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自分の料理に味がついた話。

 18歳で実家を出て、ひとり暮らしを始めた。
 包丁ひとつろくに使えなかったわたしだったが「ひとり暮らしといったら自炊でしょ!」と熱い思いを胸に調理器具を揃え、1Kの小さいキッチンに立った。

 はじめて作った料理は、確かハンバーグ。小さなキッチンは、シンクも作業するスペースも狭く、レシピを見ながら悪戦苦闘して、なんとか形になった。

 小さな部屋の小さなテーブルに、不揃いな形のハンバーグを並べる。そして、実食。口へ運ぶ。そのお味は。

 「ん…?………………………????」

 なんだこれ。味がしない。

 調味料を入れ忘れたとか、その量が少なすぎるとか、そういうことではないようだ。レシピ通りに作ったハンバーグなのに、味がしない。自分で作った料理が、美味しいとか不味いとか、脳に伝わらないのだ。

 変な感覚に襲われた。
 わたしが食べているこれは、美味しいのだろうか?
 味がわからない。もにょもにょと肉塊を食べた。

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 それはこの日限りのことではなかった。
 わたしはわたしの料理を食べるたび、味を感じることはなかった。ルーを使ったカレーですらも自分で作ると味がわからない。お惣菜や外食は美味しいと思えるのに、なぜ?

「自分の料理 味がわからない」で検索すると、少なからずこの世にはそのようなひとがいるらしい。わたしもこのひとりなのだろうか。

 料理に関して、自信は皆無だった。
 不味いと思うならまだしも、味がしないのだから。

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 時は流れ、数年後。
 わたしには恋人ができた。寡黙で笑顔が素敵な細やかなひと。一緒にいると、こころが穏やかになる。      

 付き合いはじめて少し経った頃、わたしは彼に「平日も会いたい」と言われた。
 カメラという共通の趣味から週末に撮影デートをしていたが、平日も会えるという嬉しさで、わたしは二つ返事をした。平日は仕事があるため、互いの家に行くことになった。

 ここで問題がひとつ。
 料理だ。

 わたしも彼もひとり暮らし。
 以前から彼は毎日自炊をしていると話していた。スーパーのお惣菜よりも、自分で作ったほうが美味しいそうだ。
 わたしはというと、相変わらず何を作っても料理の味がわからなかった。スーパーのお惣菜のほうが美味しいと思っていた。

 これは、これは、困った。
 家に招けば料理を振る舞うことになるだろうし、メシマズ認定されてしまうかも。そもそも不味いのかすらわからないのに。あー困った。

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 初夏のある日。
 わたしは、彼を自宅で待っていた。私は休日、彼は午前出勤だった。昼食をわたしの家で食べることになったのだ。

 手料理を振る舞うことになった。はじめての経験である。今まで、味のわからぬ料理を他人に食べさせるわけにはいかないと思っていたからだ。
 ここはもう勇気をだして、未知の世界に飛び込むしかない。

 さて、何を作ろうか?
 ちょっと暑い日だからさっぱりしたものがいいよなあ。あんまりたくさん調味料を使って失敗したら嫌だなあ。
 そんなことを考えながら決めたのは、サラダうどん。

 彼がわたしの家に着いたらすぐに食事できるよう、支度を始めた。といってもうどんを茹でて、野菜を切って、タレを作ってそれを盛り付けるだけ。手順は簡単だ。

 果たして、味は大丈夫なのか?
 心配で仕方ない。

 ピンポーン。
 インターホンが鳴った。来たようだ。

「お疲れ様、ごはんできてるよ」

 ドアを開けて出迎え、そう慣れたように言うけど、全然慣れてないし、むしろ初めてだし、緊張している。

 彼は「ありがとう」とソファに腰をおろした。

「これなに?」
「サラダうどん」
「うどんって、こんな食べ方もあるんだ」
「うん。暑いし、さっぱり系がいいかと思って」
「ありがとう。いただきます」

 うどんを口に運んだ彼の口元をじっと見つめる。 
 わたしは恐る恐る「どう?」と訊いた。

「うん!美味しい!ありがとう!」

 ほんと………?!わたしの料理、美味しいらしい。
 安堵アンド安堵。「そう言ってくれてありがとう…良かった…」とホッとするわたしの横で、何も知らない彼はうどんをずるずると啜っている。

 わたしも一口食べる。
 それと同時に不思議な感覚が口の中に広がった。

 あれ…………美味しい。味がする。
 美味しい。これ、美味しい…!

