鷗外荘滞在記

 三月廿日、午後三時頃に水月ホテル鷗外荘へと到。其名の通り、森鷗外翁の旧居を敷地内に擁する宿である。
 通された部屋は単身客向けの洋室であった。室内に特筆すべき点はないものの、窓を開けられる点、其処から鷗外邸を眼下に眺められる点は好もしい。
 扨、今回の滞在は執筆の為の館詰である。荷解きもそこそこに、書斎机に愛用のマックブック・エアー(Ichigo と名付けてゐる)を拡げ、ツヰッタアにて宿入りを報告する。真正面に大きな鏡有り。執筆中の自身の懊悩顔など見たい筈も無く、些か閉口ものであるが、覆いを頼む迄も無かろうと、此儘進めることとする。

 先ずは空想科学短篇 "Πυγμαλίων" (ピュグマリオーン)の初稿に掛かる。此は生と死の曖昧性をテエマとした三部作の内、最終作にする予定の物である。第一作、第二作は其々 "Θησεύς" (テーセウス)、"Περσεφόνη" (ペルセポネー)と云う。
 人間の男女と同様、人工知能達も子を為す事が有り得るのか、又其の場合は如何なる理由に依り、如何なる形を取る可きものか、思慮する。
 当初は此の「子供」の行末を見る話とする心算であったが、いざ書いてみると冗長に過ぎる。書き手が恣意的に設定し得る性格に拠って「子供」への印象を左右するも不本意であり、「子供」は登場させぬ事とした。更には空想科学ならではの、根幹となるフィクションに就ても序盤に明かす。元からエッヂの効いた短篇にする心積りであったのだから、此で随分とスッキリしたと思う。

 中途で夕食の時分来る。一階のレストラン「沙羅の木」にて京懐石。
 椀物に沈んでいた蓬風味の葛寄せ、豚肉鍋、食後の甘味の柚子のゼリィ、美味。烏賊の差味は好みと違う物が来た。
 焼魚のあしらいに、小指程の蓮を酢漬にした物が出た。輪状に点々と穴が空き、よく此程の細工をしたものだと感嘆したが、思えば何の事はない、蓮には元々穴が在るのだ。
 女将から挨拶を受ける。旧鷗外荘を人手に譲る為、五月末日を以てホテルとレストランを畳むとの事。驚き惜しむと同時に、平穏を残す此の時期に訪れが叶った幸を思う。

 夕餉を終えてコンタクト・レンズの保存液を忘れてゐたと気附く。食後の散歩も兼ねて外出す。
 道中、櫻の下を過る。暖かな夜に揺れる様が美しい。
 宿から五分足らずの場所に、デイリィヤマザキ在り。二日分の保存液を確保した後、用も無く店内を彷徨く。新種のヴィールスの所為であろう、マスクやトイレットペーパーは矢張り見当らなかった。レジスター前に面白い物が有った。他の店であれば揚物やフランクフルトが入っている様なガラスケエスに、洋菓子が入ってゐるのだ。クリーム・パフやチーズケーキ等。心を惹かれたが、鱈腹食べたばかりである為に見送った。明日の館詰に備えてペットボトルの焙茶を一本購う。
 帰りはスマート・フォーンの地図に頼らず歩く。曲がる道を一筋違えた様だが、大した影響も無く帰り着いた。

 浴衣を持ち、渡り廊下の先、別館に在る浴場へ向う。来て早々は洗い場が埋まってゐたが、水を飲むうちに空いた。
 琥珀がかった、熱目の温泉である。掛け流しであるのが、何とも贅澤で好い。手足を伸ばし、爪の先先に至る迄湯を喫した。所謂「美人の湯」で有り、腕を撫ぜると微かに滑りがある。
 痺れる様な指先の血の巡りを存分に味わってから上がる。渡り廊下に吹く春の宵の外気が快い。

