているうちに思い出してきたぞ。
誉められても疑いがあったり、心底よろべない自分の種はここにあった!!
よし、今日燃やそう!
やったね!)心の声の中の声が
備忘録的に書いているので。。


それはそうだろう
と思った。
先生とは、付き合いが長すぎて、、色々あったな
今は、全く連絡を取ることもない
『まりは、早く家を出て弟子入りでもしたらいい」って言われてたなあ

先生に言われたからではないけど、
その後、弟子入りしたしなあ。
その後の弟子入りも強烈を極めた感じだったけど・・
思い返してみると、芸術は私の人生に大きな影響を与えてくれた。

そんな背景もありつつ、
母になってからは、めっきり描かなくなった。作らなくなった。
フライヤーくらいは描いたけど、そのほか、描きたい衝動に駆られるようなことはなくなった。

というか、表現の形が変わったんだ。
絵も、造形も、そもそも、魂の声って言うと大袈裟かもしれないけど、
自分を表現することだから、料理だって、掃除だって、音楽だって
ヨガだって言葉、
生活そのものなんだと思う
瞑想も同じこと

何か形に残そうと思うと、頭が働き出すのがわかる
頭で考えずに、
これだ!これでいいのだ〜〜〜!!!ってなってる
子供をみると本当にすげーって思う。

そのままを表現することを自分に許可してください
できている人も多いけど、
できずにいる人、
周りがこうだからとか、
こうあるべきは捨てて、
いいと思う。
(あ。破壊的に人を傷つけるような表現はなしです)

と言うことで、
子供の描いたそのまんまの自信たっぷりの
私の魂、あなたの魂を賛美して
みんな表現者で、自由な魂だということを忘れないよう

『水を飲むトラ』(トラとは、うちの猫様です)
を刺繍してみたって話でした。



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