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小さな故郷への思い

 “電車着いたら教えて。迎えに行くよ”
 わたしは、そのメッセージに、“歩いて帰るから大丈夫”と返した。

 まだ16時前だというのに、陽は西に傾いていた。

 電車は進む。まばらな乗客を乗せて。
 澄んだ茜空。車窓から見える富士山。山頂は赤く染まり、淡いグラデーションに身を包まれている。車内には、冬の淡光が乱反射していた。

 向かいのご婦人が、流れる景色をじっと眺めていた。静かで美しい時間だ。

 向かう先は、実家。
 駅から歩くには、少し肌寒い季節。

 それでもわたしは、歩きたかった。

 故郷。ふるさと。

 それに対する想いは、複雑である。
 楽しいこともあった。苦しいこともあった。そして地元を離れた。離れても故郷に対する様々な思いを抱えて、生きてきた。

 一言で表すのは、なかなかに難しい“ふるさと”。
 帰る想いは、いつもちょっぴり複雑だ。

 電車を降りると、冷たい空気が肌を撫でた。わたしは身震いして、鞄からカメラを取り出した。
 ファインダー覗く。フォーカスを合わせる。そして、シャッターを切った。

 西の空は、燃えている。
 もうすぐ、この街に、夜が訪れるだろう。

 駅から実家の距離は、歩くと少し遠い。
 しかし、今日は歩いて帰ろう、そう決めた。

 歩かなければ見えぬ景色がある。
 そう、ずっと信じてきたから。そして、その景色を写真に収めたいと思っているから。このカメラには、わたしの意思が宿っている。

 昨年夏、思い出のデパートが閉店した。
 解体される旨は、聞いていた。

 はじめて、更地になった彼の地を、自身の目で見た。無機質な白壁から無数のクレーンが伸び、シルエットを作っていた。

 工事車両の出入り口。水溜まりが、冬の暮れゆく空を写している。その奥には、もう何もなかった、何も。だだっ広い空が、どこまでも続いていた。わたしは、その空を、見つめていた。

 幼馴染が住んでいたマンションの前を通った。
 昔、家に招いてもらい、よく遊んだのを覚えている。

 その彼女も、知らぬ間に引っ越してしまった。今は、どこで何をしているか…なにひとつ知らない。どこかで彼女とすれ違っても、きっと気がつかない。

 よく訪ねたその部屋には、明かりが灯っていた。
 今は、違う誰かの生活が、そこにあるのだろう。

 ここは、大きな街だった。
 秘密の裏道。庭で昼寝している犬。ちょっとした買い物。全てが特別だった。子どものわたしにとって、大きな街であった。

 ああ。
 ここで生きてきたんだよなあ。

 街には、クリスマスソングが流れている。

 家族3人で、クリスマスケーキを食べた夜に、思いを馳せた。
 父が取り分けるケーキは不揃いで、わたしは甘ったるい生クリームが苦手だった。しかし家族でホールケーキを囲んだあの夜。幾度この季節を迎えても、思い出す。

 あれから、我が家には、様々な出来事が起こった。なんでこんな思いをして生きねばならぬのかと、葛藤の日々を過ごした。わたしにとって、初めて見る光景ばかりであった。端的に言えば、苦しかった。

 今思えば、この世では、ありきたりなことも多かっただろう。それは、世の中をを知ってからのことだ。

 感受性の高い10代のわたしにとって、大変に強烈出来事が連なった。
 生死について、真剣に向かう日々を過ごした。眠れぬ夜に、窓から星を仰いだ。

 しかし、どんな出来事があっても、節目になると必ず、あのホールケーキが、食卓に並んでいた。無言で、不揃いに切り分けられたケーキを口に運ぶ。その甘さは、口の中でゆっくりと広がった。

 それは、苦しい日々に咲く両親の愛情であったのだ。当時はそれが、痛くて痛くて、悲しかった。

 そんなわたしも大人になった。モラトリアムを経て、過去を受容し、生について考えた。
 そして今、この地に立っている。

 心は、あの頃より穏やかだ。

 そうだ、あのケーキ屋さんに寄って帰ろうか。

 寂れた街に、ケーキ屋の光が、漏れる。
 店主のおじいさんが、新聞を広げていた。閉店間際なのだろうか。ショーケースには、少しばかりのケーキが並んでいた。

 それを見て、わたしは立ち止まった。
 しかし、中には入れなかった。その扉を開けなかった。

 わたしは、目を伏せ、通り過ぎた。
 理由は、自分でもわからない。なぜだろう、なぜだろう。言葉に出来ない何かが、わたしの足に絡みついた。もう乗り越えられたと信じていた過去。それらが、波のように押し寄せてきた。

 ああ、人生。こんなことの連続だな。
 いつも、いつも。扉の前で立ちすくんでしまう。その扉を開けることが出来ない。ずっとずっと、そうやって生きてきた。

 そんな自分が、嫌いだ。

 街は闇に包まれ、わたしはひたすら歩く。

 見慣れた家が、駐車場になっていた。
 見慣れた店が、空きテナントになっていた。
 複雑な気持ち。

 近所の同級生の多くは、もうここにはいないそうだ。皆、どこかで己の人生を歩んでいる。かくいうわたしも、そのひとり。この街を離れたひとり。この街の変化に、何も言うことはできない。

 その中で、見慣れた和菓子屋に、明かりが灯っていた。遠い昔、よく家族で食べた。あの団欒を思い出した。そういえば、もう何年も食べていないな。

 買っていったら、喜ぶかな。
 今を生きているんだから、今出来ることをしなきゃ。

 今度のわたしは、迷わなかった。閉店間際のその店に、足を踏み入れた。そして和菓子を数個買った。
 そのどれも、当時、家族で食べていたものだった。

 実家までの道のりは、思いのほか短かった。
 大人のわたしにとって、この街は小さな故郷となってしまった。それでもわたしは、残したい景色に、向き合いたい。

 わたしの好きな写真家、幡野広志さん。このツイート読んだとき、わたしの首は、もげるように縦に振れた。

 故郷には、様々な思いがある。それでも、わたしがこの地を踏むのは、ここでの時間を愛していたからだ。

 だから、わたしは、故郷にシャッターを切り続ける。愛しているから、写真に残したい。歩いて、見て、感じて、シャッターを切りたい。

 実家に着くと、少し小さくなった両親と、老いた愛猫が出迎えてくれる。そのありがたさを、忘れてはならないと強く強く思う。

「ただいま」
「おかえり、寒かったでしょ?」
「ちょっとね。はい、これお土産」
 わたしは、和菓子の袋を差し出す。

 食卓につくと、それらが並んだ。
 昔を思い出した。あの頃の笑顔を、思い出した。

「懐かしいね、ありがとうね」
「久々だねえ、やっぱり美味しい」

「良かった」と言い、わたしは席を立った。すかさず愛猫が、わたしの椅子に座る。温かいもんね、そこ。

 わたしも、すかさずカメラを手にした。
 そして、光景にシャッター切った。

 難しい過去があっても、わたしは、わたしたちはこの瞬間を生きている。それでいい。自然と、笑みがこぼれた。

 今度は、あのケーキを買って帰ろう。

 もうすぐクリスマス。
 身近な景色や人と、時間を過ごしてほしい。かけがえのないものを、大切にして生きてほしい。そして、その瞬間を何らかの形で残してほしい。

 わたしたちは、今を生きている。

 それでは、良い写真生活を。


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