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エアコンと記憶の風 - 週末1000字エッセイ#28(全文公開)

 3ヶ月ぶりに実家に帰ると、「寝室のエアコンが壊れたんだよ」と父が言った。2024年7月、静岡県内はまだ梅雨明けしていないのに猛暑である。静岡市では観測史上初の最高気温40℃を記録した。さらに、わたしの実家はただでさえ蒸し風呂のような暑さであるため、エアコンが壊れたとなれば死活問題だ。

 その夜、エアコンのスイッチを入れるとすんなりと起動した。「まだ新しくしなくてもいいかな?」と父が言った。わたしは、年季が入って黄ばんだそれを眺めながら「いつ壊れるかわからないし、変えた方がいいよ」と提案した。

 実家に帰っても、特にやることはない。夕飯を食べながら、両親に最近の出来事をふんわりと話す。高齢である両親の就寝時間は早い。わたしは、静かになったリビングにマットレスを敷き、夜中までスマホを見て時間を潰す。やがて深い眠りにつけるころ、両親が起きる。わたしは眠い目をこすり、一緒に起床する。あまり眠れず、体がだるい。

 朝食を食べ終わると、わたしは寝室のベッドを借りてごろ寝をした。視線の先には、揺れる洗濯物と夏の青空が広がっていた。今日も暑そうだ。壊れたというエアコンは、ゴーゴーと音を立てながら、冷たい風を出していた。

 エアコンにまつわる思い出がある。今から約20年前の出来事だ。

 わたしは、両親と母方の祖父と暮らしていた。母方の祖母はわたしが生まれる前に亡くなり、父方の祖父母は遠方に住んでいたため、年に1度会うほどであった。祖父と同居していたが、わたしは決しておじいちゃん子と呼べる子どもではなかった。その原因は、母と祖父が不仲だった影響が大きかったと思う。

 祖父は戦中戦後を生き抜いてきた人だった。長年警察官として働き、酒も煙草も多くやるが、たいそうな倹約家で、無口で気難しいところがあった。母はよく不満を漏らしていたし、子どものわたしはそれを真に受けて祖父に近づこうとしなかった。祖父の足音がすると、物陰に隠れていた記憶がある。子どもは、時に残酷だ。

 わたしは、エレクトーンを習っていた。エレクトーンは祖父のいる和室に置いてあり、わたしはレッスン前に練習するときのみ、その部屋に立ち入っていた。小学5年生の冬の日のことである。いつものように演奏していると、祖父が「寒くないか?」と言ってきた。わたしは「うん」と曖昧な返事をしたと思う。すると祖父は「エアコン、買ってあげようか」と言った。

 祖父はたいそうな倹約家であったため、祖父の贈り物に両親はとても驚いた。しばらくして、当時最新式のスタイリッシュなエアコンが導入された。早速、部屋を暖めてエレクトーンを弾いていると、祖父は「エアコンどうだい?」と聞いてきた。わたしは「良い感じだよ、ありがとう」と言った。

 その数週間後、祖父は急性心不全で亡くなった。寒い冬の夜、わたしが人生で初めて死に触れた日だった。それまでたくさんの愚痴を言っていた母が、大号泣していた。その姿を見たわたしは衝撃を受けた。

 数少ない祖父との出来事が、頭をよぎる。父が過労で倒れた時、泣きじゃくるわたしのそばにいてくれた。わたしが足裏をくすぐられるのが好きなのを知ってか、こちょこちょと足を掻いてくれた。家族旅行のとき、酒を飲んで上機嫌な祖父は、わたしの頭の形を見て「この頭の形は賢くなるよ」と言ってくれた。「成人式まで生きないとな」と言ってくれたのは、この時の思い出だろうか。子どものわたしは、そんな祖父を避けてばかりいた。本当に申し訳ないことをした。祖父はきっと、わたしを愛してくれていたのに。

 あのエアコンの下には、今でもエレクトーンが置いてある。祖父の死後、あのエアコンはわたしのためだけではなく、のちに一緒に暮らし始める猫たちのためにも大活躍した。これは祖父にとっては想定外だっただろう。祖父が亡くなってから、わたしは両親とぶつかり合いばかりしていた。二度と帰るもんかと思ったことは、一度や二度ではない。しかし、可愛い愛猫がいるからと、しぶとく帰省していた。

 今となって思うのだ。どんなことがあってもこの家に帰ってきたのは、あの日祖父の死に打ちひしがれる母の姿を見たからだ、と。好きや嫌いでは一括りに出来ない人間関係を目の当たりにしたからだ、と。

 思い出にふけっていると、遠くから正午を報せる防災無線チャイムが聞こえた。耳を澄ましていると、聞き慣れない音楽だった。調べると、今年3月から新しい音楽に変更されたらしい。そのことについて、両親は何も言わなかった。ふたりにとっては、すでに日常になっているのだろう。

 街の変化を感じると、過去に取り残されたような気持ちになる。そしてわたしは、その過去を細々と綴っている。わたしは、これからもこの街に帰り、過去に思いを馳せ、筆を執っていくのだろう。

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