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アッセンブリッジ・ナゴヤ×PARADISE AIR

PARADISE AIRができる前、松戸市では遊休不動産を活用したアートフェスティバルやまちづくりを目的としたアート事業が行われており、その課題への応答として、アーティスト・イン・レジデンスがはじまりました。同じく、名古屋のまちづくり団体を中心にはじまったフェスティバルから、最近アーティスト・イン・レジデンス事業に移行したアッセンブリッジ・ナゴヤの吉田さんと青田さんとともに、持続する場を持ち続けることの意味や、エピソードベースの成果を可視化する方法について考えます。


フェスティバルからレジデンスへ

森:僕たちは、千葉県松戸市でPARADISE AIRというレジデンスを運営しています。なぜ松戸なのかというと、東京藝術大学のキャンパスが上野と取手にあり、それを結ぶ常磐線沿線でアート活動をしようという動きが2009年頃からあって、松戸市でも「アートラインプロジェクト」が立ち上がりました。 
最初は遊休施設を使って、若手アーティストが展示やイベントをやっていたのですが、「展示が終わった後に街に何も残らないね」と街の方に言われたことをきっかけに、自治会長たちが主体になってコミュニティを作り、地域課題をテーマに、アーティストが作品をつくるという活動が行われていました。でも、課題解決なら別にアーティストじゃなくてもいいんですよね。普通にワークショップを依頼したほうがいい。

 そんな思いがあり、まちのことを自由に動かせる街の人がいて、その課題意識をきっかけにアーティストを呼んでくるのではなくて、アーティストが街に滞在していて何かやりたいと思ったら、街の使い方を知っている人を紹介するという仕組みに変えました。同じことをしているようでいても、アーティストのやりたいことを街の人が応援してあげる関係だと、そこへの関わりかたもテンションが変わってくるのです。

 アーティストはこれまで400人ほどがPARADSEに滞在していますが、最初の年は5〜6人しか来ていなくて、2016年以降、大きく増えていることがわかります。実はこれが大きな区切りで、2016年以前は自治会と一緒に運営していて、以降は一般社団法人として運営しています。自治会と一緒にやっていた頃は、アーティストを最終的に選ぶのも自治会のメンバーだったのですが、審査って大変じゃないですか。正直、来てみないとわからない(笑)。けど、メンバーはそれぞれが一応街の代表として参加している以上、なにかの責任を持たないといけないという。応募は来るけれど全然選べない状態が続いて、アーティストが来ないと活動していない雰囲気になるという悪循環でした。それで、一般社団法人をつくって業務を分けたことで、それ以降はコンスタントにアーティストが街に滞在するようになりました。

滞在人数のグラフ)

吉田:街の人たちの関わり方が変わったのですね。コロナでも滞在したアーティストの数はすごく減ったわけではないのですね。

森:ピンチをチャンスに捉えて、普段はなかなか接点が持てていない近郊を拠点にするアーティスト呼ぶプログラムや、パフォーマンス系や映像系の団体が3日〜1週間ほど滞在して制作するのを受け入れたりしました。これまでも要望はあったけれど、アーティストがいるのでできなかったのですが、部屋が空いているから全部使って大人数で何かやることもできたのと、オンラインレジデンスの人数も含まれているので、あまり減ってはいません。

 ちなみに、コロナで対面での受け入れができなくなって、アーティストとのやりとりは10人くらいのスタッフ全員が入っているメッセンジャーでおこなっています。最初はマニュアルをつくりたくなかったのですが、やりとりがオンラインになったのを期に最近つくりました。PCR検査からチェックイン、清掃、共用部の予約方法、喫煙のルール、感染症対策のことなどをマニュアルにしています。

 以前は、滞在はじめに松戸の街をアーティストと一緒に歩いて案内していたのですが、コロナでそれができないので、日常的な買い物ができるお店、飲食店、素材を買えるお店、会場として使えそうな場所などを、googleマップで共有しています。

吉田:年間いくらくらいで運営しているのですか。

森:人件費、家賃、事業費含めて3,000万円ほどです。文化庁の補助金と、松戸市の予算、自分達の家賃収入ふくめた自己財源が3分の1ずつになることを理想としてにして、どれかがなくなっても大丈夫な状態を理想としています。