 部屋に戻ると、編緝のK君より連絡が届いてゐた。如何やらツヰッタアは見張られてゐるとの由。迂闊な事は呟かぬ様にしなくては。
 更にK君は、別便にて進捗報告の為のツヰキャスの要求を呉れてゐた。遣手である。
 "Πυγμαλίων" (ピュグマリオーン)の初稿を仕上げた時には、既に十一時を廻ってゐた。原稿と同じく、作家も一晩寝かせた方が良い作品を生むものだ。白くぱりっとした寝布に潜る。

 夢を観た。毎週日曜日に実家にて昏い儀式を執り行う夢である。何に捧げる物なのかは判らない。其は願いを叶える。代償に、一度でも儀式を欠けば、一家は皆死んで了う。
 目醒めた後も、茫とした薄暗さが残ってゐた。

 扨置き朝食の予約は済ませてある。朝食も和風である。塩鮭、昆布の佃煮等美味。給仕をして呉れたのはアルバイトの学生と見え、微笑ましい。此の早朝からキチンと着物を着附けてゐるのが健気である。賄いで此処の美味しい食事を澤山食べられてゐると好いと思う。
 彼女は四種の小鉢を持って来て呉れた。辛子明太、焼いたヴヰナーソーセージ、キーウイフルーツのジャムを掛けたヨーグルト、マンゴのジャムを掛けたヨーグルト。此等の内から二種を選んで良いと謂うので、辛子明太とマンゴのジャムのヨーグルトを貰う。何方も好物である。

 其からは "Πυγμαλίων" (ピュグマリオーン)の手直しをし、兼ねてより構想してゐた長篇に掛かる。此方も空想科学小説である。舞台は二〇四八年、ホンの三十年にも満たない未来である故、基本的には現代と相違無い社会と計算してゐる。

 十時を過ぎてハタと思い立ち、 "Πυγμαλίων" をPDF形式に書き出し、コンビニエンス・ストアーのネットプリントに登録する。調べた所、昨夜訪れたデイリィヤマザキには機器が無い様だ。代わりに大通り沿いのファミリィ・マアトを目指す。
 後に知った話では、此の連休で上野公園には随分と人出があった様だが、根津駅から動物園へ続く道は長閑な物であった。
 目的のファミリィ・マアトは鰻の寝床の如く奥に細長かった。首尾良く印刷を終え、何とも無しに店内を一巡りして帰った。

 其からは推敲も兼ねて、Ichigoに入力してゐる "Πυγμαλίων" を原稿用紙へ書き写す。凡そ二時間掛けて、半分程度進んだ。

 午后、編緝のK君来る。「沙羅の木」にて昼食を摂りつつ、 プリントアウトした初稿を見て貰う。他者の目を通すと、書き手自身では意識してゐなかった背景や隠喩が立ち現れてくるのだから不思議である。勿論更なる修正は要るものの、大筋は好感触であった。
 関連して、此方からは構想中の作品群を相談し、K君からは伊藤計劃の「ハーモニー」と映画「アンドリューNDR114」、「her/世界でひとつの彼女」を勧めて貰う。
 昼食は膳仕立で、メーンがステーキ、差味、天麩羅、煮魚の内から二種選べる仕組であった。K君はステーキと天麩羅を、私は天麩羅と煮魚を頼んだ。
 話に夢中になって食事の詳細は佳く憶えてゐないが、白身魚の天麩羅が旨かった。
 此れで阡伍陌圓程なのだから、随分と気前が好い。

 食後、鷗外荘の旧居を見学する。
 K君はカメラを二台——愛用のローライフレックスと、購って間もないと謂うコマ撮りカメラ——を持って来てゐた。コマ撮りの方は手回しオルゴォルに似た形で、ハンドルを回す度にシャッターが切れる。然うして連続して撮った寫眞を次々と見せる事で、被写体が動いてゐる様な視覚効果を与える仕掛らしい。K君は此を使って、邸内を探検する一人称視点の画を撮ってゐた。

