見出し画像

「恒温なアイツ」 の最後の夏

アイツは
いつも一定温度さ

オレら 
盛り上がってイケイケの時も
普通の顔でエラーをするし

だからって凹むわけでなく
ワリイって右手を挙げて
すぐいつもの顔に戻るじゃん

それで点が取られても
オレらすでにイケイケだろ?
すぐ取り返すんだよ?
で アイツいつもの顔じゃん

 アツくなるときは
 いっしょにアツくなれっての!

それで オレらが
ピンチのときならどうかって

アイツいつもの顔じゃん

ヤバイ ヤバイぞってときも
アイツは冷えねえの

そんで 最終回にポーンと
同点打を打ったりするんだよ
どうなってんのって!

決勝打ではないんだよ
そこがアイツらしいんだよ
新聞記事にならないヤツさ

 なんだかんだ
 持ちつ持たれつだよ オレら

行こうぜ一緒に
アノ場所へ

それを決めた瞬間に
オマエはどんな顔をするのかな?

いつもの顔でちょっと笑って
せいぜい両手を挙げるかな^^



これは、高校球児の母ちゃんだったわたしが、息子のイメージを詩にしたもの。
彼の仲間達ならきっと、こんな風に感じていたかも?という想像です。

百人いれば百通りの人生の物語がありますが、高校球児と野球母ちゃんだったわたし達にも、ストーリーがあります。
以下は、わたしの思い出話♪お暇がある方は、お付き合い下さいませ。ちょっと長いです。


いつだって感情恒温に見える彼が、泣いた日がありました。それは最後の夏、選手権大会。甲子園への道が途絶えた敗戦の時。それは悔しさのためではありませんでした。たくさんの温かな思いの中で、最後の瞬間まで、仲間と共に戦えた幸せによるものだったのだそうです。

長男は、選手権大会開幕二週間前に、膝の前十字靭帯を断裂しています。大会前最後の練習試合のため、北見遠征に向かった土曜日のことでした。

わたしは、1日だけの日帰り応援を予定していて、日曜日の朝に出発するつもりでいました。ところがその土曜日の夕刻に、部長の先生からの、「怪我をしたから、迎えに来て欲しい」との電話を受けたのです。

太腿から足首まで、全てをサポーターに包まれて、満足に歩くことも出来ない長男が待っていました。

土曜日の救急病院では、確かな診断は出ず、なんとか軽症であって欲しいと願う母の気持ちと裏腹に、彼はもうただの怪我ではないことを、悟っていたようでした。膝の中で何かがちぎれる感覚があったそうでしたから。

月曜日の診察で、予想通り、前十字靭帯の断裂が分かりました。

わたし達の選択肢は2つでした。再腱手術をし6ヶ月間の安静か、断裂のまま装具を付けて、選手権大会出場を目指すのか。

長男の答えは迷いなく「出る。」でした。
靭帯は断裂しているので、それ以上の損傷はない。半月板を痛めるリスクはある。金属の装具をつけての出場は、接触のあるスポーツでは叶わないけれど、野球なら大丈夫。出られる可能性があるなら、絶対に間に合わせるから。と。
心配な気持ちもありましたが、彼の気持ちを尊重するしかありませんでした。

それから、急ピッチのリハビリがはじまりました。膝に溜まった血を抜いて腫れが引いたら、とたんに関節が不安定になり、装具をつけなければ、歩く事ができないところからのスタートでした。

選手権大会まで残り二週間となると、朝も放課後も、最後の追い込みで練習は熱を帯びます。朝練に行き、放課後はリハビリのため病院に行き、また学校に戻って練習補助を行うという毎日でした。

わたしが送り迎えのできない時は、チームメイトのお母さんが、かわりに送迎をしてくれました。みんなの協力があって、長男は自分の思いを全うすることができました。

リハビリを見ていると、理学療法士の方の技術と、心を支える関わりにも助けられました。

始めの日は歩くだけしか出来なかったところから、次第にランニングになり、スイングの動作確認、投げる動作と実戦に近い練習に進んでいくごとに、この子は本当に試合に出るつもりなのだと、わたし自身の覚悟も出来ていったのだと思います。

本人のサイズに合わせて注文した装具が出来上がり、届けられたのは、開幕の前日のことでした。

開会式の入場行進。あの独特なスタイルの歩き方は、膝を高く上げることにもなります。スタンドから見ていても、靭帯断裂の影響は感じられず、これで間に合ったのだと、深く安堵した事を覚えています。

代打と短い時間の守備機会もありました。装具をつけているとはいえ、加減なしのプレーには、正直ひやひやでした。
それでも、チームメイトの頑張りで、支部予選の決勝戦まで、勝ち上がっていくことが出来ました。

決勝戦は、両校ともに全校応援です。市内では、長い歴史を持つライバル校同士でしたから、スタンドの応援もボルテージは上がる一方でした。

試合は最終回を迎えてなおビハインド。大切な場面に、代打としてバッターボックスに向かうその背中に向かって、どうかあなたの願いどおり、チームに恩返しの出来る打席となりますように。
と、必死に祈りました。

試合は、そのまま敗戦。長男の夏はそこで終わりました。

試合後、球場の外で待っていた父母のところに、泣きながら笑顔を作って、今までの応援にありがとうと伝えに出てきたチームのメンバー達。
毎週末ごとに、追っかけのごとく、練習試合の応援にもついて回った母ちゃん達は、どの子もみんなが自分達の子どもと思えるほど、全員を本気で応援していました。

「ありがとう」は、こちらこそでした。
本当に、二度目の青春のような楽しい毎日を過ごさせてもらいました。

球場からの帰り道。車の後部座席で、長男がポツリと「幸せだったな」とつぶやいた声が聞こえてきました。悔いはなかったんだ。そう思えました。

その後、靭帯は断裂をしたまま、学校祭も存分に楽しみ、夏休みに入ってようやく手術を行うことが出来ました。

後に、チームメイトのお母さんたちから聞いたことがありました。
怪我の知らせを聞いた後、セカンドの子は、二日間笑わなかったのだそうです。サードの子は家で泣いて、ショートのキャプテンは、泣き虫のマネさんに、「本人の前で絶対に泣くなよ。1番辛いのは本人だからな。」
と言ったのだとか。マネさん、泣かずに頑張りました。それでも、敗戦の次の日に、長くて美しかった髪をばっさりと切りました。

バッテリーは、緘口令を敷きました。「他校に知られるなよ。マスコミに喋るなよ!」って。
そのせいか?自分達バッテリーが結構大きめの記事になってしまったのは、ご愛敬です。
今思い出しても胸がほっこりします。温かな思いをたくさんいただきました。

それがわたし達の高校野球の思い出です。

怪我や敗戦によって、甲子園に辿り着けなかったことと、今回の事態は別物でしょう。切り替えて夏へ!ともなかなかできない今でもあると思います。

出来事から何を受け止め、次にどう行動するかは、そのまま未来に繋がります。
だからわたしは、思い切って、背中を押したいと思います。

夏はすぐにやってきます。今出来ることにベストを尽くそう。
これから叶えたい何かに向かって歩いて行こう。
実現するための行動をしよう。そうやって、未来をつくろう。

夏こそ!
心を込めて応援をします。全ての高校球児達に。悔いなく今を力強く歩んで下さい。

母だって、甲子園に行かせたかったはず。球児を支える、全ての野球母ちゃんへ!

おかぴさんのnoteに触発されて書いてみました♪

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?