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2024年6月 - 今月のスナップとエッセイ


時候の挨拶

 クーラーを効かせた部屋で、流行りのJ-POPのピアノカバーを流しながら、カタカタとキーボードを叩く。遠くで、ザーザーと雨音が聞こえる。手元のコーヒーに手を伸ばし、そっと口をつける。心がスーッと落ち着くのを感じる。音のある静寂の中で、この1ヶ月の自分と向き合う瞬間。それが今月のスナップとエッセイを書く時間である。

 2024年の梅雨入りは、例年に比べて遅かった。その割に、気温が30℃を超える日もある。これでは、梅雨が明けたら夏が始まるという“道理”が覆されている気がしてならない。気がつけば、今年も半分が終わっている。わたしはただ、時間の流れに身を任せて浮遊し続けている。

墨田の花火

 カメラを持って春夏秋冬を過ごすと、その時期にしか撮れないものがあることに気がつく。身近な被写体として、花である。この季節に咲く有名な花、それが紫陽花だろう。

 先日、友人に誘われて、紫陽花を撮りに連れて行ってもらった。平日の疲れを休日に癒やすため、すっかり出不精になってしまっているわたしにとって、これは大きなチャンスだった。なぜなら、今年は紫陽花も撮れないかもしれないと思っていたからだ。

 「こんな曇天の日に撮るには花がいいよね」と友人は言った。6月の湿った空気がまとわりつく。まるで煮え切らないサウナにいるようで、息が苦しくなる。
 花の撮影は難しい。どう撮れば正解かがわからない。花だけ撮ってしまえば、それは“そこに咲いてある花”という証明にはならないし、かといって“そのような写真”が正解でもない。

 紫陽花を管理している施設の方が「この紫陽花は、花の終わりを迎えると下を向くんだよ」と教えてくれた。園内には頭を垂れた紫陽花が多く見られ、その姿が切なく感じて、わたしの気持ちも少し下を向いた。
 家に帰り調べてみると、それはガクアジサイと呼ばれる種類だと知った。また「墨田の花火」の別名を持っていると書かれていた。頭を垂れてうなだれているような姿は、見るひとによっては花火の散り際に感じられたのだ。その感性が美しく羨ましくもあった。

 帰り道、送ってもらった車内で、理想と現実と人生の答え合わせのような話をした。もう少しこの街で頑張ってみようかな、と思えた日だった。

カニいた。

人生は矛盾だらけ

 2024年7月3日から、新紙幣が発行される。わたしはあのデザインがあまり好みではないが、きっと令和に元号が変わった時のように、あっという間に馴染んでいくのだろう。

 とはいえ、最近あまり現金を使わなくなった。買い物をするにもカードやコード決済で十分である。それでもわたしは、やたらと大きい長財布をもう長いこと使っている。父からもらった長財布だ。時代が変わっても、もらったものを大切に使う。というより、物はボロボロになるまで使うのだ。わたしは、そういう人間なのである。

 さて、この新紙幣の発表は今から5年前の2019年にされた。洗濯物を干していたわたしは、テレビから流れるニュースを聞きながら「2024年なんてずいぶん先の話だな」と思ったのを、今でも覚えている。あれから、あっという間に5年が過ぎてしまった。
 この間に、世界もわたしも大きく変わってしまった。どう変わってしまったのかと言えば、一言で言い表せないし、それが良いのか悪いのかも、ひとくくりにはできない。ただ、変わってしまったなと思う。変わらないことなどこの世にないと知りながら。

 数年前、500円玉のデザインが変更された。何かの時に受け取った新500円玉を見て「あれ、いつの間に変わったんだろう」と思った。その新500円玉で飲み物を買おうと、自動販売機に入れた。すると、新500円玉はカランと音を立てて落ちてきた。どうやらまだ新硬貨には対応していないようだった。

 この自動販売機は、まるでわたしのようだなと思った。時代は進み続けるのに、わたしはどこかの時間に取り残されいている。そのような感覚が、時折この心に広がる。

 変わらないでほしいと願いながら、変わってしまったものに嘆き、そして変わりたいと望む。わたしの人生は矛盾ばかりだ。

 今月も、撮ったり書いたり悩んだり夏風邪引いたりして終わった。
 来月は、大雨や熱中症に気を付けよう。

 それでは、良い写真生活を。

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