見出し画像

置かれた場所で咲いてみよう

 今年の共通テストは劇ムズだったようですね。

 改定された受験制度をあまりよくわからないのですが国公立大を受ける皆さんには、それなりに影響がありそうです。理科系で工学部志望の人達に特に言いたいですが、偏差値を下げても国立大の方が就職には有利です。昔も今もあまり変わらないんじゃないかと思います。別に都内や大都市部にこだわる必要はありません。
 また、理科系は偏差値だけでは測れない一面があります。国公立大学、私立大学にも得意分野があります。プログラムが得意、建築の構造が得意、土木が得意、合成化学が得意…などなど。どの大学の何が得意かなどは私の偏見が大きくなるので言いませんが、よく調べて受験してください。

 今回は不動産など何の関係もない話をします。これはオバちゃんの戯言と聞き流していただいて構わないです。

 

 30年以上前、私も受験生でした。
 私は老舗薬科大学という区分の大学を卒業しています。
 正直なことを言うと…滑り止めでした。私は滑り止めでメシを25年以上食ってきたのです。

 都内の国立の理科系も受かりましたが、親が入学金を払っちゃったということで薬科大学に進学しました。私の出身大学の当時の授業料は今の半分以下でした。(当時から入学金や寄付金などをバッチリ取っていた薬学部もありますが…)また、母の従妹が薬剤師だったということもありました。この母の従妹は新卒で入った病院に定年退職まで在職したのだそうです。なかなかいそうでいません。この年代の人は寿退社する人の方が多いのです。

 その後、仮面浪人もしましたが失敗しました。

 高校の同級生に「どうして国立に進学しなかったの?」とか「変わってるよね」「どうして薬科大なの?」とか、散々言われました。

 そして入ってからはとても後悔しました。よその大学の多くが合成化学で「モリソン・ボイド」という教科書を使うのですが、うちの大学はちょっと易しめの教科書でした。易しい教科書の方が、きっちり基礎が身につくのです。うちの大学のレベルを考えたらその方が良かったでしょう。私はそんなことをちっともわかりませんでした。こんな大学に行ってもしょうがねぇや。と半ばヤケクソな気分でした。

 こんなこともありました。分析化学の授業で同じ実験でチームを組んだ生徒が、単純な溶液の濃度の計算ができなかったのです。びっくりしました。要するに中学入試のレベルです。もちろん口に出してバカにするようなことはしませんでしたが…。(逆にその子の方が意地悪だった。笑)推薦で入学する生徒も多く、生徒間の基礎的な学力差はだいぶあったのではないかと思います。今はだいぶ推薦入学の数を減らしたようです。今の国家試験は私が卒業した当時より、かなり難化しているので、試験慣れしている一般入試の生徒が多い方が大学にとっても有利でしょう。大学ごとの国家試験合格率は毎年発表されるのです。

 大学では友達も彼もいて、普通の若者として何不自由なく過ごしてきました。そんなこんなで、学校生活をかなり適当に過ごしていたので卒業まで1単位足りなかったのですが、卒業試験の結果が良かったので先生がおまけしてくれて卒業できました。この時ばかりは卒業させてくれた先生方に感謝しました。(今も感謝していますよ…)

 就職活動もあまり頑張りませんでした。うちの大学で出世というのは実際あまり期待できません。私が卒業した当時、男子の多くはMR(製薬会社の営業)になります。女子は病院やドラッグストアなどが多かったです。うちの大学は大手の調剤薬局に就職する人はあまりいませんでした。

 国家試験を一発で通った後(うちの大学は国家試験の合格率が悪かったです。今ではベスト10に入っていますが…)、しばらくして中小の病院に就職しました。そこで基礎を覚えました。あまりいい選択肢ではありません。薬学生の方々は私を見習わないでください。病院で就職をするなら大きな病院の実習生になった方がいいです。数多くの処方に触れる方が勉強になります。症例や処方が多い施設がいいのです。

 ちょっと脱線しますが、大きな病院と言っても入ってみなければわからないこともあるでしょう。ある大学病院から調剤薬局に転職してきたパターンで、エラくプライドが高くて面倒な人が複数いました。おそらく、その病院の教育がきちんとしたものではないのでしょう。基本的には薬剤師は患者様から「先生」などと呼ばれちゃいけない立場なのではないでしょうか・・・。患者様が相談しやすい空気を纏っていなければいけないのです。OBの話や学生向けの講演会などをよく聞いてから就職した方がいいですね。


 お世辞にも私は薬剤師としていいコースを歩んできたわけではありません。最初に就職した病院も上司がねずみ講にハマっていました。病院薬剤師の給料は安いので怪しい副業に手を出す人がたまにいます。詳しくは言えないですが、働く環境があまりいい病院ではなかったですね。この上司が辞めた後もスッタモンダがあったようです。今も営業していますが潰れかけている。というのを風の便りに聞きました。ダメな病院って薬剤部の職員がコロコロ変わることが多い気がします。給料が安いっていうのが主な原因なんですけどね。