吉田:私たちが活動している名古屋港エリアは、100年ほど前に埋立てでできた輸出高日本一の港ですが、1960年代以降、大型船の入港が難しくなり、10km離れた金城ふ頭に港機能が移転しました。現在は、水族館やポートビルなどの観光施設と、商店街、貿易・運送・海運会社があるエリアになっています。
 2007年に競艇のチケット売り場ができたのですが、賛成/反対運動もあり、売上の1%を財源に、港まちづくり協議会がまちづくりを行うことになりました。当時はその金額が1億8,000万円ほどあったのですが、今は8,000万円台になっています。アート事業はそのうち約750万円の予算で、展覧会やイベントをしたり、2ヶ月間ほど街にアーティストが滞在し制作している様子を公開するスタジオプロジェクトを2016年から行っています。愛知県には美術館や美術大学が多数あり、アーティストを続けている人も多いのですが、アートに関心がない人も訪れるような中間的な役割や機能を持つ場所はこれまであまりありませんでした。まちの人も展示や作品だけ見ると難解に感じる人が多いので、アーティストの制作過程を見せることにしました。またアーティストにとってもレスポンスがある状況で制作できるのはよいのではないかと思い、毎年3〜4組のアーティストやデザイナーなどの表現者に滞在制作をしてもらっています。アーティストにお願いしたことは、スタジオの環境を期間限定で公開することと、トークやワークショップなど市民と触れ合える機会を何かひとつ設けることで、成果発表などは必須ではありません。最初からあまりアートのためだけのプログラムだと見えてしまうと、まちの人にとっても敷居が高くなるので、名古屋の人にとって親しみやすいモーニングの企画をアーティストと行いました。使わなくなった喫茶店を借りるなど、空き家対策も兼ねています。

 港まちを舞台にした、アートと音楽のフェスティバル「アッセンブリッジ・ナゴヤ」がはじまったのは2016年度からです(プレイベントは2015年度に行いました)。名古屋フィルハーモニー交響楽団が50周年で、ホールだけではない展開もあり、キュレーター、建築家、音楽チーム、デザイナーなどが関わり、まちのいろんな場所を活用しようとはじまりました。名古屋市の負担金、港まちづくり協議会の負担金と、文化庁の文化芸術創造拠点形成事業の補助金を合わせて、1年目は8,400万円と大きな予算がついたので、音楽部門のプログラムは、港の先に建てたステージでフルオーケストラが演奏するという企画されました。普段見ることができないものとして、観客からも好評だったのですが、楽器に海風を当ててはいけないので楽器は全部レンタル。また4日間という短い日数だった事もあり、音楽家とまちの人とが関われる機会も少なく、「なんでこれをやるんだっけ」と疑問がわいて、アート部門のように展覧会のためにアーティストがまちのなかで活動ができる状況を作りつつ、まちでやる意義を事務局の中でもう一度話し合いました。

アッセンブリッジ・ナゴヤウェブサイト
http://assembridge.nagoya

 そもそもこの事業はオリンピック・パラリンピック文化事業の予算を活用していたこともあり、2020年まで毎年フェスティバルとして実施する計画でした。展覧会をつくるなかで、アーティストがまちをリサーチして滞在制作をすることが多く、例えば、古い喫茶店にあったものを日本画の技法を用いて模写し、絵巻のかたちでアーカイブするというプロジェクトなどを行いました。港まちづくり協議会として空き家を改修するのは、特定の場所の不動産価値を上げることにつながるため、とても難しいのですが、アッセンブリッジ・ナゴヤの会場として整備するのは問題ではないので、港まちづくり協議会ができないことをアッセンブリッジ・ナゴヤとして行うという関係で、まちに入っていきました。まちづくりの予算でやっているため、まちのために何かやるというのは、アートの本来の目的とはずれてしまいますが、作品をつくる過程で見つけたアーティストの視点や考えが、別のかたちでまちのためになるようなものとして残せるのではないかと思っています。

