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虐待は絶対ダメ。って、それで終わっていいのか?

こんにちは。えめです。

最近、福祉関係の虐待事案が
よくマスコミで流れてきます。

多分、虐待が増えたんじゃなくて、
マスコミが今取り上げることが多いだけな気がしますが…

あまりにもたくさん流れてくるので、
ちょっと辛辣かもしれませんが、
思うところを…

虐待はダメで終わるニュース


虐待はダメですよ。
それはそうです。
なんてひどいことをするんだって。
それもホントそうです。

で?

なんで虐待に至ったの?

虐待した人の話が聞きたい。
責めるんでなく、聞きたい。

背景を知らずにダメっぽいもの叩いて、
それで終わる?

それはただのエンターテイメントじゃない?

福祉施設の現状は「収容」

そもそも、
保育園にしろ、発達支援施設にしろ、
精神科病院にしろ、高齢者施設にしろ、
あれって、
…「収容」感がありますよね。


私はこれらの施設で、
普段から利用者と提供者で
サービスについての話とかをやり取りをしてるところをほとんど見ません。

だいたい、一方的にスタッフが話を進めるか、
「保護者」的な立場の若い大人が勝手に決めていく。

「こうしていきたい」という話を、
子ども、障害を持つ人、精神疾患を持つ人、高齢者、本人がスタッフと対等に話しているところをほとんど見ない。

話が出来ていない、
というか、話ができると思っていない。

「〇〇だからわからないよ」
って言葉、何回聞いただろうか。

「収容」された本人の心

たとえば、
登園拒否をしている子どもに、
先生が「任せてください」と、少々強引に教室に入れるやり方があります。

これ自体が必ず間違いとは言わない。
けれど、私の息子は、
それで外出恐怖症になりました。

登園しぶりをした際に、
私は本人が納得するまで話をしてから送り出すつもりだったのですが、
先生が息子を捕まえて教室に強引に連れて行くという方針を取ったことがありました。

その日を境に、息子はしばらく外出恐怖症になり、園は退園に。
まともに夕方まで保育園に行けるようになったのは1年以上後のことです。

あの連れていかれるシーンを見て、
「なんか収容所だな…」と感じました。

プロなので任せはするのですが、
プロなので本人と話さないっていうのは違うと思うんです。

地域の人も「収容」だと思ってる気がする

別の話になりますが…

訪問看護で、かなり重ための方へ訪問した時の話です。
その方の。唯一同居していた親御さんが亡くなった場面に立ち会ったことがありました。

救急車がかけつけると、人気のない住宅街にも少しの野次馬が。

近所の方が心配していたのは、残された本人のこと。

「あの人1人で、火事とか起こさないかしら?隣とか、ねぇ?」

私達の正体を知っててわざわざそんなことをこちらに言うのだから、そういうことだろう。

地域の人の利用者さんに対する「収容」感を感じたシーンでした。

スタッフの爆弾発言も闇が深い

いろんな話が出てきてすみません。

発達支援をしているスタッフのセリフに、
かなり今のを感じるものがあります。

「障害者を10人くらい役所でばーっと自由行動させて、おろおろする職員を眺めたい」

こんな事を言うスタッフがいました。

あなたはどこにひっかかりますか?

障害者をなんだと思ってるんだ!
と思いました?

確かに表現はちょっとひどいです。

でも、障害を持つ人は自由でいいはず。自由行動しているのは当たり前なのです。
だから、職員も通常業務として対応はしなければなりません。

だけど、現実もしそんなことをしたら、
役所職員はやっぱり混乱して、
「担当ならちゃんと見ててください!」ってスタッフが文句を言われるのでしょう。

スタッフは本人が困らないように援助する人であって、周りの人が困らないように援助する人ではないと思うのですが。

障害を持つ人が困らないためなのか、
社会が混乱しないようになのか、
人々が安らかに過ごしたいからなのか、
障害を持つ人は完全な自由は認められていない感じですよね。

一般の人?は理解を若干放棄して、
施設に投げている風潮もありますよね。

じゃあ一般の人?の本音は?