 仕事で「ここで働いていい経験になって良かったなぁ」と初めて思ったのは、出産後パートに入った大手の調剤薬局です。もちろんぱぁホームとは売上高も社員数も二桁以上違う一部上場企業です。
 その会社の店舗の中で、一人当たりの処方箋枚数が当時日本で一番多い店舗で働いていました。中は体育会系です。電話の受け取り方や言葉遣いなど徹底的に仕込まれました。何かあると裏に呼び出されました。(って言うほどそんなに多くないですが…)上司は「医師はお客様なのだから、丁寧に接しないといけない」とよく言っていました。病院は意外と言葉遣いなどが雑なのです。初めて「まともな会社ってこんな生活なんだ…」と思いました。部長がいて課長がいて管理薬剤師がいて…って会社らしい会社でした。

 あまり詳しく言えないのですが、算定に関してノルマがありました。今は服薬指導の質が求められますが、当時は数をこなすことの方が大切でした。一人当たり3分で説明するように言われました。この時は私も必死で仕事を覚えました。ここで仕事を覚えたので他でも食べていけるようになったのです。また、この大手調剤薬局にはうちの大学の出身者はほとんどいませんでした。初めて広い外界に出たような気持ちになりました。働いている人達もみんないい人達で、家族を連れてきてもいい飲み会を開いていました。後にも先にもあんなにいい職場はありません。そして3年半ほど経ち、引っ越しをしたのでその店舗を辞めることになりました。

 その後は商社系のドラッグストアでパートに出た後、派遣会社に属してほぼフリーで働くようになりました。子育てや介護などを私は優先しました。派遣で良かったのは契約が月単位だったことです。叔母(父の妹)を看取っていますが、その時も契約をすぐに打ち切りました。派遣では新店立ち上げとか、ちょっとここでは書けないような事情があった会社(複数あるよ。笑)にも行くことができました。それはそれでいい経験でしたね。

 というのが、大学を出てその後の私です。ざっくりこんな感じです。

 説得力はないかもしれないけど、滑り止めでメシを食ってきた割には稼いだ方だと思います。時給は多いと3500円。休日出勤、急ぎの欠員を埋めるための募集、深夜残業の入る仕事だと軽く4000円を超えました。言っておきますが、今の薬剤師の時給はこれほど高くないです。薬剤師人口が増えてきていることなどもあって時給や年収が下がってきているのが現状です。


 私が何を言いたいか…「置かれた場所で咲きなさい」ということです。ノートルダム清心女子大学学長だった渡辺和子先生の言葉です。
 受験を失敗して滑り止めに入学したとしても、そこでベストを尽くしてほしい。
 大学や職場は御縁があったから入ったのです。そこで知り合った友達、先生、同僚、上司…みんな縁があったのですよ。

 滑り止めだから悪いのか。恥ずかしいのか。決してそんなことはないです。どんな場所でも必ず学びがあります。学びっていうのは勉強だけじゃなくて、人との接し方とか、違う考え方を知るとか…他者があるから自分もあるということを知る…そういうことも含めます。私個人の考えです。少々押し売りではありますが…。

 そして、我が子が受験で第一志望や第二志望に受からなかった親御さんへ一言。決して親の希望を我が子に押し付けないでください。息子の同級生の保護者の中に、◯◯大学に絶対合格しろ。と言った方がいたそうです。子供の人生はあなたの人生ではありません。あなたの考えを押し付けないでください。

 置かれた場所で咲きなさいとは言うものの、仕事に関してはブラックな職場なら無理して継続する必要はないです。他にも例があるとすれば、親が毒親だったら、学校の先生がヤバい人だったら、イジメが半端ないんだったら、そこから逃げた方がいいです。助けを求める、助けを探すことも大切です。
 とにかく自分の身体と命が最優先です。

 薬剤師になってからは仕事を打ち切られないように、それなりに努力をしました。大学(うちの大学ではありません。付属の病院があるような大学の講習会です)に通って認定薬剤師も取ったし、ExcelやWordも身に着けました。書籍代も惜しみませんでした。
 ちょっと内輪ネタですが、派遣先でなるべく分包機を使わせてもらうようにしました。メーカーによってメンテナンスの仕方も違います。同じ派遣先に再度呼ばれれば、なるべく行くようにしました。一度行ったところに数か月経ってから指名されるのは嬉しかったです。
 仕事では、その時々で最良の方法を見つけることを心掛けたつもりです。


 どんな人だって生きている以上、もがくんです。怖がらなくても大丈夫。   

 受験生の皆様、あと数週間ベストを尽くしてください。

 その先に新しい出会いが待っていますよ。


ぱぁ大家コラム

https://www.rakumachi.jp/news/archives/author/paadennen

実践大家コラム 楽待不動産投資新聞

https://www.rakumachi.jp/news/practical


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?