 これは2019年の写真ですが、折元立身さんの作品で、ランチを一緒食べるパフォーマンスに、おばあちゃんが30〜40人参加してくれました。この頃には、私たちの企画側の意識も変化して来たように思います。まちがフィールドであっても、遜色なく作品を鑑賞する場をつくるという目的から、まちや人と関わることによって生み出される作品も、積極的に取り入れていくというようになっていったと思っています。まちの人との交流や参加してもらう幅の広さも、美術のおもしろさや、社会へ繋がる可能性だと思い、活動の形態やアウトプットを増やす方向に変化していきました。

撮影:三浦知也
写真提供:アッセンブリッジ・ナゴヤ実行委員会

 年々予算は減り2020年度は3,300万円の事業になりました。当初はハードの改修にお金がかかっていたので、プログラム自体で使える予算はそこまで減ったわけではないのですが、コロナ禍での開催というもあり、この全体予算でフェスティバルを行うのは難しかったですね。フリーランスが集結して行っているので、それをマネジメントする難しさもありましたが、名古屋市が予算管理や広報などにかなりコミットしてくれたのは大変ありがたかったです。でも当初の計画通りフェスティバルとしては、2020年で一区切りとなりました。

 とは言え、フェスティバルで培った経験をもとに、アーティストがまちに滞在し制作いくことにより焦点を当てて継続できる仕組みができると良いという協議を経て、アーティスト・イン・レジデンスのプログラムとして新たなスタートをきったのが、今年度2021年です。今年度は、港まちづくり協議会と文化庁のアーティスト・イン・レジデンス事業に対する補助金を合わせて、予算は540万円しかありません。港まちづくり協議会と一緒にやることで事業を継続させたりしていますが、予算は増えないけれどやることは増える大変さがあります。

ミニマムで継続する工夫

吉田:現在は元税関寮をスタジオとしてアーティストに提供しています。5年前にここを買い取ったオーナーの方を私たちが探して、文化事業に賛同いただき、無償で提供してもらっています。

写真提供:アッセンブリッジ・ナゴヤ実行委員会

「アッセンブリッジ・スタジオ」として、今年は名古屋圏内から通える人に限定して募集し、3組のアーティストがスタジオを利用しています。また「港まちAIRエクスチェンジ」として、海外アーティストの招聘事業として、マレーシアのアーティストをフィジカルに招待しようと試行錯誤し、ようやく入国を待つ段階まで漕ぎ着けていたのですが、オミクロン株による入国規制により最終的にはオンラインでのレジデンスというかたちになりました。オンラインでのやることの良さと難しさも実感しつつ、実際に来日することができたらどんなことをしたかったかを話しながら、名古屋にいるアーティストがホストになるかたちで、プロジェクトを進めました。

 これはアーティストユニットのL PACK.がつくったUCOという街の社交場です。2018年に取り壊され、向かい側にL PACK.や建築家、大工、学生たちと一緒に全部移築し、NUCOとして新たにオープンしました。昨年までのフェスティバル形式から変化することで、今年からはメンバーたちが自活する仕組みを考えてくれました。木・金・土にカフェをオープンし、メンバーで売上を分配するというルールです。ネットショップも開いたり、地元のおばあちゃんが編んだセーターなどNUCOでしか手に入れることのできないものを取り扱うなど、NUCOとして継続するための実験を繰り返しています。

撮影:今井正由己
写真提供:アッセンブリッジ・ナゴヤ実行委員会

 フェスティバルとしてのアッセンブリッジ・ナゴヤでは、まちでパフォーマンスをやったり、「港まちブロックパーティー」という多様な表現者が集うお祭りをやっていたのですが、それも継続しています。愛知県を拠点に活動しているクラシック奏者が、地元の高齢者の集まりや幼稚園、成人式などに行き演奏する「レジデンス・アンサンブル プロジェクト」も行っています。コロナ禍を機に、これまで港でパフォーマンスを行ったミュージシャンとともに港の風景とパフォーマンスを映像作品としてアーカイブする「港まちで再会する映像プロジェクト」も継続しています。