 はじめてだった。自分の料理に味を感じたのは。あれだけ悩んでいたのに。
 まるで彼の「美味しい」の一言が、わたしの料理に味付けをしてくれたかのようだった。

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 それからというもの、わたしは積極的に料理をするようになった。いろんなメニューに挑戦した。冷蔵庫には調味料が増えていった。ルーを使わずに美味しいビーフシチューを作れるようになったとき、我ながら成長したなあと感じた。

 手料理を振る舞うたびに、彼は「美味しい!すごい!」と褒めてくれた。わたしは嬉しくて「ありがとう」とにやけてしまう。そして、あの日から自分の料理を美味しく食べられるようになった。

 彼の「美味しい」は、わたしの手料理にどんどん味をつけてくれた。気が付けば、彼を待ちながら鼻歌交じりにキッチンに向かう自分がいた。ひとは変わるものだ。

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 しばらくして、わたしたちは一緒に暮らすようになった。

 部屋の数が増え、キッチンはひとり暮らし用からファミリー用になった。ふたりで立っても十分な広さだ。

 わたしたちは、よく一緒に料理をするようになった。どちらかが料理をしている間に、もうひとりが洗い物をしたり、とくに取り決めはないが自然とそのスタイルで生活を始めた。

 彼の料理はとても美味しい。わたしの仕事が遅いときには、夕飯を作り待っていてくれる。家に帰ると温かいごはんがある。ひとりの時には経験ない幸せが、そこにあった。

 そして彼は、今でもわたしの料理に「美味しい」と伝えてくれる。たまに変な味付けをしてしまうと「不思議な味がするね」と可愛く笑う。
 そんな繊細な表現をするところも好きだ。彼の優しさはいつも繊細である。

 互いが互いを補い合っている。ともに生活するということは、そういうことかもしれない。

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 2020年2月22日、わたしたちは入籍した。
 彼はわたしの夫になり、わたしは彼の妻になった。

 婚姻届に不備がないよう、役所で事前審査をしていただいた。必要な書類があり、そこに新姓で名前を書いたとき、まだ慣れないこの感覚もいつかは慣れていくのかな、とふと思った。

 雨の降る中、ふたりで婚姻届を出した。提出は思いの外あっさりで、帰ればまた日常が出迎えてくれた。
 夫婦は一日にして成らず。日々を積み重ねることで、夫婦になっていくのだろうか。

 わたしたちは「これからもよろしくね」と言い合った。

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 人生は一本道だ。
 ひとりひとりが人生という道を歩んでいる。いろんな分岐がある中で、最後にその道を選択するのは自分。結局歩むのは一本道だと、わたしは考える。

 登り坂だったり下り坂だったり、心地よい風が吹いていたり、雨が降ってぬかるんでいたり。カーブの先が見えないことなんてたくさんあるだろう。月が綺麗な夜はきっと気分がいい。

 わたしたちふたりの道は一緒になり、ひとつの広い道となった。
 この道を歩んでいこうと決めた。春の桜舞う空を、夏の暑い日差しを、秋の月の輝きを、冬の冷たい風を、一緒に感じながら。

 家に帰るとビールが二本冷えているとか、夕飯の買い物を一緒にするとか、ふたりで作ったごはんが美味しかったりだとか、些細なことに幸せを感じて、ともに生きていきたい。

 それはきっと、道端の小さな花を愛でる気持ちに似ている。
 そのこころを胸に、ともに歩んでいこう。そのこころを、忘れないように。



恋人から夫になったあなたへ

 これはわたしからのメッセージです。ずっと未来にこれを読んだら、恥ずかしくて顔が真っ赤になっちゃうかもね。でも、これが等身大の気持ちだよ。今日というこの日のことを、大切に残しておきたくて、筆を執りました。

 わたしをあなたの奥さんにしてくれてありがとう。
 これからも末永くよろしくね。

2020年2月22日
妻より

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