「一般の人」の言い分は、
あまり口には出さないものの、
これだと思います。

「障害とかある人たちだけ理解して理解してって、そっちは私達のこと理解してくれるの?
いつも何かしてって感じの雰囲気出すけど、こっちだって余裕ないよ」

そりゃそう。
「一般の人」とはいえ、
それぞれに悩みはありますし、
支援を成り立たせるお金も働いてまわしていかなければいけない。

「障害を持っている関係なしに、人の悩みを聞く余裕がない。なんなら私の悩みを聞いて。」
というのが率直な意見でしょう。

だから「収容」が必要みたいな話はおかしいと思いますが、むしろ「一般の人」も援助欲しい人けっこういますよね。

「収容」感あれば、虐待も起こるのは必然

一般の人は余裕ない。
施設スタッフは丸投げされる。

1人の困難が丸投げされるのではなく、たくさんの人の困難を丸投げされる施設。

高齢者施設は政府の息が少しかかるのでまだゆとりはありますが、
保育園や発達支援等の施設は丸投げされている上に、賃金が安いです。

賃金が安ければ、ポリシーのない人材も業界にたくさん入ってきます。

いろんな人材がガチャガチャして、
人手不足に。

そして、「収容」感のある施設では、
なんとなく自身を「上」の立場だと錯覚してしまったスタッフが、利用者と上手くコミュニケーションを取れないで、何かやらかす。

それが今の虐待の流れじゃないかな?と。

つまり、
・福祉施設対象者を「下」に見てる世間
・みんな余裕がない
・福祉施設の賃金が安い

これらの状況から、虐待が発生するのは必然の流れで、社会システムの問題だと思います。

「虐待はダメ」とか、言うのは簡単ですが、
簡単に言われても困る人もいると思います。
(誰の肩をもつわけでもありませんが、ダメだから叩くって昭和の四角いテレビじゃあるまいし…)

大した知識もなくですが…

とりあえず、一つ目は、
国がお金ないよねって話。福祉施設系の賃金
は国のお財布と関係あるので。

国がお金ない理由は、
「普通」至上主義にあるんじゃないかな、と。
サラリーマン優遇しすぎ。
優秀な人、才能ある人、着眼点の違う人、排除されちゃうから発展しないし、
ぶら下がり社員っていう給料泥棒が大量発生してます。
税金をたくさん納める会社は、仕事しない人に給料払ってるケースたくさんありそう。
法律上、採用したらなかなかクビにできないですもんね。

会社の評価の仕方とか、クビに関する法律とか、フリーランス系の見直しとか、いろいろ整理が必要じゃないかなと思います。

排除されていた人が社会の歯車に戻る。
要支援者が減って、納税者が増える。
財布から出るお金が減って、入るお金が増える。

どこもかしこも膿出ししたらいいと思う。


そしてもう一つ。
心の発達についてもう少しみんな勉強した方がいいと思います。

虐待するのも、話聞けないのも、心の発達が絡んでる。
一般の人が余裕ないのも心の発達が絡んでる。

保育園は心の発達に超重要な施設で、国の進退を決める大切な施設です。
早く予算当てて、賃金を上げて、人を補充して、スタッフの質を上げて欲しい。

保育園の子達は15年後には福祉施設のスタッフになりますよ。
虐待しない心を育てて欲しい。
また、保育園の教育が、ダイレクトに10年後の精神科を決める、発達支援を決めると言っても過言ではありません。

で、今、みんなの心の発達を救うには…
私も頑張る。

心の発達を成長しないといけないと気づいている人には、成長サポートの支援を。
発達の必要性に気づかなくて社会に負担をかけている人には、少し厳しめの試練が必要なので、試練にぶち当たった直後のフォローを。

そういう、バレーボールでいう「レシーバー」みたいな人が出てくれば、大胆な改革もできるよね。

膿出しして、出されちゃった人も、悩んだら社会に戻してあげられるように。

そこは私もやります。

だから、ちゃんとみんなで悩んだらいいんじゃないかなーと思います。

じゃないと、
いつまでも健康でいられるとか絶対なくて、
明日は我が身です。


最後まで聞いてくださり、ありがとうございました🍀

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