わたしが写真を撮る理由‐写真と追憶と日常と。
わたしの母はよく写真を撮るひとだった。
銀色のコンパクトフィルムカメラを持ち歩き、家でも外でもよく写真を撮っていた。わたしはよくカメラに向かって笑い、たまにわたしも父と母にカメラを向けた。
わたしの母は「日常」を撮るひとだった。
小学生の夏休みには、週3回母と買い物に出掛けた。それが私の楽しみでもあった。
ギラギラとした日差しが照り付ける中、母はわたしと撮り終えたフィルムを連れて、デパートに併設された小さな写真屋へ足を運んだ。
買い物前に現像をお願いし、買い物が終わると写真の束を受け取る、いつもその流れだったのだ。
母が写真を受け取っている間、わたしは店の中をぶらぶらと探検するのが好きだった。黒くて重そうなカメラが並んだショーウィンドウを前に、わたしは何を思ったのか、その時の記憶は色褪せた写真のようにしか残っていないのだが。
家に帰り、母と肩を並べて出来上がった写真を眺めた。「この写真はきれいに撮れているね」とか「これはピンぼけしちゃったね」とか、そんな話をしながら。
現像しないとどんな写真が撮れているかわからないのが、わたしの中での写真のあり方だった。
それは、写真をじっくりと見返すことで親子のコミュニケーションがとれるいい機会になっていたと思う。
休日には、父と母と三人で床の上にアルバムを広げた。
「この写真はここに貼ろう」とか、小さなメッセージカードを貼ってみたりだとか、前のページをめくっては「こんなこともあったね」と写真を囲んでみんなで笑った。
それがわたしの「日常」だった。
学年が上がるにつれて、わたしは学校や習い事で忙しくなった。それに伴い、母も忙しくなったのであろう。
頻度は減ったが、それでも母は写真を撮り続けた。昔と違ったのは、現像された写真は大きな紙袋にまとめられ、溜まっていくことだった。アルバムを作るまで手が回らなかったのだ。
「いつかアルバムに貼らなきゃね」
母はそう言っていたような気がする。
その「いつか」が積み重なったある日。
突然母は、原因不明の病に倒れた。
中学生最後の夏休み直前のことだった。
ギラギラとした日差しの強い夏。
母と写真屋に行った、あの夏と同じはずなのに。
その日を境に、母の身体は思うように動かなくなった。優しかった母は、病気のせいなのか人が変わってしまったようにも見えた。外に出るのも難しくなり、もちろんカメラを触る余裕はなくなった。
わたしの生活も一変した。わたしの「日常」は「非日常」になり、「非日常」はやがて「日常」になった。家族で笑い合う日々から、孤独で苦しくて悔しい日々へと変化した。わたしは「かつての日常」を心の奥底に封印し、歯を食いしばって高校時代を生きた。
撮り溜めた写真とアルバムは見返されることなく、埃を被っていく。母が使っていたカメラもおなじだった。
あれから10年以上が経った今。
わたしは大学進学と同時に実家を出た。実家での日々は丸々「かつての日常」になった。
実家を出てからも、わたしの生活環境は何度か変わった。そのたびに「日常」は「かつての日常」になり、新しい「日常」を生きてきた。
母の影響か、わたしは写真が大好きな大人になった。気がつけばわたしも「日常」を撮るひとになっていた。
今でも実家には顔を出すようにしている。そのときは必ずカメラを持っていく。横になる母に、わたしが撮った写真を見せると、母はなんだか嬉しそうだ。
「そういえば、フィルムカメラ使っていたよね」
わたしが何となくそんな話を振ると、母は答えた。
「そうね。あのカメラには、フィルムが残ってるんだよ」
ドキッとした。
あのカメラには「かつての日常」がまだ残っているというのだ。
わたしの中で、母が何を撮ったのか知りたいという思いと「かつての日常」をカメラの中に閉じ込めておきたいという思いが、ぐちゃぐちゃに混ざった。
リビングで酒を飲みながら涙が出てきた。
この10年、心の奥底に封印された幼少期の「かつての日常」が、ふと顔を出すたび、わたしは涙を流した。何故かはわからない。懐古のようであり違う、胸が苦しくなるような感覚に襲われる。懐かしむわけでも、戻らないものを手に入れようと思っているわけでもないのだ。いまだに、この気持ちに名前がつけられない。
このときの感情は一時のもので、気がつけばまたわたしは平然と「日常」に戻る。
生きているといろいろなことがある。
いいことばかりではない。つらいことだってたくさんある。病気にもなるし、老いるし、やがて死ぬ。
そして、わたしたちは常に変化している。
気がつかないような変化が気がつけば大きなものになっていることもあるし、いきなり大きな変化が起こることもある。
「日常」は簡単に「非日常」になってしまう。
「日常」は簡単に「かつての日常」に変わってしまう。
「かつての日常」の記憶は、幸せなものでも辛いものでも、時にわたしたちを苦しめる。しかし「かつての日常」が積み重なった上に今の「日常」があることは、忘れてはいけないのかもしれない。
全ては今に繋がっている。時に「かつての日常」を振り返って、居た堪れない気持ちになることだってあってもいい。そしてまた、今日という「日常」を生きればいい。
わたしにとって写真は、生きているという証明書だ。写真を撮ることによって、現在地を、生き様を、表現している。この積み重ねは、わたしが生きた証拠になる。そこには、かつても今も関係ない、わたしというひとりの人生がある。
今日と同じ明日が来る保証はどこにもない。あの夏に感じた思いがずっと、わたしの中でくすぶっている。それは恐怖でもある。だから、今日もわたしはシャッターを切る。恐怖に立ち向かうために、わたしはいまここで生きていると精一杯叫ぶのだ。
母にとってはどうだったのだろうか。
同じだったかもしれないし、そうでないかもしれない。
わたしは「日常」を積み重ねるように、これからも写真を撮っていくであろう。わたしの身体が撮り続けられるまで、シャッターを切るのだ。あの日の母のように。
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