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「月が綺麗ですね」とあなたに言ったから


写真が結ぶふたりの縁

 彼は、わたしの先輩。静かで穏やかなひとだ。どんなひとにも、優しくて丁寧である。わたしは、”いつかこんな先輩になれたらいいな”と、心から思っていた。

 そして、いつしか彼を目で追いかけている自分がいた。
 寡黙な彼と、人見知りのわたし。互いに、業務連絡以外では話さない。憧れの先輩を、そっと眺めていたい。それ以上、望んでいなかった。

 そんなふたりが、雑談話をするようなる。
 そのきっかけは、“写真”であった。

 偶然にも、わたしたちは同時期にカメラを買っていた。わたしは一眼レフ。彼はミラーレス一眼。メーカーもセンサーサイズも違う。

 共通点は、初心者であることだ。
 
 お互いに知識も少なく、操作も慣れていない。わたしたちは、覚えた知識を持ち寄って、カメラの使い方や好きな写真の話をするようになった。
 ほんの少しだけ、ほんの数分だけ話せる時間。それは、わたしにとって幸せな時間。「今日は話せるかな?」と思う朝は、爽やかで甘酸っぱかった。

 そして、季節は巡っていく。冬を越え、春が過ぎ、夏が来た。相変わらず、わたしたちのささやかな写真談義は続いていた。

 次第に話題は、レンズや周辺機材にも広がっていた。彼が「夜景を撮ってみたい」と三脚を買ったとき、わたしも触発されて同じ三脚を買った。
 新しい機材が欲しくなるのは、沼の始まりである。わたしたちはそれぞれ、様々な機材を買うようになっていた。その度に「これを買おうと思っているけど、どうかな?」とか「これ買いましたよ」と報告し合った。

 ある日、彼が話しかけてきた。
「俺、望遠レンズ買ったんだ。だけど、何撮っていいか全然わかんなくてさ」
 わたしは、話しかけられた喜びを悟られぬよう、口をきゅっと結んだ。そして、少し困った顔をして答えた。
「ああ、なるほど…難しいですよね。わたしもキットレンズで望遠持っているけど、あんまり使ってないです。何だろう、鳥撮れそうですよね」
「鳥かぁ、たしかに!」
 わたしの気持ちなど全く知らないであろう彼は、ニッコリと笑ってそう言った。

月が輝く夏の空

 八月の夜。わたしが外に出ると、月がきらめいていた。天高くにのぼる月。その輝きは白く美しく、夜空を明るく照らしていた。

 そうだ、月を撮ってみよう。
 そう思うほど、綺麗な月だった。

 月を撮るのは、初めてだ。三脚を立てて、カメラをセットする。レンズは望遠レンズ。F値とシャッタースピードを「これくらいかな?」と設定して、カシャッとシャッターを切った。
「すごい!本当に月が撮れた!」
 初めての感動は、想像以上だ。本やネットでしか見たことのない写真を、自分で撮れた。望遠レンズってすごいなあ。

 あ、望遠レンズ。
 彼が“使い方が難しい”と言っていた。それなら「月を撮ってみては?」とメッセージを送ってみようか。でも、迷惑にならないかな…?

 ええい、いいや。この際、勢いが大切だ。わたしはスマホをとりだし、メッセージを打った。手が震えている。

「お疲れ様です。今、月を撮っています。今日は、月がとっても綺麗ですね!こんな日は、最近買ったとおっしゃっていた望遠レンズの出番かなと思って…」

 震える手で送信ボタンを押した。胸の高鳴り。耳まで聞こえてくる鼓動に、わたしは思わず震え上がった。こんな思いをしたのは、いつぶりだろうか?

 もう自分の気持ちに、嘘はつけなかった。

初めて撮った月。
月が撮れた喜びは今でも覚えている。
少しピントが外れていても、愛おしい写真。

 ポキポキ。スマホが鳴る。返事が来た。
 わたしは驚き、飛び上がった。
 待って、こんな早くに?!

 その返事を見て、更に驚愕する。

「わたくしも、月撮っておりました!」 
 続けて送られてきた写真には、今わたしが撮っていた月がしっかりと写っていた。

 待て待て待て待て。こんな偶然ある…?
 同じ月を見上げていたなんて。同じ月を撮っていたなんて。

 心臓がバクバク音を立てる。胸を突き破ってしまいそうだ。どうしよう、どうしよう。カメラと三脚を仕舞い、急いで部屋に戻る。そして、うずくまりスマホとにらめっこをした。

 撮影…誘ってみる?
 いやいやいや。待て待て待て。冷静になれ、冷静に。少しカメラについて話すくらいの関係だ。誘ったら迷惑じゃないか?

 でも…でもだよ?

 このチャンスを逃したら、二度と巡ってこないかもしれない。それなら、今しかない。今がチャンス。
 わたしは、文字を打っては消し、打っては消し、精一杯の言葉を並べていく。思いが届きますように。

「あの、もし良かったら、今度一緒に写真撮りませんか?実際に撮りながら、色々お話ししたいです!」

 既読がついた。呼吸が浅くなる。
 スマホが鳴った。答えは…?