 また今年はドキュメンテーションの予算がないので、紙ベースでは難しいのですが、写真や映像などで残し、ウェブサイトやSNSなどにアーカイブとして残そうとしています。事業が期限を迎え、サーバー代が払えなくなりウェブサイトが消えてしまわないように、フェスティバル形式からウェブサイトを引き継ぎ、保存しつつ、今年度からのレジデンスプログラムのことも追加していこうとしています。


https://warp.ndl.go.jp/waid/32041


:レジデンスはアーカイブが残りづらいので、PARADISE AIRのウェブサイトは、どういう人が滞在したか、どんなアクティビティがあったかなどを蓄積しやすいようにつくっています。自分たちのためというよりは、街の人やこれから先に入ってくるメンバーやアーティストが振り返れるようなアーカイブになったらいいなと思っています。

PARADISE AIRのPEOPLEのページ
https://www.paradiseair.info/people/

青田:やればやるほど課題が見えてくるけれど、それに向き合えるほどの組織的な体力や時間がないのが現実です。例えば、アーカイブをつくるにしても、フェスティバルからレジデンスに移行するときにウェブサイトを作りを大きく変えることで、プログラムの変化を伝えやすいですが、一から大々的に変更するのは予算的にも難しい。海外のアーティストを招聘するならバイリンガル対応にしたいけれど、きちんとしたものにすぐには対応することがなかなか難しいという歯痒さがあります。先ほどのPARADISE AIRのプレゼンを見て、感心しました。ウェブサイトを見ても、なかなか簡単にできることではない思います。

:基本的に、暇なときに気分転換でやる趣味、もしくはスタッフ側のクリエイション枠なんです。スタッフにはコーディネート業務に対してお金を出すけれど、他は、映像をつくるのもドキュメントを出すのも情報整理もPRも、合間にやっている趣味。だから、やるときにやろうという感じです。でないと自由にできないし、仮にやらなきゃいけないことであれば、ちょっと続けられないでしょうね。

 僕らは、新しいアーティストと会えるのが楽しいのと、メンバー含めて地域やクリエイターのセーフティーネットみたいな部分もあってレジデンスをやっているのですが、お二人がやり続けている、みなとまちやアッセンブリッジ・ナゴヤの魅力はなんですか。そのとき仮にどれくらいの予算があったらよいと思いますか。

吉田:パラダイスエアの予算規模と同じく2,000〜3,000万円くらいの事業規模でできるといま手が回っていない業務をスタッフを増やして実施できたり、アーティストにも配分できてよいかなと思います。

 個人的なミッションとしては、新しいアーティストに出会いたい、アーティストがやりたい活動のサポートをしたいというのが根本にあります。芸術祭で働いた経験から、展覧会としてその場限りで終わってしまうのではなく、その先に継続的な交流や支援に繋げたり、新作を作るときに並走したりできる場はあまりないと感じているので、そこをできる限り実践したいと感じています。愛知にはアーティストがたくさんいて、さまざまな可能性を持った人たちがいると感じています。お節介かもしれませんが、別の場所からきた人と混ざり合う場や、別の場所でも活動を広げるための機会を創出したいという思いもあります。

 美大や美術館が多数あり、あいちトリエンナーレのような大きな国際芸術祭もある。けれど日常的にある中間的な場所として、あいちトリエンナーレの期間以外を繋ぐ場所がなかなかなく、あいちトリエンナーレのスタッフも毎回変わるし、毎回人材を探すのも大変だと聞きます。私は東京から、青田さんは関西から移り住んでいるのですが、自分たちが来た時に気付いたことがあったから、人が交わることのできる場所が名古屋にあるとよいと思います。まちの人たちも最初はなかなかアートは難しいと言っていましたが、展示を観に来てくれたり、アーティストとまちの人で活動する「港まち手芸部」やNUCOを通じてコミュニティができているので、まちづくりとは違うけれど、アートプログラムとしてまちでやることの実感を変化を持って感じられるようになってきました。こういうのって時間をかけないと見えてこないので。

:スタッフの役割分担は?各プロジェクトで種をまいているイメージですが、世代交代や新しい人は入ってきていますか?。

吉田:私は調整やコーディネート業務をやっていますが、昨年から大学の常勤になったので週2、3日くらいです。青田さんは週3、4日程度で企画のクリエーションや制作物を担当しています。それから、アシスタントが1名週4日程度。「港まちブロックパーティー」や「港まちで再会する映像プロジェクト」にプロジェクトマネージャーが1名、海外アーティストの招聘プロジェクト「港まちAIRエクスチェンジ」にも1名ついています。「レジデンス・アンサンブル プロジェクト」の音楽担当のディレクターもいます。

