近寄り難い大人になる前に
本記事はサクッと2,3分で読める長さになっています。是非ご一読ください。
①構築
人間、生きていれば何かしらの価値観や信念のようなものが芽生えてきます。
怠惰は悪だ、真面目は馬鹿を見る、人生は暇潰し、いつでも全力投球、遊びこそ本質、等々。
でもこういうのは一度構築してしまうと大事に抱えすぎてしまうことがあると思うのです。
(自分の”信念”に溺れて”その殻”に閉じこもり、視野が狭くなってしまうようなイメージ。)
それでは、芯が通っていて硬派な反面、融通が効かなくて柔軟性に欠けるという欠点にも繋がりかねません。
では、柔軟性と重厚さを兼ね備えるためにはどうするべきか?
元堅物の私が行動と経験によって導き出した一つの回答をここに書こうと思います。
②破壊と構築
長年かけて大事に育ててきた価値観や信念がある方は、それをぶっ壊してみてはいかがですか?
というのも、私には今まで構築してきた価値観を破壊しまくってきて分かってきたことがあるのです。
真面目さを捨て、周囲に迎合し、欲に忠実に行動し、今までなら絶対に行かなかったような場所へ出向く。
そして、そんなことを暫く繰り返した後、冷静に過去の自分と今を比べ、二つの価値観を混ぜ合わせた先に今の私があります。
そんな私の、以前と大きく違う点は否定を殆どしなくなったことです。
AかBかの二項対立で物事を判断するのではなく、Aの考えもBの考えも行動に移してみたけど、現時点では自分はCという考えに至ったよ。
といった感じで、どちらの意見も受け止めつつ、自分なりの考えを持てるようになりました。
私がこのように変わったキッカケは、とある異性とのネット上での口論だったりするのですが、その話はまた別の機会に記事にしたいと思います。
③行動
さて、最後に普段noteを読み書きしている方へ一つだけ聞きたいことがあります。
いいねした記事の内容、noteに書いた哲学、ちゃんと行動に移せていますか?
少し話が変わりますが、私は大学時代、哲学にハマった時期がありました。
その中で名著を読み漁り、偉人の言葉に触れていく。それはもう刺激的で楽しい日々でした。
しかし、ふと思ったのです。
彼らは偉業を成し遂げた人物ばかりだと。口だけ達者、考えだけ立派な人では哲学者にはなり得ないのだと。
まあ、別に哲学者になりたい訳では無いのですが、つまりは彼らの真価は明言ではなく行動と成果の中にあるということが言いたいのです。
なのでもう一度言います。
現在の自分の信念や価値観に囚われ、新たな一歩が踏み出せない方。一度それを壊してしまうのはどうでしょうか?
大人になった時、歳を重ねた時。
あの人は堅物で近寄り難いと言われるのは、少なくとも私は嫌です。
変化の激しい今の時代、世代間の壁が薄れてきた今だからこそ、価値観の破壊と構築が重要なのではないでしょうか?
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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