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2022年9月 - 今月のスナップとエッセイ

時候の挨拶

 今日も前髪がまとまらない。ドライヤーを振りまき、ヘアアイロンを駆使する。やべえ、失敗した。まとまらない。貴重な朝の1分が失われる。もうだめだ。ドライヤー、暑い。暑すぎる。今日も暑い。これでは、家を出る前から汗だくである。もうだめだ。前髪はあきらめよう。

 夏は終わらない気がした。もちろん、そんなことはない。夏は終わるし、秋は来る。しかしなぜか、あのうだるような暑さには、終わりがないような気がした。

 わたしは、鞄を掴んで、玄関へ走る。

 今日も、社会で戦う戦士だ。戦士は、突き破るように玄関のドアを開けた。すると、涼しい風が首元をすり抜けた。

 あれ、秋?秋なのか?いつの間に?これが爽秋の候とやらなのか?あ、皆様におかれましてはますますご健勝のこととお慶び申し上げます。

明日は我が身

 とはよく言ったものである。

  2022年9月23日未明。台風15号が近づいている夜だった。寝室に、あの嫌な通知音が鳴り響いた。エリアメールだ。寝ぼけ眼でスマホを見る。

 え?あの安倍川が氾濫危険水位?

 安倍川とは、静岡県静岡市葵区および駿河区を流れる一級河川である。平常時、水量はとても少ない。広い川幅を、歩いて渡れそうなほどだ。
 それが氾濫危険水位という。驚いて眠れなくなった。河川水位と雨雲レーダを交互に見て、耐えてくれ…と祈った。
 そうしているうちに、清水区の巴川が氾濫したとの情報を見た。友人が何人か、その近くに住んでいる。心配になりLINEを送った。

 結局、雨雲が通り過ぎ、安倍川の水位が下がってきたのは、午前4時を過ぎていた。

 翌朝、街は停電していた。消えた信号機が、不気味だった。車も人も、お互いのタイミングを見ながら進んでいる。大通りを、小走りで渡った。

 目や耳で情報を得ても、その立場にならないとわからないことだらけである。

 電気がないと、自動手洗いの水も出ない。トイレもタンクレスは、使えない。恥ずかしながら、タンクレストイレでも、機種によって手動で流せる方法があることも知らなかった。
 店の多くは営業できる状態ではないし、出来ても現金払いのみである。キャッシュレスの時代だが、現金の必要性を痛感した。
 そして、なによりエアコンが使えないのが厳しかった。これが8月だったら、と思うと、不幸中の幸いである。夏場はハンディファンの充電を欠かさずしておくべきだ。

 半日経ち、停電は復旧した。懸命にライフラインを支えている方々、ありがとう。そして、今回は半日で済んだが、これが数日・数週間続いた場合を考えると、ゾッとした。

 見慣れた景色の土砂崩れ、冠水、断水、停電。被害それぞれの苦しさがある。自然災害の多いこの国で生きている。本当に、明日は我が身だ。備えを、今一度見直したい。

 依然、清水区では、断水が続いている。9月29日現在、断水地域の約半数が復旧したそうだが、まだ30,000戸以上に影響が出ている。
 少し、清水の街を歩いた。この思いは、ちょっと今は書ききれない。地域の方々が声を掛け合う姿が、目に焼き付いている。

泥の中に咲く彼岸花

 まだ、日常生活に戻れていない方々が、1日でも早く元の生活に戻れることを祈って。

秋を感じた瞬間

 秋は曖昧だ。涼しく過ごしやすい日もあれば、急に夏のような陽射しが照り付ける。いつから秋なのだろうか?

 今夏、わたしたち夫婦は、ツバメの巣を見るのが楽しみだった。ピヨピヨと鳴いていた雛が、いつの間にか巣の周りを飛んでいる。わたしたちは「大きくなったねえ」と喜んだ。
 そのツバメの巣も9月に入ると不在が続いた。夫は「ツバメさん、今日もいないね…」としょんぼり気味。「巣立っちゃったのかな」と答えるとともに、どこに行ったんだろう?と疑問を持った。そういえば、知らない、ツバメのこと。

 ツバメは、夏だけ日本で過ごす渡り鳥。春先にフィリピンやマレーシアからやってきて、夏場に日本で産卵・子育てをする。そして、9月から10月にかけて集団で日本を離れ、南方へと向かうそうだ。

 わたしはスマホを夫に見せた。

「すごいね、ツバメ。2000km以上も飛ぶんだって」
「パワフルなんだね」
「それと、人のいるところに巣を作るのは、外敵から身を守るためみたい」
「じゃあ、また来年も来てくれるといいね」
「そうだねえ」

 いつもの週末。何でもない週末。
 洗濯物を干し終わり、夫に声をかける。

「コーヒー飲む?」「うん、飲む」
「アイス?ホット?」「ホット!」

 その瞬間、秋を感じた。

 秋らしいものは、なにひとつ撮りに行っていないが、今月もシャッターを切った。何の変哲もない街でも、光は秋だ。

 今月、再び右手の調子が悪くなった。指先に負荷のかかる作業をすると、どうも指の動きが悪くなる。幸いにも、今は痺れや痛みは、我慢できる程度に落ち着いている。
 結局、原因はわからないらしい。2月から、こんなことの繰り返しで、もう半年以上が経った。両手の感覚がおかしいが、それももう慣れてしまった。付き合っていくしかないよね、と思っている。

 休めば、良くなると思っていた。しかし、そうでもなさそうだ。それなら、やりたいことをやれる範囲でやろうと思う。

 先が見えないのは、当たり前だ。憂いがあれば、喜びもある。だからわたしは、こんな世界に嘆いて、こんな世界で笑って生きていきたい。
 写真も撮るし、文章も書く。

 泥まみれの感情を抱えて、今日も生きる。

 それでは、良い写真生活を。

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