 世代交代という点でいえば、アシスタントをしてくれている山口麻加さんは30歳くらいのアーティストで、港に住み始めて2年になるのですが、「アッセンブリッジ・スタジオ」の運営をお願いしたり、生活と仕事と制作のバランスを取りながら、近くに空き家を借りてもうすぐ自分のスタジオ兼オープンにできる場もつくろうとしています。また今年からNUCOのマネージャーを担当している人は20代後半で、名古屋の商業施設でアパレルの店長をしていたのですが、自分の育ったブラジルコミュニティでカフェをやりたいという夢を持ってアパレルを退職し、NUCOのマネージャーや港まちづくり協議会のスタッフをやりつつ、自分の夢に向かって経験を積んでいます。NUCOのメンバーは美術・デザイン・建築を学ぶ学生も多く、さまざまな大学から来てくれています。NUCOメンバーだと、先ほどお話しした「港まち手芸部」を主宰するアーティストの宮田明日鹿さんも独自の活動をしていますし、別のメンバーも今年度から10代が集うためのフリースペースを港で始めたり、それぞれがやりたい活動を展開しています。また青田さんも私も大学でも教えているのですが、その学生もインターンとして参加してくれています。

教育と実践の場

吉田:7年間近く活動をしていても、地元の美大生がなかなか来ないというジレンマがありました。実際近くでアーティストの仕事を見れる現場なので、大学に勤務するようになったことをきっかけに、声をかけたり手伝ってもらったりして、学生が現場を知る機会をつくっています。

森:大学との連携プログラムですか。

吉田:連携というか、インターンやアルバイトとして、学生に来てもらって、アーティストの仕事を一緒にやってもらったり、港で活動したアーティストを大学のゲストに呼ぶことでより活動を深く知るきっかけを作ったり。

青田:港での活動を数年続けて課題が見えてきたときに、教育ということはすごく重要で可能性があることなんだなと思いました。それを現場で一からやろうとすると大変だけれど、連携することは重要だと考えています。ただ、連携することも相当大変ですが、吉田さんや僕はありがたいことに大学に行っているので、接続がしやすいと考えています。先ほど吉田さんが話していた、学生が展示を観に来るだけでなく、展示を観たアーティストにレクチャーしてもらって学生により近い距離に来てもらうというのは、現場と大学との両方あるからこそできることです。

吉田:アッセンブリッジ・ナゴヤの空き家再生で大きく下支えしてくれたのは、いろんな大学から集まって来た建築の学生たちだったのですが、現場がないとさまざまな関わりが持てないので、現場を続けなければ難しいなと思いました。フェスティバル形式でなくても、予算が限られていても、何かアイデアを実際に実践できる現場があることが重要だと思っています。つい先日も、大学1年生の時から活動に参加してくれている、大学院2年生の学生が、自主的に空き家活用のプロジェクトで社会実験したいと相談を受けました。

青田:学生に限らずこの地域にはアーティストがたくさんいるのに、なかなか外部と繋がったり接点を持つ場所が少ないことがあります。僕は他の人の仕事や作品も気になるし、人と関係性をつくって知っていくことは自分が成長することでもあるのだと思っています。ただ、みんながみんな、そういう考えではないかなと思います。港の活動で言うと展覧会形式にすると、その内容に興味があるアーティストの展示は見に来てもらえますが、例えばレジデンスで来たアーティストの場合は、地元の人たちとの関係性はできても、展覧会やイベントなどでない場合、外部の人との関係性をつくっていくのはなかなか難しいのではと思います。そういう意味でも、できるかぎり繋がりをつくるような仕組みを考えています。PARADISE AIRはそのあたりをどうしているのですか。

森:興味がある人に来てほしいなという期待はありますが、いまのところ、僕が大学でレクチャーするときにはPARADISE AIRの紹介はするけれど、無理に学生を呼んだりはしていません。PARADISE AIRには現代美術だけでなく幅広い人が来るので、毎回客層が違うのは面白いし、それを魅力に感じてリピーターになってくれる人が増えているのでよいかなと思っています。