 鷗外荘は屋敷と庭の造りは純和風だが、室内は和洋折衷の趣である。畳の間に絨毯を敷いてテエブルとチェアを置いたり、長押に洋燈を据えたりという具合だ。明治、大正期ならではの調和に心が惹かれる。
 予約制のレストランとしても機能しているそうで、座椅子やテエブルは綺麗に整えられていた。叶うならば文机に向かって執筆を気取ってみたかったのだが、整然とした席を乱すのは流石に憚られ、縁側に坐して原稿用紙を床板に拡げ、幼子が絵を描く様な恰好でペンを走らせた。内容は昨夜の夢のスケッチである。上手く手繰り寄せて遣れば、気味悪く揺らめく幻想譚と成りそうな感触が有った。
 私が夢を甦らせ、再構築してゐる間、K君は邸内を撮影して巡ってゐた。

 縁側から見える庭は花の咲き初めであり、まだ葉を附けない枝枝を雀やひよ鳥が跳び移る。小川を模して設えた池には錦鯉が泳ぐ。
 庭の向うは渡り廊下であり、時折他の宿泊客や従業員が通る。此方から見えると云う事は向うからも此方が見える訳であり、蹲って執筆に励む此の姿は彼等の眼には如何に写ってゐたのであろうか。

 扨、その庭にK君と下りた時である。私が丁度中原中也をイメエジした出で立ちであった為であろう、カメラを構えたK君から「往けッ、中也!」と指示が飛ぶ。被写体となる事に依存は無いが、K君はチュウヤをピカチュウの亜種か何かだと認識してゐるのかも知れない。次に逢った際には確かめてみなければなるまい。

 然う斯うしてゐる内に、夕に差し掛かってゐた。
 根津駅への道すがら、櫻の樹の下で足を留める。蕾と、もう咲いたのとが半々位である。
「見た目に最も美しいのは、花だと思う」
 ファインダーを覗き乍ら、K君は謂った。例えば星星や大バッハの音楽等の、数学的、否、宇宙的な調和を好むK君らしい言葉と感じる。屹度、数学は其の調和を説明する為に人間が創り出した学問なのだ。

 不意に「どないですか」と声がした。見れば通り過がりらしい小柄な中年の男性である。櫻の事であろうか、と私は再び樹を見上げた。まだ蕾は多いが、その分枝枝に表情が在る。満開は来週辺りと思われる。
 その様に返答を考えてゐた所、男性は「ローライですか」と再度発した。成程、彼の関心事はK君のカメラの方だったらしい。
 振舞い方が解らず、後の応対はK君に任せてしまった。
 其にしても、彼は何故K君では無く私に話し掛けて来たのであろうか。男性が去ってからK君に謂うと、
「普段はカメラを持ち歩いても声を掛けられる事は無いから、貴方の雰囲気に因る物でしょう」
との事だった。他人の何処を見て声を掛ける、掛けないを判断してゐるのか、此も又不思議である。

 K君を見送ってから夕食迄執筆を進める。夢の走り書きを流れに纏め、物語としての肉を与える。目醒め乍らに眠ってゐる様な、意図的に明晰夢に落ち込んでゐる様な心持である。

 夕食は再び「沙羅の木」にて。すっかり常連の気分である。
 前菜の供し方が面白かった。重箱に似た漆塗りの箱が目の前に置かれ、其が角の所から左右に開く。中には上下仕切が三段、左右互い違いに設えられて、其の各々に前菜の小皿が乗ってゐる。松前漬の塩気と旨味を噛み締め、日本酒が呑めたらさぞ良かろうと想像した。
 椀には蓬の葛寄せが居た。再会を祝す。美味也。
 今回の白眉は差味であった。程良く脂の乗った鮪と、芽葱を巻いた鯛。九州育ちの為か、差味は新鮮で固い位に歯応えのある方が良いと常常思ってゐるのである。
 白飯には細切の塩昆布が掛かってゐた。見た目にざっくばらんな印象を受けたが、食べてみると昆布自体の厚みも味付も分量も、確乎と逸品であった。
 食後には果物の取り合せが出た。四角く切られた緑色の一片に見憶えが無かった為に給仕の女性に尋ねた所、「抹茶の蕨餅です」との答だった。道理で果物としては知らない筈である。

