ケルト神話の神々の王、ダグザについて
ケルト神話の神々、すなわちトゥアサ・デー・ダナン(ダーナ神族)の中で一番「偉い」神様は誰でしょう?
この問いに「これだ」とはっきり答えるのは難しいですが、最も有力な候補の一人は、ダグザ (Dagda) です。いくつもの話で重要な役割を果たす神ですが、一方で滑稽な面もあり、笑い者になることもあります。ダグザの性質を説明しながら、そこから示唆される神的性質をみていきましょう。
なお、以下に述べるダグザの解釈はおおむね 'The Dagda, Thor and ATU 1148B: Analogues, Parallels, or Correspondences?' (John SHAW, in "Temenos", vol. 55, no. 1, 2019, pp. 97-120) に則ります。私個人の意見の場合、それと分かる形で示します。
1.概要
まず最初に、ダグザがどのような神か、ざっと説明しておきましょう。
彼は神族トゥアサ・デー・ダナンの王であり(唯一のではないですが)、戦士であり、魔法使いであり、詩人であり、演奏者であり、また建築家でもあります。彼はあらゆることができます。彼の持つ魔法の道具は、戦士としての武器でもある棍棒、竪琴、そして人々の胃袋を満たす大釜です。彼は年老いた男性的性質の強い神であり、父権の象徴のような存在です。一方で神話のなかでは笑い者となることもあります。
それでは、これらの点を、一つ一つ具体的に調べていきましょう。
2.名前
2.1.「ダグザ」という名前
ダグザ (Dagda) という名前は、「マグ・トゥレドの第二の戦い」で「良い神」と説明されますが、その「良い」とは、普通に想像される意味とは異なります。
「マグ・トゥレドの第二の戦い」は、神族トゥアサ・デー・ダナンと悪魔フォモーレ族の神話的戦争の物語です。トゥアサ・デー・ダナンはフォモーレ族に屈辱的な支配を受けますが、反撃を画策し、話し合いの場を持ちます。そこで、一人一人が自分が戦争で果たす役割を並べ立てたところ、最後にダグザが、「私はそれらを全て一人でやろう」と言ったところ、「あなたはダグザ(良い神)だ」と言われるのです。この「良い」というのは、「優れている」というような意味で用いられていると考えられています。すなわち、ダグザは全能の神であるということです。
実はこの名前には定冠詞がついており、Dagdaではなく正しくは In Dagda と書かれます。つまり、これは固有名詞というより、一般的な言葉の組み合わせと言った方が近いということが示唆されるでしょう。また、この説明はあまりに筋が通りすぎているため、元々の名前ではなく、後付けではないかとも考えられています (Shaw 2019)。
2.2.別名
ダグザには、およそ20もの名前があります。その中でも特に注目されやすいものを紹介しましょう。
一つ目はエオハズ・オラサル(Eochaid Ollathair;またはエオフ~(Eochu))、〈強い父〉エオハズです(「全ての父」とされることもある)。「エオハズ」(Eochaid) という名前は、アイルランド語の「馬」(ech) からきている、あるいは同語源であるとされますが、馬という動物はアイルランド、及びインド・ヨーロッパの文化では極めて特別なものです。この名前が暗示するのは、父権的な天空神です (Shaw 2019) 。それはもう一つの名前からも示されます。
もう一つの別名としては、ルアズ・ロエッサ(Ruad Rofhessa)、〈偉大なる知〉のルアズです。「ルアズ」Ruad とは「赤い」という意味で、「赤毛」の意味で解釈されることもあります。〈偉大なる知〉がすなわち「全知」の意味であるとすると、それはインド・ヨーロッパにおける父なる天空神がもつ特徴の一つであるため、ダグザが天空神であることの根拠の一つとなります (Shaw 2019) 。
最後に取り上げる名前は、アスゲン・ンベセ (Athgen mBethae) 、「世界の再生」という意味です。この直接的な名前は、ダグザが宇宙秩序(コスモス)の守護者であることを雄弁に告げています (Shaw 2019) 。それはこれから述べる他の複数の性質からも考えられます。
3.ダグザが持つ魔法の道具
ダグザが持つ道具として、知られているものは三つあり、それぞれが魔法の力を持っています。大釜、棍棒、竪琴です。
3.1.大釜