青田:松戸に住んでいるアーティストが、滞在しているアーティストとコミュニケーションを取ることはありますか。アーティストがこういうことをやりたいと言ったときに、松戸にいる人を紹介するとか。

森:ピンポイントで飲み会に誘ってつなぐことはあります。当然、紹介される方も選ぶ権利があるので、さりげなく聞いてみる感じで。街の人はもうちょっと強引にいくところもありますが、さじ加減は人によってかな。

成果を可視化する

石幡:レジデンス事業に移行してからも引き継いでいけそうなフェスティバルの成果や、レジデンスだからこそできると期待していることはありますか。

吉田:まちにアーティストがいることについては、まちづくりとしての評価のひとつになると思います。これまで関わってくれたアーティストには全員、「自分の制作について教えてください」「このまちに滞在してどんなことに気づきましたか」「今後この場所でどんなことを期待しますか」といったような、定型のアンケートを取っていて、港まちづくり協議会には定期的に共有しています。できるだけそういったアーティストの声を長い期間ため続けて見えてくるものがあればなと思っています。

 また、フェスティバルをやっていたときは、企画ごとにレビューを書いてもらうことで、私たち以外の目線で記録や評価を残していました。港まちづくり協議会から求められるのは来場者数とメディア掲載数くらいで、内容がどうだったかといったことまでは記録として求められないのですが、自分たちでこういうことが起きたとか、こんなことに繋がったという記録は残しています。課題としては、専門家による外部の評価委員のような存在がないことです。つまり自分たちの活動について、自分たちだけで評価する難しさがあるじゃないですか。名古屋市としてもアーツカウンシルの役割を検討しているところだと思うのですが、連携して考えていきたいと思っています。

 評価とは別の話ですが、ずっと税関寮の雨漏りについて悩まされていたのですが、愛知県防水工事業協会に「雨漏りがひどいので何か助けていただけませんか」という連絡をして、これまでの活動報告書をお送りしたところ、素晴らしい活動だと評価いただいて、税関寮の屋根の防水工事を無償でやっていただきました。建築の学生と一緒に空き家を再生して使っていますとお伝えしたら、学生のみなさんにも防水の大切さを教える機会にもなるということで、学生にレクチャーもしていただきつつ、以前見積もりした350万円くらいの内容の工事を愛知県防水工事業協会が引き受けてくれて、雨漏りがなくなりました。


青田:以前船上でアーティストが演奏して、そのパフォーマンスを観客が岸から聴くというライブをやったときも、ほとんど予算がなかったのですが、船舶関係の会社に問い合わせて、企画の話やアッセンブリッジ・ナゴヤ自体の活動について話したところ、そこの社長さんが乗り気になってくれて、その時も無償で船を出してくれて、サポートいただきました

石幡:いま「評価とは別の話」と前置きされましたが、むしろすごい成果だなと思いました。要するに、理解者や協力者が増えたということじゃないですか。協賛金ではないけれども、技術を提供してもらえたわけですよね。例えば「協力者の広がり」という評価軸を設けることで、そういうエピソードが評価されるとよいですね。フェスティバル中のイベントの記録はもちろん残すけれど、数ヶ月〜数年後に実はこんなことが起きたということも含めて残せるとよいと思います。

青田:フェスティバルのよさは制作したものを発表するという目的があることで、アッセンブリッジ・ナゴヤの5年間の活動のなかで、アーティストがリサーチをしてつくったものが美術館のコレクションになったり、その後のアーティストの代表作へと発展したり、大規模な個展に繋がったという事例もあります。でも、例えば美術館の保存の関係でで、この作品はアッセンブリッジ・ナゴヤでのリサーチをして制作されたということを公式に記録したり明示できる仕組みがなかったり、いろいろな背景や後日談はこうやって意識的に発信していかない限り、表向きには残らないんですよね。港まちのプロジェクトを通して出会ったアーティストや学生、まちの人など、関わった人がその後一緒にプロジェクトを始めたことなどもあるりますがなかなか可視化されていないので、そのようなこともを評価として含めて、残していかなければいけない。

森:PARADISE AIRでも、個別のイベントとして見えているけれど、実はこれとこれがつながっているというようなことがあって、それを一覧できるものをウェブサイトにつくろうと思っています。蓄積したからやっとできる状況になったのですが、それもひとつの伝え方かな。
 防水のことはイベントにしてWEBサイトにあげたらいいんじゃないですかね。みんなで水撒きして「全然漏れないですね」とかやったら楽しそう

青田:確かにプロジェクトにすれば、リリースしてもおかしくはない。

吉田:後日談をプロジェクト化する場合もあると思うのですが、みなさんは、どういうふうにまとめているのでしょう。メモを書き留めていく?

