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noteはじめて。


note使い始めたころ
どなたかの記事
読むたび

「読みました」
その表現代わりに
スキ押しまくった

「読み物」
「長文」
こういう作品こそ
必ず
お返事は決まってた

「「読んでからのスキ」
ありがとうございました!」

意味がわからなかった

読んだから
スキ押したけど
なんなの?

その書き込み増える度
「読んでも無いのに
スキ押すな」

そういう
意味合いに受け取れた

毎度読むたび
読了の意味合いで
スキを押す

その度
「読んでからのスキ」

から始まる
礼文が書かれる

コメント交流は
続かない会話であった

自分の思い通りの
コメントやコメント返信は
こないものと
最初から思ってる

しかしこれほど
対話を拒む返信は無いなと
苦笑いしながら読んだ

クリエイターが
揃えば
表現は様々
衝突も避けられない
ボクはそう思う

クリエイターで
無くても
同じ傾向の人間を
揃えると
争いがおこることは
知られている

頭が良すぎても
悪すぎても同じ
「自分」を主張する

まして
個性を輝かせる
場所では我も我もと
争いになりやすい

もちろん
争いを好まない人
心に刃を持つ考えの人

表向き仲良くして
悪く言う人
陥れる人

ここまで書くと
内容に疲れてくる
きっと読んでるほうも
ぐったりする

簡単にまとめると
そんなことは
最初からあるあるだから

繊細に傷つき悲しい想い
ばかりだと続かない

読んで感動したり
コメント書いて
嬉しくなったり
気分のいいものだけ
読むようにするしかない

他は読んでも
スキを押さないように
過ごすようにした

どなたかへの
記事の反対文だったり

名前をふせた
悪口記事だったり
とても疲れた

「たすけて」連呼して
本気にして声かけてる人に
暴言吐いてる記事もあった

新進気鋭の
クリエイターさんの
表現なのだろうけど
ボクには対応能力がない
なので参加しない

初見は
「助けに来た人に
悪口云うなんて!」
そういうキモチだ

本当の本質は何なのか
表現の自由があるので
もしかして
何かあるかもしれない

しかし入口で
ボクのキモチは
大渋滞

だから
否定はしない
単純な表現かもしれない

ボクの亡き母は
音楽が好きで
レコードもCDもたくさんある
様々な分野がある

サンバ。ボサノバ。
クラシック。
SOLE。バラッド。
民謡。動揺。
ロック。パンク。スカ。

書ききれない
日記や音楽感想に
記されてる

音楽は偉大
国境無く
たくさんの人が
楽しめる

本のジャンルも同じ
母は書籍のことも
世界中の様々なジャンルの
感想を残してる

それに似てる
そう思ってる
ブログ記事も
書籍と同じ

表現の仕方が
全く違っても
読む人がいれば
ファンもいる

自分には合わなくても
それをチョイスする人も
たくさんいる

今は作家に
コメントとしてすぐに
通信できる
なのでその返信との
ギャップでがっかりしたり
そういうことが多い

ただそれだけ
そう思うようにした

「読んでからのスキ」
ありがとう
そう云われると
残念なキモチになるのは
ボクだけで
他のひとは

何とも思わず楽しんでいる

ボクが記事を更新すると
2秒ぐらいでスキを
くださるときがある
ボクはそういう時は

読んでるのではなく
「今から読みます」
そういう意味合いだったり

「更新したんだね!おはよう」
とかの意味合いだろうと
思ってたりする

どんな風に読むのか
はたまた読まないけど
フォロワーさんだから
「スキ」押しとこうって
考える人も
いるのではないだろうか?

ボクはそれぞれの
自由で楽しむことが
いいことだと思う

noteはボクには
大量の無料書籍読み放題
ツールだと感じてる

料理本、動物図鑑
哲学書、倫理本、音楽本
詩集、日記本、伝記、自伝
歴史書、様々あって
読んでいて楽しい

そのうえ
書き手の多くが
同じ世代を生きていて
書かれたのが
今日や昨日
こんな凄いことはない

誤字脱字のまま
構成されるまえの
生原稿を読んでいるのだ

そして気づく
「読んでからのスキ」

あの作家さんは
長文書く人であった
読んで欲しかったんだろうな

複数人で交代で書かれてる
そんな作品であり
暗い夜の海のような
素敵な作品だった







読了ありがとうございます 世界の片隅にいるキミに届くよう ボクの想いが次から次へと伝播していくこと願う 昨年のサポートは書籍と寄付に使用しています 心から感謝いたします たくさんのサポートありがとうございました