ダグザの魔法の道具のひとつ目は、無尽蔵の大釜です。「マグ・トゥレドの第二の戦い」冒頭では、「いかなる集団も、満足することなくその釜のそばを離れることはなかった」と述べられています。
大釜は、ケルト圏では広く使われ、遺物としても神話的モチーフとしてもあらわれます。遺物としては、デンマーク出土の「グネストロップの大釜」が最も有名で、銀製の大釜の側面に神話的な図像が描かれている、貴重な資料です。
ケルト神話の中には、ダグザのものと同じような〈豊穣の大釜〉のみならず〈再生の大釜〉もみられます。
インド・ヨーロッパにおける天空神の特徴の一つが豊穣・多産をもたらす能力であり、この無限の大釜は、まさにその性質を示すものと言えます (Shaw 2019) 。
3.2.棍棒
ダグザは武器としてほぼ常に棍棒を携えています。この棍棒には二つの先端がついており、荒い先端で叩かれた者は死に、滑らかな先端で叩かれた者は生き返るのです。「いかにしてダグザは魔法の棍棒を得たか」では、次のようになっています。
テクストの冒頭で、神族トゥアサ・デー・ダナンの「魔術の良い神 (dagdia)」のアイズ・アヴァズ、ルアズ・ロエッサ、エオハズ・オラサルの三つの名を名乗る神(すなわちダグザ)は、アイルランドの高王ルグとの戦いで、息子ケルマッドを失いました。彼は息子を生き返らせるため、死体を背負って旅に出、東方で三人の兄弟に出会います。彼らは父の三つの宝物を運びながら旅をしており、その中には魔法の棍棒がありました。
「お前が見ているこの偉大なる棍棒は」と彼(三兄弟の一人)は言った、「滑らかな先端と荒い先端を持っている。片方は生きる者を殺し、もう片方は死者をよみがえらせる」(中略)「その棍棒を俺の手に持たせろ」とダグザは言った。そして彼らは棍棒を彼に貸し、彼はその棍棒を三度彼らの上に置き、すると彼らは彼によって死に、次に彼は滑らかな先端を息子の上に置き、そうすると彼(息子)は力と健康に満ちて立ち上がった。
この後、生き返った息子の訴えにより、三兄弟は棍棒の力で生き返りますが、その代償として棍棒はダグザに貸し与えられます。そしてこの棍棒によってダグザはアイルランドの王となりました。
また、この棍棒は極めて大きく、台車で引かねば持ち歩けないそうです。その引きずった跡が溝となり、地形すら変えてしまうとされます。
彼は、動かすのに八人がかりの車輪付きの熊手を引きずっていた。そしてその跡は領域の境界の溝として十分なほどであった。それはそのため「ダグザの棍棒の跡」と呼ばれていた。
これは、現実にある長大な溝の由来を神話的に説明したものと考えることができるでしょう。
Shaw (2019) では、ダグザの持つ建築との関係(後述)が、「宇宙の造営者」としての側面の表出であり、上記の性質もその一環であると考えられているように思われます。
この溝を作り出すという性質について考えてみましょう。以下は私の考えですが、ここで言及されている溝は、領域の境界としてのものであり、ある土地と別の土地を区別するために不可欠のものです。すなわち、あるものと別のものとを区切り、分けておくという機能です。分けておくべきものが分かれているという状態、それを秩序ある状態(コスモス)というわけです。すなわち、これもダグザが先述したような宇宙秩序の擁護者であることを指し示していると考えられるわけです。
3.3.竪琴
ダグザの持ち物の三つ目として、魔法の竪琴があります。これは不思議な竪琴で、悪魔フォモーレ族に奪われてしまうのですが、その中にダグザが「旋律を縛り付けて」おいたため、フォモーレ族には演奏できませんでした。ダグザはルグ神、オグマ神とともにフォモーレ族のもとへ行き、詩によって魔法をかけ(後述するその粗野な外見に似合わず、詩的洗練も持ち合わせている)、手元に来るよう竪琴に呼びかけました。すると、竪琴は、途中で9人のフォモーレ族を殺しながら、ダグザのもとへ飛んできました。ダグザは竪琴を手に取って、悲しみの音楽を奏でました。すると女たちが泣き始めました。次に喜びの音楽を奏でると、女たちと子供たちが笑い始めました。最後に眠りの音楽を奏でると、フォモーレ族はとたんに眠りに落ち、そのためダグザたちは無事に戻ることができました。
4.ダグザの様々な側面
ダグザには他にも特徴がたくさんあります。それらの特徴を簡単に言えば、彼は極めて男性的な存在であり、その威信を高めるものもあれば、逆に貶めるものも、神話の中に記録されています。
4.1.笑い者ダグザ
ダグザという神は偉大な存在である一方、「マグ・トゥレドの第二の戦い」では笑い者にされるような滑稽なエピソードがあります。
