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やりたいことがない人間

やりたいことがない。趣味もない。信念もない。

「FIREになりたい!」と言っても「なった後、何をするか」を何も決めていないタイプの社会人。

窓際族になりたい。仕事をしたくない。でもお金は欲しい。
誰にも迷惑をかけずにひっそりと生きたい。でもお金は欲しい。ゆっくりのんびり生きたい。好きなモノ食べて夜更かしして、翌日二度寝して…そんな日々を送りたい。

でもそれ以外に思うことは何もなくて、大量の時間が有っても何もしない…というよりかは「することが思いつかない」

そんな人間がいる。

僕だ。

人生の幸福の要素として3つ挙げられることがよくある。知ってる人からすれば耳がタコにもイカにもなるくらい聞いた話だとは思うが、一応説明させてもらう。
人生の幸福の要素、それは
「金融資産・人的資本・社会資本」
の3つだ。

金融資産というのは「金」…金がある奴は幸福ってわけだ。
人的資本というのは「どんな稼ぐ力を持っているか」…仕事できる奴は幸福ってわけだ。
社会資本というのは「人との繋がり」…友達、家族、そういう人との繋がりがある奴は幸福ってわけだ。
これら2つがあれば幸福だと思えるらしい。

お金は無いけど、楽しく仕事して友人に恵まれている人間だっている。

友人はいないけれど、仕事が楽しくお金もたくさん持っている人間だっている。

稼ぐ力は無いけれど、お金に困らず友人もたくさんいる人間だっている。

これら全ての人間は「幸福」ということになる。

だから、仕事はわからないことだらけで嫌気が差すし、給料が多いわけではない今の自分の状況は
「幸福ではない!!」
と言い切れるわけだ。

幸いにも友人には恵まれている。アホなことできる奴も、真剣に悩みを聞いてくれる奴もいる。
だから幸福になる為には

「金か仕事」

この2つのどちらかの問題を解決しなくてはならないのだ。


こうなると真っ先に出てくるのは「転職」だろう。金は直ぐには手に入れられないが働く環境は転職で変えられる。しかし、それは僕はしたくない。

そもそもの話、僕は「会社」という環境が苦手だ。就活で「芸術家タイプ」と出るようなタイプなので集団の中で生きることが息苦しいと思えることが多々ある。
それに物覚えも悪い。
転職なんかした暁には、また0から仕事を覚える作業が待っている。それを思うと苦痛でしかない。仕事だけではない。社員の名前や会社のルール、社外の関係、そういったものもセットで覚えなければならない。
わからないことを人に聞いて、それを覚えて、それを業務で活用して…またわからないこととぶつかって人に聞いて…

新しい環境になればその都度、不安が沢山生まれる。それに転職先が今より良いという保証はどこにもない。
だったら今の環境に慣れて何とか適合する方が良いだろうと思っている。
もちろん自分の個性をもっと活かせる仕事があるならばそちらをしたいが、正直そういう仕事のできる会社は思いつかない。

個性を活かせるような仕事というのは大概、
「会社の一員」ではなく「僕」
として評価されるような仕事だ。そして、その道はとても険しい。更に言うならば、その道を進みきれる人間は一握りだ。

「冬のボーナス何に使う?」
これは会社の先輩から言われた言葉だ。

先輩は30代前半、結婚していて、子供も2人居る。マイホームも買っていて今はローンの返済と子育ての為に一生懸命働いている…その姿は「理想的なサラリーマン」だった。テレビやドラマで見るようなサラリーマンだった。

「ローンとかは若いうちに組んだ方が良い」
「会社、最初は嫌なことあるけど慣れだよ」
「やっぱ辞める人多いらしいな」

先輩は僕に語り掛ける。これからの生き方に迷う僕の心に、先輩の言葉は
「この会社で頑張るのが一番楽な生き方だぞ」
と囁いているように感じた。
自分はまだ何も会社の事をわかっていないと思う。故に、先輩の姿を見ていると申し訳なってくる。
「今後、仕事をバリバリに熟せるように!」と色々なことを教えてくれるが、僕は頭の片隅で
「晩飯何喰うかな~」

「会社辞めて遊び惚けられる環境を作るにはどうすればいいのかねぇ~」
しか思っていないのだ。

この間読んだ本で「存在給」という概念を教わった。(「一生お金に困らない生き方」著:心屋仁之助)
人は誰しも生きているだけでお金を貰えるくらい価値がある、という考え方だ。
猫は自分が餌を貰い、寝床を与えられている現状に対して「申し訳ないね、お金も払っていないのに…」と思ったりはしない。
彼らは生きているだけで価値があると自覚している。
自分を認め、存在だけで価値があると思えば思うほど存在給は上がり、自然と収入は増えるという。

お金は労働の対価でも、頑張れば貰えるものではなく、自分を認めた人が沢山受け取る権利があるのものだ、と。

僕はまだ頑張っていないことに罪悪感を感じる。罪悪感を感じるというのは存在給を下げる要因だ。だからまだ収入も増えないし、変わらないのかもしれない。

僕は人一倍、他人の目線が気になるタイプだ。
「もしかして…こんなこと思ってるんじゃないか…?」
と、余計な深読みをして自分を苦しめることがしょっちゅうだ。

だから今日も思ってしまう。
「何か成果や貢献を早くしないと嫌われるのではないか、いやもう僕は嫌われているのではないか」
と。

存在給が上がるはずもない。


これらを踏まえて改めて思う。僕は何も考えていないと。

会社の僕とnoteを書く僕、1週間の始まりの僕と、終わりの僕。

僕はいつだって考え方が二転三転する。今日悩んで出した答えを、明日の自分が否定する。明日の自分が否定した考えを、明後日の僕が肯定する。

今の僕が一番求めているのは「共感」だろう。

僕の様に何か変わりたい、楽したいと思うが答えが見つけられない人間。趣味も目標もなくなんとなくで生きている人間、そういった人は多いと思っている(信じている)

いつか同じように悩む人に答えを差し出せるような、そんな答えを持った人間になりたいと思う。


成功までの道を進むのは僕ですが、道を作るのは「あなた」です。あなたのサポートが僕の進む道となることでしょう。ありがとうございます。これで理想に1歩近づきます。