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【コロナ引きこもり日記】 Day64

64日目 7月9日(木)

今日も昼頃に目が覚める。昨日の労働で疲れ果てたせいか、それとも元々か。

タイトルを考えるのが億劫になったので、前のスタイルに戻す。タイトルを考えている時間を、他のことに充てたいと思います、はい。

今日はインターンもないので、特に何もしなかった。

ランチに、グリーンカレーをむさぼる。タイならではの独特の辛さがたまらない。母が仕事でひいひい言っている横で本を読み、就活の対策をして、スマホをいじって、Netflixを見る。そんな木曜。

『泣きたい私は猫をかぶる』をいうアニメ作品を、Netflixで観た。私はこれまで、というか今も、「来世は猫に、俺はなる!」と思って生きてきたのだけれど、このアニメを見てちょっと考えさせられた。猫になるということは、確かに何も考えなくていいし、楽だし、のんびりとした生活を送れることは間違いないし、誰かから愛されるような飼い猫になれればそれはもう堪らないけれど、人間でいることの喜びを覚えているとすれば、それはまた違ってくるかもしれない。

人間には人間の、猫には猫の、それぞれの良さがある。人間では愛されなくても、猫では愛されるかもしれない。逆も然り。もちろん、私の来世は猫作戦は継続中である。けれど、やはりこのアニメのように自由に猫と人間を入れ替わることができたら、どうだろう、、?

人っていうのは不思議なもので、何かを失ってから初めて、その良さに気がつくものである。いつもうるさい親が急に死んでしまったら、初めてそのありがたみや偉大さに気がつくように。人間を辞めたいと思っていても、いざ人間を辞めた時は、やっぱりあの時はよかったってなるものなんだろうなと思う。なかなか深い議題である。永遠に考えられそう。

なかなか良作だった。是非お勧めしたい。ヨルシカの主題歌も相まって全体的にエモい雰囲気を作り出している。猫の恩返しをふと思い出した。

そういえば、猫を題材にしたアニメは割とたくさんあるけれど、犬を題材にした作品はあまり見ないような気がする。犬の恩返し、とかでもいいよね。なんで犬ではなく、猫なんだろう?自由気ままそうだから?わりと多くの人が、「猫になりたいな」って感じているという現れなのだろうか。うーん、謎だ。

そして夜遅く、このコロナ渦だからこそできる画期的な事業を母とふたりで思いついてしまった。天才かもしれない。就活やめて起業しようか迷うレベルである。まあ就活はする。

ああ。今日は、猫になりたい。

おやすみ。


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