トゥアサ・デー・ダナンの王ルグ神がダグザを斥候として、また侵攻を遅らすため、フォモーレ族のもとに送り出しました。フォモーレ族は、ダグザをこけにするため、粥を作ることにしました。王のもつ大釜で粥をつくり、それを地面に掘った穴に流し込みました。その上で、粥を食べなければ殺す、とダグザに言いました。ダグザはさじで粥を食べ始めましたが、しまいには指で地面をほじくっていました。それから、腹がいっぱいになったダグザは眠りこけました。その腹はとても大きく膨れており、それを見てフォモーレ族は笑いました。(「マグ・トゥレドの第二の戦い」より要約)
この場面に引き続いて、彼の外見描写を含む次のエピソードがあります。
フォモーレ族の野営地を離れたダグザは、腹が大きくなりすぎて、移動に支障をきたすほどでした。彼が身に着けていたのは外套とと馬革の靴とチュニックで、それは彼の尻の膨らみまでしか届いておらず、その長い陰茎がむき出しになっていました。歩くうち、彼は美しい娘を見つけ、その娘を欲しましたが、腹があまりに膨れていたので、なし得ませんでした。彼女はダグザを嘲り、彼と取っ組み合いはじめ、ダグザは彼女に投げ飛ばされてしまいました。彼女は自分がフォモーレ族の王女であると明かし、彼に自分を父のところまで背負って行かせると言いました。それから今度は彼を馬乗りになって叩き始め、すると彼は糞便を出し始めました。彼は、自分を名前で呼ばない者は誰も運ぶことができないのが自分のゲシュ(禁忌)であると言い、それから名前を名乗りました。しかし娘がその名前を呼ぶたびに、どんどん長く訂正していくのでした。最初はフェル・ベンと名乗り、次にはフェル・ベン・ブルアッハと、それから最後にはフェル・ベン・ブルアッハ・ブロガル・ブロウミジェ・ケルバズ・カグ・ロガグ・ブルク・ラヴァル・ケルケ・ジ・ブリグ・オラサル・ボス・アスゲン・ンベセ・ブリグテレ・トリ・カルボズ・ロス・リマレ・リグ・スコツベ・オブセ・オラスベと。それから、彼は腹の中身が全部出ていってから立ち上がり、その娘を背負いました。彼は三つの石を拾い、ベルトに入れましたが、それらはダグザの睾丸だと言われています。それからまた彼女はダグザに乗って叩き、すると彼女の髪があらわになり、二人は交わりました。(同上)
一連のエピソードでは、彼はひたすら道化役となり、その貪食と醜さがやり玉に挙がっています。その中で、彼の性的側面が、馬鹿にされながらも強調されています(長いむき出しの陰茎、睾丸への言及、王女との交わり)。彼の旺盛な食欲と性的能力とは、どちらも先述したような彼の多産性の表れと考えられます (Shaw 2019) 。
また、彼の長大な名前の中に、先述したアスゲン・ンベセ(「世界の再生」)と、オラサル(「強い父」)が登場していることが注目されます。
「マグ・トゥレドの第二の戦い」におけるダグザの情事は、上記のエピソードの他にもう一つあり、アイルランドの死の女神として名高いモーリーガンとも交わります。後述の「エーディンへの求婚」の中でも、別の女神との話があります。
さらに、彼には多数の子供がいます。上述の棍棒にまつわる話でも、息子が出てきていました。彼の子供たちの中でも、とくに有名なのはオイングス、またの名をマック・オーグです。彼については私のnoteで紹介しています(「ケルト神話・アイルランドの伝承あらすじ集③:ディルムッドの養父、若さと愛の神の物語四編」)。
4.2.戦士ダグザ
ダグザの戦士としての側面は、「マグ・トゥレドの第一の戦い」に見られます。その中で彼は仲間の神々を守って、巨人フィル・ボルグ族と戦います。ある場面では、トゥアサ・デー・ダナンの王ヌァザ神が片腕を失った際、彼を守るように立ちはだかります(後に彼は銀の腕を得、ヌァザ・アーガトラム(〈銀の腕〉のヌァザ)と呼ばれる)。「マグ・トゥレドの第二の戦い」においても、棍棒と魔法とを以てフォモーレ族と戦うと宣言しています。部族の守護者としての彼は、宇宙秩序の守護者でもあります (Shaw 2019) 。
4.3.魔法使いダグザ
先述の「マグ・トゥレドの第二の戦い」でも宣言しているように、ダグザは魔法を使うことが出来ます。彼の詩人としての能力も、それと親和します(初期アイルランドでは詩人は魔法使いでもある)。その道具も全て魔法の力を持っています。
