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「時間を作れない」を脱却するシンプルな答え

「変わらないと。行動を起こさないと。何かしないと…」

体力の問題とでもいうか、会社行って帰ってきて飯作って風呂入って寝る、その繰り返しで1週間は精一杯だった。
合間合間の時間は、漫画アプリで一日数話の漫画を読んだり、Twitterのタイムラインをひたすら更新したり、ソシャゲのスタミナを消費したり…そんなことで消費してしまう。
お手軽にちょっとした刺激を脳味噌に与えられる行為というのは気持ちが良い。これらは一種の麻薬みたいなモノではないかと思う。

こんな生活は正直嫌だ。だから変わらないと、行動を起こさないと、何かしないと…となるが身体が動かないのだ。

「それはやらない言い訳で、本当に変わりたいなら疲れていても頑張れる〜」みたいな根性論はやめて欲しい。

精神も肉体も疲れていたら何もできないのだ。
話題の漫画1巻から一気に漫画喫茶に行って読んだり、Amazonプライムで今期のアニメを追いかけたり…映画を日に何本も見たり…そういうこともできなくなった。
時間の制約が大きいモノが受け入れられなくなってきているのかもしれない。

「時間は作るもの」

と、偉い人は言う。聞き飽きた言葉だ。
万人に与えられている時間は平等で、全員が1日24時間という限られた時間の中を生きている。だから、24時間を上手く、赤字の家計を切り盛りするように丁寧に配分をして時間を作れ…そう言いたいのだろう。
けれども、だ。

何かやるってことは、何かをやらないってことだと思うんだ。

例えば映画を3本観たい、もうマジで観たい!!!としよう。90分の映画だ。飯を食って食器を洗って風呂に入って20時。1本目の映画を観終わる頃には21時半。2本目で23時。3本観る頃には24時半。
翌日の出社の事を考えて1時前には寝たいと思うと、もうその日は何もできない。せめてTwitterに映画の感想をツイートして、歯を磨いて明日の持ち物を確認するくらいだ。
本当は映画を3本観るだけじゃなくてnoteを書いたり自己啓発本を漁ったり、YouTubeでラーメン作る動画を見たりもしたかったとしても、もうその日は何もできない。「映画を3本観る」という行動の為に出来なかったことだ。

もちろんこれは詭弁だ。
何も一日で観る必要もないかもしれないし、仮にその日までしか配信していない作品だとしたらもっと前から計画を立てて観れば良かったわけだし。スケジュール管理さえできていれば解決した問題だろう。

だが皆が皆、頭で理解できることを行動に移せるわけではない。
「夏休みの宿題を初日に全部終わらせれば後は遊び続けられる」とか、
「毎日3ページずつ進めるだけで最終日に苦しむことは回避できる」とか、そういう話だ。

そんな風に時間はあっても他の事をしてしまってできない、頭ではやらなきゃとわかっていてもできない、そんな状態を脱却する方法について考えた。


何故できないのかは考えない、何故できているのかを考える。

先ほども言ったように、「何かやるってことは、何かをやらないってことだと思う」
ということは、何もしていないわけではないのだ。別に天井のシミをひたすら眺めているわけではないのだ。何か別の事をやってしまい、結果としてやらなきゃいけないことをやれていない、そういうことになる。

では「やっていること」は何故「やれている」のか?

その答えがわかれば、やらなきゃいけないこともやることができるようになる第一歩を進める事だろう。

人にはそれぞれ個人的な理由があるはずなので、ここではあくまで僕のわかったことだけを書いておく。

僕がやれていることは
・時間や量に制限があるもの
に限られているとわかった。

漫画アプリであれば、一日数話という制限がある。それ以上読むには金を入れる必要が出てくるが、タダで読めるから読んでいるのでその日の分が読み終わればもう開くことは無い。
ソシャゲのスタミナもそうだ。時間で回復するスタミナを消化すればスタミナが溜まるまではアプリを開くことは無い。

「一日に出来る量が限られている、故に消費しておかないと勿体ない」
と思う自分がいるので、これらはずっと継続してしまうのだろう。
だが実際には別に勿体なくはない。そもそも自分は何も損しないからだ。
流れる滝を眺めて「あぁ!水が落ちていく!勿体ない!」と思うだろうか?それと同じだ。

これらを踏まえて僕は一つのルールを設けることにした。
「やるべきことが終わった後~寝るまでの間にPCを開いて文章を書く」
というルールだ。
開始時間はともかく、終了時間はこれで明確に決まる。翌日が仕事なら大体日付が変わるくらい、休みならば眠くなるまで、だ。
「どれだけ書けたか」ということは気にしない。もちろん合間合間に休憩としてソシャゲやら漫画を読んでも良い。
大事なのは、まずルールを設けること。漠然とした状況から制限を設けるのだ。

「自由は不自由」とはよく言ったものだと思う。ある程度の制限をかけないとやる気が出ないとはなんとも難しい生物だ。人間というのは。
とにかく、これさえ習慣になれば「寝るまでやるか~」
という気持ちになるはず…

ちなみに、これが本当に実践できているかどうかは僕のnoteの更新頻度で把握することができる。更新頻度が著しく低い時が続いたならば…結局駄目だった、という訳さ。
という訳でどうか僕の投稿にしばらくお付き合いくださいな。

あ、でも一つだけ。お酒を飲んだ日。これはもうどうしようもなく眠いし酒飲んで書いた文章はかなり修正が必要なのでどうしようもない。

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