ヒノマルソウル
東京オリンピックが始まります。様々な心配ごとはあるものの、始まった以上はできる限りの対策を講じながら、選手が思う存分に頑張れるよう、テレビの前で精一杯の応援をしたいものです。
輝く日々の中で、熱い思いや深い感動をこれでもかというほどに浴びる。それが応援するもののオリンピックなのですから。
*映画「ヒノマルソウル」は事実をもとに描かれていますので、以下に書いたことは、映画の内容でもあります。ご承知おきくださいね♪
オリンピック名場面
これまで観てきた数々の心に残るシーンの中でも、これ以上のものはない。と思うものがあります。それは長野五輪、スキージャンプ団体です。
オリンピック名場面として、何度も振り返られたシーンですから、若い世代の人達にも、感動の場面として広く知られていることでしょう。
ただその当時、リアルタイムで応援していたもの達にとっては、感動という一言でくくれるような、生易しいものではありませんでした。歯を食いしばり、チームみんなで掴み取った悲願の金メダル。その一部始終を、主役である選手の立場からではなく、支えた舞台裏、テストジャンパー達の心模様と奮闘ぶりを描いたのが、この「ヒノマルソウル」という映画なのです。
オリンピック選手 原田雅彦
以前noteで一度書いたことがありますが、わたしは中学時代を道北の上川町で過ごしました。長野オリンピック、ジャンプ団体の3番手で飛んだ原田さんは、わたしの2つ下の学年で、当時からジャンプの選手として有名だったこともあり、全校生徒の知る存在でした。
大人になって、オリンピック選手になってからも、少年時代の面影を残した優しいお顔のままで、もちろん熱烈に応援していたわたしは、試合のたびにテレビの前に正座をして声援を送っていました。
吹雪のなかのジャンプ
公式サイトにもあるように、ストーリーは、惜しくも金メダルを逃した、リレハンメルオリンピックから続いていました。
4年後の長野五輪で何としても金メダルを。と強い願いを持って飛んだ原田選手の一度目のジャンプ。観ていたわたしにとっても、手に汗握る祈りの時でした。
ですから、飛びだしたことも見えないほど降りしきる雪の中から、宙を飛ぶ姿ではなく、ランディングバーンを滑り降りてくる原田選手が現れたときには、血の気が引く思いがしました。
その後も降り続く雪。試合続行か、打ち切りか。その判断を待つ時間は、重く苦しいものでした。当時観ていた沢山の方々の、全てが同じ思いだったと思います。
どうか、どうか、何としても2回目のジャンプを、選手達に飛ばせて下さい。
そう強く願いました。
試合続行
その願いを叶えたくれた、それがヒノマルソウルのテストジャンパー達なのです。
わたし達はその一部始終を見守りました。そして試合再開。日本チーム最後のジャンパー船木選手が、当時世界で一番美しいと言われた、完璧なフォームで大きなジャンプを成功させ、日本中が大歓喜に包まれたあの瞬間。それはテストジャンパー達の奮闘なくして、実現出来なかったものでした。
その奮闘ぶりは、どうぞ映画館へ足を運び、大きなスクリーンで観てください。
みんフォトから使わせて頂いた見出し画像は、まさにこの舞台となった、長野の白馬スキージャンプ台です。
東京五輪
あと数時間後に開会式が行われ、聖火が灯される東京五輪。この大会が東京で開催されることが決まり、歓喜に沸いたあの瞬間を振り返れば、そこからこのような道のりになるとは、全く想像もつかないことでした。
選手の頑張りだけでなく、ここまでに至る全ての道のりの中に、わたし達の学びは数多くありました。それも全て丸ごと、大切な心に残るオリンピックとして、後々まで記憶に残る素晴らしい大会になることを願っています。
というわけで、今日のお出かけは、イオンシネマでした。たっぷり、たーっぷり泣かされました。ヒノマルソウル、チャージ完了です🔥
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