 自身の感覚よりも長居してゐたらしく、ツヰキャスの開始予定も程近い。ぽつぽつとペンを進めつつ時を待つ。
 夜の九時から三十分行ったツヰキャスでは、進捗に加えて現在のアイデア等も語った。喋る内容を殆ど用意してゐなかった所為で、十分程で手持ちの話題は尽きて了い、何とも締まらない。K君も来て呉れてゐたが、昼間に聞いたのとほぼ変らなかったであろう。

 Ichigoの前に座ってゐるのを良い事に長篇の続きに手を出し、気附けばもう浴場も終いである。折角の温泉宿で客室のユニットバスに浸かるというのも味気なく、風呂は翌朝に回して此の晩は寝てしまった。

 目論見通り、目醒めは早かった。良く晴れた朝である。
 浴場には他に一人居るだけで、広々と湯を使った。寝起きの冷えて萎んだ細胞の一粒一粒に効能が染み通る。
 上がった時には全身が大らかに寛いでゐた。この時の私の両腕を掴んで持ち上げたならば、猫さながらに何処迄も伸びたに相違ない。

 サッパリとした気分の朝食である。今朝の小鉢候補は辛子明太、鮪の山かけ、マンゴのジャムを掛けたヨーグルト、苺のジャムを掛けたヨーグルトであった。
 此はヨーグルト二種でも良いのかしらと悪戯心が湧いたが、温順しく鮪の山かけと苺のジャムのヨーグルトを貰った。風呂上りには冷んやりした物である。
 柚子で香りを附けた切干大根を噛むうちに、緩んだ頭も其也に冴えてきた。

 とは謂え、後は帰るのみである。歯を磨き、大きな伸びをしてから荷物を纏める。特に原稿の類は置き忘れの無い様に確認を重ねた。大切な成果であるのは勿論だが、見せたい相手に見せたい時宜に見せるので無ければ、書き掛けの原稿を他人に見られる程に決まりの悪い物はない。

 チェックアウトの時刻も迫り、到頭鷗外荘に別れを告げる頃合となった。
 原稿の他にも持ち帰れる物が欲しいと思い、フロント傍の、土産物を並べた一角に寄る。鷗外翁の肖像や彼の作品の一節をあしらった文房具や手拭い、襯衣はホテル独自の品であろうか。
 暫く棚を見比べた末、「鷗外ブレンド」なるオリヂナルブレンドの珈琲を購った。

 斯うして、二泊三日の館詰生活は終了した。
 矢張り物書き三昧は疲れる物らしく、帰宅してから四時間程、グッスリと睡り込んでいた。
「鷗外ブレンド」は未だ封を切れてゐない。執筆が行き詰まった際の伴にし、鷗外翁の霊験に肖ろうと云う次第である。


後書き

これは、2020年3月20日〜22日に「水月ホテル鴎外荘」に宿泊した際の思い出を、脚色も加えながら記したものです。
「温泉宿で館詰になる文豪」ごっこをしていたため、本滞在記もそうした書きかたにしてみました。
本文でも触れたとおり、水月ホテルおよび鷗外荘は5月31日を以て閉館するそうなので、ご興味のある方は(社会情勢も見ながら)お早目にどうぞ。
お食事のみ、日帰り温泉入浴、鴎外荘の見学のみも可能とのことです。

2020/4/26 追記
二日目の午後のことが動画になりました。
撮影・作成はカラノラカさんです。ぜひ合わせてご覧ください。


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