「いいね、撮りに行こうか!」

 わたしは喜びのあまり、床に転がって悶えた。
 恋は、確実に始まっていた。

あなたを探すファインダー

 月が綺麗だったあの日から1ヶ月後。
 約束通り、わたしたちは撮影に出掛けた。目的地は、工場夜景。ふたりとも撮影の経験はない。

 向かう電車で、わたしは工場夜景の撮影教本を広げた。不慣れな撮影に役立つと思い、事前に買ったものだった。
 本には、たくさんの煌びやかな写真が載っていた。「こんなの撮れたらいいねえ」と話し、ページをめくる。手が止まった。
『あっ、この写真良い!』
 ふたりの声が重なった。それは、感性の繊細な部分が重なり合ったようで、思わず嬉しくなった。

 初めての工場夜景撮影はうまくいった。撮影した写真がモニターに出た時は、ふたりではしゃいだ。写真って面白い。同時に、感動を共有できる喜びも知った。一緒に撮るって、楽しい!

 撮影中に、様々な話をした。緊張で話せないかと思ったが、意外と話せるものだ。
 話題は、子どもの頃の出来事になった。その話の最後に、彼は「昔から、大切なことは言葉で伝えるって決めているんだ」と言った。わたしは「しっかりしていますね」と感心した。
 その言葉は、その先ずっと、わたしの心の中に残ることになる。

 気がつけば、毎週末一緒に、撮影へ出かけるようになっていた。動物園、水族館、お祭り、冬の花火、皆既月食、桜。何でも撮りに行った。上手く撮れると、その場で写真を見せ合った。

 そして撮影が終わると、居酒屋をハシゴして朝まで酒を交わした。カメラや写真の話、お互いの話もたくさんした。会えば会うほど、惹かれていく。

 一緒に過ごす時間は、いつも一瞬だった。
 白む空、夜明けの駅、凛とした空気が頬に触れる。また来週会えるのに、帰るのが惜しくて、どうしようもなかった。

 しばらくして、わたしたちは、お互いのうしろ姿を撮るようになった。それを撮るときは、いつもこっそり。はじめのうちは、撮影した写真を見せ合うと、「いつの間に?!」と驚き驚かれた。
 しかし次第に、撮られているのがわかる。ファインダー越しに視線を感じると、わたしはスッと背筋を伸ばし、遠くを見つめた。

 それでも、わたしたちは、ずっと単なる撮影仲間のようだった。友人に相談すると「それはもう付き合っているのでは?」と言われる。だが、彼は“大切なことは言葉にする”と言っていた。
 季節が駆け抜けていく。「寒いから繋いでほしい」とお願いしたこの手を、温かくなったら離さなければならないのだろうか。

 そんなことをぼんやり考え、ひとり月を撮る。
 わたしはスマホを開き、彼に「次はどこに行きましょうか?」とメッセージを送った。

 月を撮るのも、だいぶ慣れた。
 月にはリズムがある。彼にもきっと…。だから、わたしももう少し待ってみよう。わたしはマフラーに顔をうずめ、そっと目を閉じた。

このアルバムに彩りを

「同じ月を撮っていた日、覚えてる?」
「もちろん、覚えているよ」
「あの時、撮影誘ったらOKもらえて、床に転がって足バタバタさせたのよ。"マジ?!やったー!"って叫んじゃってね」
「嬉しいなあ。そんな風に俺のこと、思ってくれたなんて。しかもあの日、俺も初めて月を撮ってたんだよね」
「びっくりだよね。こんな偶然あるの?って。だからこそ、誘うなら今しかないって思ったの」

 夜道を歩くふたつの影。
 その影が、笑い声とともに揺れる。

 現在わたしたちは、夫婦として暮らしている。
 彼は、交際も同棲も結婚も、ちゃんと言葉で伝えてくれた。

 今でもふたりで写真を撮っている。日常の何気ない瞬間から、水族館や動物園の本格的な撮影まで、写真はわたしたちの生活の一部となっている。何年経っても、一緒に撮るのは楽しい。

 昔のように、こっそりうしろ姿を撮る機会はなくなった。その代わりカメラを向けられると「ニーッ」と笑う。変な顔もする。寝相も撮られる。アルバムには、ふたりの笑顔で溢れている。

 あれから何万枚も写真を撮ってきた。どれも宝物だ。

 写真は、記録であり記憶である。1枚の写真で、あの日に戻れる。撮った時の空気・音・感情すらも蘇る。
 アルバムは、思い出であり人生である。アルバムは、わたしが生きてきた証だ。そして、わたしたちが歩んできた道である。そしてこのアルバムは、これからも彩られていく。

 一緒に撮る楽しさ。それを分かち合う喜び。
 撮られて気づく自分の笑顔。大切な人を撮る幸せ。
 写真は、それらを教えてくれた。

「あの夜、月が綺麗で良かった」
「本当だね」
「見て、今日も月が綺麗だよ」
「満月まで、あとどれくらいかな?」

 夜道を歩くふたつの影。
 その影は手を繋ぎ、ひとつの影となった。

 写真が好きで、本当に良かった。
 写真が結んだ縁に感謝し、わたしたちは今日も空を見上げている。

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