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カラダを消費されるということ:男性の性被害

【はじめに】

ここからの内容は、性被害や性暴力について書かれたものとなります。状況説明と、当時の僕自身の心情の描写のため、性的な表現(特に、不愉快であったり暴力的な)や、性暴力に関する表現も多数出てきますので、そういった表現が苦手な方や、過去にそういった経験をお持ちの方は、閲覧に注意してください。お読みになることを決めた方も、読み進めていくうち「あ、もうダメ」と思ったら、即座にブラウザバックを推奨します。
また本稿は、性被害の理解を意図して書かれたものであり、性的娯楽作品ではありません。性被害の被害者(あるいは加害者)となる可能性のある人に読んでいただきたいものですが、表現上の理由から、一応年齢制限は15歳以上とさせて頂きます。

このことを書こうと思い立ったのは、3〜4年前。noteを始めて1年ほど経ったあたりの頃でした。
以前から個人ブログのようなものはやっていたものの、趣味性が強いサイトのため、こういった話を扱うのに適切ではなかったり、内容がセンシティブなことで、およめさまにさえ話せなかった事(おそらく彼女は、このエントリで初めて事実を知ることになります)であるため、記事として世に出すことがためらわれ、ずっと自分の中におさめていました。

今回こうして記事にまとめることにしたのは、やっと自分の中で踏ん切りがついたからです。だから僕の中でこのことは、「いまさら」ではなく、「やっと」なのです。

彼を糾弾したり、謝罪を求めたり、晒し者にする意図はありません。それこそ「いまさら」ですし、もう30年以上も前のことです。彼にも現在の生活があるだろうし、それを脅かすつもりもない。もしかしたら、覚えてすらいないかもしれません。
1学年100人以下の、当時の都内としては小規模な学校で起こったことなので、僕を昔から知る人は、誰がそうしたのかの見当をつけることができてしまうかもしれません。
当然実名は出しませんが、僕を知る人たちは、それを暴いて事を荒立てたりしないようお願いします。今回の記事の趣旨は、そこではありません。

















【中学時代の出来事】

欲目を差し引いても、少年時代の僕は結構な美少年だったと思います。
小学生時代はそれこそ「ジャニーズが来い」レベルでした。
現在は「どうしてこうなった」というレベルまで落ちてしまいましたが、その「容姿のピーク」は、中学生の終わり〜高1くらいまでは続きました。
これは、その頃の話。

中学時代、同学年にTという男子生徒がいました。
公立の中学校でしたが、1学年100人以下、しかもほとんどの生徒が近隣の同じ小学校から入学することもあり、ほとんどの生徒が顔見知りという、私立のエスカレーター校のような環境でした。
当然僕もTもお互い顔見知りでした。
二言三言くらいは言葉をかわしたこともあったかもしれませんが、小学校時代はほぼ没交渉だったはずです。
そんなTと、中学2年で初めて同じクラスになりました。
Tは派手なグループに属するタイプではなく、ヤンキー寄りでもない。とはいえおとなしいグループの人間でもなく、授業中や休み時間にバカ騒ぎをしたりはするものの、誰もそれに絡まず、一人で騒いでは誰にも相手にされないという、一言で言うなら「パワー系滑りぼっち」。要するに「イタい奴」でした。

Tは、色々なところにウザ絡みしていくタイプの男子でした。
ただし、自分よりヒエラルキーの高い体育会系リア充やヤンキーではなく、ヲタ系文系帰宅部系の生徒に。
なんのきっかけだったのかはわからないですが、2年生の1学期の半ば過ぎ頃、Tのターゲットが、それまで頻繁にいじり倒していたAから僕に向いたのです。
そもそもから、Tの絡み方は、なんというか「変な感じ」でした。
言葉でいじるとか、殴る蹴るとかそういうのではなく……うまく説明ができないけれど、今思い返して、自分が感じていた感情を分析してみると、恐らくセクシュアルハラスメントを受けている女性の感覚に近いものだったのではないかなと思います。

Tの「絡み」は、殆どのばあい、肉体的接触を伴いました。肩に腕を回されたり、後ろから羽交い締められたり、背中にもたれ掛かられて耳元で喋られたり等々。
明確ないじめと判断するのが難しいこれらは、現在でも「ただふざけてじゃれあっているだけ」と判断されるかもしれません。けれど僕は明確に「嫌だ」と思っていたし、なにより「距離が近い」のが、どうにも気持ち悪かったのです。
「狙われている」と直感が告げていました。でも誰にも言えないし、説明もうまくできそうにない。
もしいま感じているものをコレクトに伝えることができたとして、一笑に付されてしまうであろうことも容易く想像がつきましたし、なにより自分自身が、Tに対して感じている不快感と違和感に、名前をつけられずにいました。