「エーディンへの求婚」では、ブルー・ナ・ボーニャというシー(神々の住処)に住むエルクウァル神とエスネ女神(またの名をボアンという)が夫婦として登場します。ダグザはエスネと愛を交わすため、エルクウァルを旅に出します。彼が帰ってこないように、彼に魔法をかけ、夜の闇に彼を覆わせ、飢えと渇きを奪い、そして九カ月が一日に過ぎるようにしてしまいました。そしてダグザはエスネと交わり、エルクウァルが帰ってくる前にエスネは息子を産みました。それがオイングス神です。時間を操るという魔法は、彼がコスモス全体に働きかけることが出来ることを示しています (Shaw 2019) 。
4.4.建築者ダグザ
ダグザは建築家でもあります。「マグ・トゥレドの第二の戦い」では、フォモーレ族のブレス神がトゥアサ・デー・ダナンの王となった時、ダグザはブレス神の砦を造るという過酷な労働に従事させられます。また、"the Metrical Dindshenchas" では、ブルー・ナ・ボーニャを建てたのもダグザであると記されています (vol. 3, pp. 18-19) 。ダグザの建築との関わりは、すなわち彼がコスモスの創造者であると解釈されます (Shaw 2019) 。
トゥアサ・デー・ダナンがミールの息子たち(アイルランドの人間の祖先)に敗れ、地上を彼らに明け渡し、地下に住まうことになった時、ダグザがシー(神々の住処)を分配します。これは私の意見ですが、世界を分節化していくという行為は、それ自体コスモスの創造と言ってよいでしょう。先述の棍棒の溝の逸話も、それに合致します。
以上になります。ダグザという神の多面性、複雑さがおわかりになれば幸いです。上で引用しているように、現在翻訳中の「マグ・トゥレドの戦い」(マグ・トゥレドの第二の戦い)でダグザが登場していますので、そちらもお読みいただければ幸いです(マガジン「マグ・トゥレドの戦い」)。ここまでお読みいただきありがとうございました。
書誌(""は書名、''は論文名)
・John SHAW, 'The Dagda, Thor and ATU 1148B: Analogues, Parallels, or Correspondences?', in "Temenos", vol. 55, no. 1, 2019, pp. 97-120 https://www.academia.edu/39727265/The_Dagda_Thor_and_ATU_1148B_Analogues_Parallels_or_Correspondences
・Osborn Bergin, 'How the Dagda Got His Magic Staff", in "Medieval Studies in Memory of Gertrude Schoepperle Loomis". NY: Columbia University Press, 1927 http://www.maryjones.us/ctexts/dagda.html
・John Fraser, 'The First Battle Of Moytura', in "Ériu", vol. 8, 1916. : 戦士、守護者 https://t.co/yZSjQmuEQ6?amp=1
・Elizabeth A. Fray, "Cath Maige Tuired. The Second Battle Of Mag Tuired", Dublin
・Mesca Ulad: The Intoxication of the Ulaid http://web.archive.org/web/20041016090311/http://www.geocities.com/Paris/Bistro/2330/intox.html
・Edward Gwynn, "The Metrical Dindshenchas", vol 3, 1991
・A. H. Leahy, Heroic Romances of Ireland, vol. 2, 1906 http://www.ancienttexts.org/library/celtic/ctexts/etain.html
・Elizabeth A. Gray, "Cath Maige Tuired: The Second Battle of Mag Tuired", 1982 https://celt.ucc.ie//published/T300010/
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