森:僕らは、行政や街の人たちには会ったときに自慢、共有します(笑)。行政や街の人たちにとっても、それは自慢になることだから。アーティストに対してはそれが前提になっちゃうといやなので、あんまり共有はしないですね。

石幡:私が関わっているアートプロジェクトでは、街中でイベントをやっているのですが、これだけいろんな場所でやりましたということをマップで示しています。美術館やホールのような文化活動のためにつくられた場所だけでなくて、公園でも、川辺でも、銭湯でもやっていることがわかるような画像を用意するとか。
 同じ地域の公共空間で活動している第三者を交えた対談で、私たちのプロジェクトにも言及してもらってドキュメントをまとめたりもしています。それから、参加団体がアートプロジェクトを経てどんなふうに変化したかインタビューをしたこともあります。

:フリーランスが寄り集まって働いているとか、学生を巻き込んで動かしているというチームのあり方を、これまでは「コレクティブ」と呼んで内実は紹介していなかったのですが、チームづくりのことや、どうやってコミュニケーションを取っているのかといったことも、解像度をあげて可視化していかないといけないとも思っています。

吉田:確かに可視化するって大事ですよね。写真とか映像では残していたけれど、マップにするとか年表にするとかはやれてなかった。

 別府に遊びに行ったときに、事務所に届いたお菓子をリスト化していると山出さんが言っていたんです。私たちが名古屋から「ゆかり」を持って行ったら「ゆかりが来た」みたいに記録される。別府にどれだけ遠くからお菓子が届くか、しかもお菓子を持ってくるのは仲が良いとか、関係性が出来ているところだから、お土産をアーカイブしている。

:取手アートプロジェクトでは、アーティストから受けた相談を全部リストにしていると聞きました。それはナレッジになって、他の人も相談に乗れるようになっていきますよね。

一同:そういう可視化の方法は面白いですね!

プロフィール

吉田有里(よしだ・ゆり)
アートコーディネーター/名古屋芸術大学准教授
1982年東京都生まれ。多摩美術大学大学院美術研究科芸術学専攻修了。
2004年-2009年、横浜市創造都市事業として歴史的建造物を活用したアートセンターBankART1929のスタッフとして勤務。
2004年-2006年、横浜馬車道エリアでの都市開発のプロジェクト「北仲 BRICK」で、プロジェクトスペース「YOSHIDATE HOUSE」をアートコーディネーター・芦立さやかと共同運営。
2009年-2013年あいちトリエンナーレのアシスタントキュレーターとして、まちなか展示の会場である長者町エリアを担当。トリエンナーレスクールやアートラボあいちの立案に関わる。
2014年から名古屋港エリアでMinatomachi Art Table, Nagoya[MAT, Nagoya]、アッセンブリッジ・ナゴヤの共同ディレクターをつとめる。

青田真也(あおたしんや)
アーティスト
1982年大阪府生まれ。身近な日用品など、さまざまなものの見慣れた表層をヤスリで削る作品シリーズを中心に、本質や価値を問い直す作品を制作している。主な展示に、2010年「あいちトリエンナーレ2010」、2014年「日常/オフレコ」(神奈川芸術劇場)、「MOTアニュアル2014」(東京都現代美術館)、2018年「青田真也|よりそうかたち」(Breaker Project、大阪)など。
名古屋港エリアでMinatomachi Art Table, Nagoya [MAT, Nagoya]、アッセンブリッジ・ナゴヤの共同ディレクターをつとめる。

アーティスト・イン・レジデンス「PARADISE AIR」の持続的な運営のために、応援を宜しくおねがいします!頂いたサポートは事業運営費として活用させて頂きます。