とある日の放課後。どういう流れからかTが、「家に遊びに来い」と言い始めました。
当然僕は頑なに拒みましたが、言外の脅しに屈し、最後にはしぶしぶついていってしまいました(後に後悔するのですが)。
Tの家の直前、とつぜんそのへんの土くれを掴むと、Tは僕のアタマに土をかけ始めました。
「なんだよー!」
と僕が抗議すると
「脱色してるみたいでカッコいいじゃん」
と、ヘラヘラと笑いながらいいました。
髪の毛も制服も土まみれの状態で、Tに促されるまま、Tの家に入りました。
家族はだれもおらず、Tと僕だけ。
Tはひとりで麦茶をあおると、A5サイズの「そういう本」を手に取り、僕をトイレへ連れ込みました。
学生服のズボンと下着をおろし、便器に座ったTの男性器は、すでに大きくなっていました。
その前に跪かせられるかたちになった僕の右腕が、Tの手で強く握られ、その部分に押し付けられました。さすがに僕も強く抵抗しました。
「やめろよ!」
「なんで?」
「嫌だからだよ」
「なんで嫌なの?」
「嫌だから嫌なんだよ」
「嫌だから嫌じゃわかんねーよ。なんで嫌なのか言ったらやめてやるよ」
「…………」
Tの問う「なんで嫌なのか」について、僕は何も答えることができませんでした。
Tは本を広げると、股間のそれを握らせ、「うごかして」と言いました。
生暖かい、硬めのゴムのような感触のそれを、僕は嫌々ながらしごきました。
もうここまできたら、とっとと終わらせようと。
しばらくしていると
「なんか左右にブレてる。もっとまっすぐ」
と、Tのそれを握っている僕の手をとり、上下に動かしました。

無心で動かしました。というか、何も考えられませんでした。
ただただ早く終わることだけを願いつつ、Tの男性器を刺激し続けました。
Tの息がどんどん荒くなり、手の中のそれがより硬く熱くなってきました。
僕自身もその当時、すでに自慰行為は知っていたので、その変化が何を意味するのかは、理解できました。
「それ」が一瞬、僕の手の中でぶわっと膨むと、苦しげな吐息とともに、Tが射精しました。
Tのその部分から吐き出された液体は、僕の手を汚し、制服の袖口を汚しました。
Tはトイレットペーパーをとり、「これで拭けよ」と差し出しました。

そのあとどういう流れになったのか、どうやって帰ったのか、全く覚えていません。
不思議なことに、辛かったとか悲しかったという感覚はなく、Tの男性器と精液の感触が右手にずっと残っていて、それが気持ち悪かった以外は、なんだか狐につままれたような、ぼんやりと現実感のないような感じでした。
もしかしたら、脳の安全装置のようなものが働いたのかもしれません。

Tの真意はわかりませんが、自分の手以外のもので射精したらどんな感覚なのかの単純な興味だったのかもしれません。
Tは、女子と普通に話のできるタイプではなかったので、女子よりも小さくて(自分で言うのもアレですが)可愛らしい感じだった僕を狙ったのでしょう。

【数年前の再会】

あの時のTにとって、僕はただの「オナホ」でした。
幸いにも、その後Tからそういったことを強要されることはありませんでしたが、こうして30年以上経ったいまでも覚えている程度には、衝撃的な記憶です。

遠い遠いむかしの話。いまではそれを冷静に思い出すこともできますが、やはり詳細を思い出そうとするとブレーキがかかるようで、本稿を書くために記憶を遡るのに難儀しました。それでも、こうして文章にできる程度には冷静でいられます。
数年前、およめさまの実家の帰りに旧地元駅前のスーパーに寄った時、どうしても見つからないものがあり、店員に声を掛けると、振り向いたのはTでした。
彼は、そこで働いていたのです。
僕に気づいたのか、気づかなかったのか。それはわかりませんが、Tは事務的に商品の前に僕を案内すると、持ち場に去っていきました。

取り乱したり、パニックになったりということはありませんでした。
ただ、あのときの嫌な気持ちと、ヘテロセクシャルの僕が、男の性欲の処理のために、性欲処理のためのモノとして扱われたやるせなさというか、生理的嫌悪とはまた別種の、「尊厳を傷つけられた」感覚が湧き上がってきました。
それはきっと四半世紀以上前のあの瞬間に感じるべき感情だったのかもしれません。
感じるべき感情を、感じるべき瞬間に感じられず、封印してしまう。
強いショックが心にかかると、そういうことが起こるのでしょうか?
わかりませんが、僕はスーパーでのTとの再会で、やっと自分の身に起こったことを正しく認識できました。それが不幸なことであり、Tのしたことは誤りで、僕はとても可哀想だったのだと。
それを認識できたことで、やっとこのことに、自分の中でケリをつけることができました。

【カラダを消費されるということ】

性犯罪というと、加害者が男性で被害者が女性のパターンがほとんどと思われがちですが、僕の場合のように、男性が被害者となる事案も存在します。
しかし、ほとんどの男性は、自分が「性の対象として消費される」という可能性を、まったく考えもしないのではないでしょうか?

職業として性的なサービスに従事しているとか、個人であっても、選択的に自分の性的な価値に価格をつけて販売しているような人ならば、「性を消費される」ことへのある程度の覚悟のようなものをしているかもしれません。それでも「適切な場」でないところでそうされることは、強いショックと嫌悪感を感じるでしょう。
いわんや、そういったところにない、ごく普通の人であればなおさらです。

「人の気持ちになって考える」という言葉がありますが、僕は人と人は、究極的にはわかりあうことはできないと考えています。
どうしたってわかりあえない。だから「想像」するんです。
そうされたとき、相手はどう思うか。
そうされることが、相手の未来にどんな傷を残すのか。

少なくとも僕の身に降り掛かったことは、アラフィフのおっさんになっても覚えている程度にはインパクトの強い出来事でした。もちろん悪い意味で。
性被害に遭うということは、そういうことなんです。
一時の衝動で「人」を「もの」として扱うことで、一人の人間の心に、抜けない毒の銛を突き立てることになります。
どれほど言葉を尽くして訴えても、性犯罪や、もっとたくさんの、犯罪として扱われることのない性加害・被害は起こりつづけていますし、これからも起こってしまうのだと思います。
ぜひ両面から想像してみてほしいのです。
自分が加害者になった場合
自分が被害者になった場合
自分が、相手が、その後どんな人生を歩むことになるのかを。

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