王たちのサイクルと「霊の幻視」あらすじ
1.王たちのサイクル
アイルランドの伝承では、「神話サイクル」、「アルスターサイクル」、「フィンサイクル」の三つのサイクルが有名です(拙記事参照)。しかし、実はその三つとは別の、あまり知られていないサイクルがあるのです。それが「王たちのサイクル」(またの名を「歴史サイクル」)です。これは、伝説及び史実上の諸王に関する様々な伝承群のことを言います。
「王たちのサイクル」の特徴は、他の三つのサイクルと異なり、実在の王についての伝説も存在し、虚実が入り混じっているという点です。例えば〈9人の人質〉のニアル (Níall Noígiallach) という王は、四世紀後~五世紀初頭にアイルランドの大半を支配したとされる実在の人物です。しかし、彼に関する伝説は数多の神話的モチーフに彩られており、とても史実とは思えません。歴史と幻想の区別が曖昧なのはアイルランドの神話全体の特徴ですが、それがこのサイクルでは特に顕著だと言ってもいいかもしれません。以下に、王たちの一部とその代表的な伝説を列挙していきます。
2.諸王とその伝説
・〈9人の人質〉のニアル (Níall Noígiallach)
四世紀~五世紀初頭に君臨したとされる。「ウィ・ネール朝」という王朝の祖となった人物であり、高王を称してアイルランドの広い範囲を支配し、また積極的に外征を行った。彼はテオドシウス帝(在位379~395)の時代にブリテンやガリアを略奪したが、ガリア遠征の最中、ロワール川の河畔で自らの配下に暗殺され、405年に没したという。〈9人の人質〉の形容辞については複数の伝説があるが、初期アイルランドにおいて「人質」とは契約の担保として預けられるものであり、これはニアル王が複数の国を配下に置いたことを意味する。彼の名を冠する王朝「ウィ・ネール朝」は、六世紀~十世紀にアイルランドの北半分を支配した。「エハッハ・ムグメドーンの息子の冒険」(Echtrae Mac nEchach Muigmedóin) は、彼が父エオヒズ・ムグメドーンの四人の異母兄たちを制し王権を手にした過程を物語る。
・〈百戦〉のコン (Conn Cétchathach)
伝説上の王。二世紀の高王とされる一方で、異界の王とされることもある。「コナハト」(Conn-acht) の名前は彼コン (Conn) にちなんだものとされる。その治世の初期、彼はある小国と絶えず戦をしており、そこから「百戦」の名がついたとされる。後の伝承ではフィン・マックールが彼の時代に生まれ、コンは彼に助けられたとされる。「エオガン大王と〈百戦〉のコン」(Éogan Mór & Conn Cétchathach) では、三人の王によって治められていたマンスター国を、アイルランド南部の大王エオガンが支配しに行った。戦いの末、三人の王のうち二人は死に、エオガン大王が勝利した。しかし一人は生き残り、北の有力者コン王に助けを求めた。コン王は彼に兵を与えたが、結局エオガン大王に殺された。そして今度は彼とコン王の間に戦いが起こり、マグ・レーナの戦いでコン王がエオガン大王を殺して勝利した。
・コルマク・マク・アルト (Cormac mac Airt)
〈百戦〉のコン王の孫。フィン・マックールと同時代の王とされ、フィンたちの活躍はほとんどが彼の時代のことである。西暦227-266年の40年間の治世。伝説上の諸王の中でも最も有名な一人であり、彼の治世下では仔牛がたった三カ月の妊娠で生れ、あらゆる尾根が大袋一つ分の小麦を実らせるなど、国土が不思議な豊かさを誇った。正しい王の治世では超常的な方法で国土が豊かになるのが、アイルランドの宗教的観念である。「コルマクの冒険」(Echtrae Cormaic) では、彼はマナナーン・マク・リールと懇意になり、魔法の枝をもらった。それと引き換えにマナナーンは三つのものを要求した。一つ目は彼の娘であり、二つ目は彼の息子、そして最後に妻を要求された後、彼は囚われた三人の家族を助けるため、マナナーンを追跡した。すると彼はある城にたどり着き、そこで様々な不思議な冒険を経て、最後には家族を取り戻した。
3.〈百戦〉のコンにまつわる伝説「霊の幻視」あらすじ
さて、最後にコン王の伝説である「霊の幻視」(Baile in Scáil) をあらすじ形式で以下に要約します。
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