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O Z E N Season1 Ending

ごく最近(2021年3月頃)、自分自身を受け入れられるようになりました。
自分を否定してきた人生をSeason1として、一度終らせるためにこの文章を書きます。
この文章は、未来への自分(「こんなこともあったなぁ」と思ってもらう)と、私を支えてきてくれた親しき人たちへの感謝と報告を兼ねて作成します。また、おこがましいですけど、今自分が嫌だなぁと思っている人に、少しでも心が楽になるきっかけを作ることができたらな、と。

まず、初めに。
私は、自分のことが嫌いでした。
・見目形が嫌だ
・頑張れない、努力できない、我慢できない
・一つのことを深く掘り下げられない
・言動が伴わない 行動に移せない
・気分や体調の波が激しいから周りに合わせられない
・だからといって飛び出た物もない     等(以下これらをキライズと呼びます)
→こんな私が生きている意味が分からない
→こんな私をなぜ人は受け入れてくれているのか

ですが、そんな私でも、親しい人たちは大好きでした。

だから、私が死んだら周りにすごく悲しい思いをさせちゃうし、自分自身が嫌いな私の姿を見るのは友人たちにとっても悲しいことだと気付きました。
もし私の大好きな人が、自分自身を否定していたら悲しいからです。

あと、自分が何かを継続できなかったり、努力できないのは、信じられない自分の選択を信じられないからだ、と思いました。

だから、自分を信じることから始めなければ、と思いました。


まず、キライズを見ると、自分のことを否定する際に、周りと比較していることが分かります。「周りは〇〇できるのに」「普通は〇〇だから」とか。他人の価値観によっていい悪いを勝手に判断し、勝手に自分を否定しているんですね。だから、まず、自分の囚われている価値観に気付いて、それは本当のことなのか確かめることが必要なようです。

次に、自分を、できなかったことや、否定的な面でしか捉えられていないことに気付きます。そりゃ誰だって嫌な面ばかり書き出していたら、嫌な奴に見えます。一方他人を見るときはいいところが思い浮かぶし、そんなに厳しい目で見ません。自分に対しての偏りに気付きます。

どうやら、自分は、色々な色眼鏡をかけて自分を見ているようです。
これらをぶち壊してくれたのは、友人、本、カウンセリング、日記、瞑想です。

では、それぞれがどんな風に私の悪い気をぶちのめしてくれたのか、具体例を挙げながら、いきましょう。

①友人
友人たちが本当に信じている、なんというか確信に満ちた言葉は私の心を動かしてくれました。
「誰にでも一番になれることがある」
「常識なんてものは環境によって異なる」
「あなたには幸せになってほしい」
「できないって決めているのは誰?」
「過去は変わらないからくよくよしても意味がない」
友人たちは、私以上に私を受け入れてくれて、私の暗い話も受け止めてくれました。また、「そんなもんだよ」って言ってくれました。
私の悩みに対して、たくさんの知識を持ってアドバイスをくれました。自分の経験を心を開いて話してくれました。ただただ、私の話を聞いてくれました。
歌詞を書く(友人が始めて影響された)ことによって一人で不安な夜も乗り越えやすくなりました。
そんなに親しくなかった人でも、過去の日記を振り返ると、すごくサポートしてくれていました。

②本
本は、私の悩みに対して、色々な助言をくれました。

『「普通がいい」という病』 泉谷閑示(2006)
p.47自分と他者が違う内界を持ち、違う価値観で、言葉一つにも自分とは違う意味合いを載せているかもしれない、ということが想像できない。つまりは、自分と他者が違う存在であるという当たり前のことが理解できていないということ
p.54より多くの人が信奉しているファンタジーが「現実」として特別扱いをされているに過ぎないわけです。
p.73直観というものは理性を越える洞察力を持っている。
p.146愛とは、相手(対象)が相手らしく幸せになることを喜ぶ気持ちである。
  欲望とは、相手(対象)がこちらの思い通りになることを強要する気持ちである。

『宇宙はなぜこのような宇宙なのか』 青木薫(2013)
p.247つまるところ、人は誰しも、自分が生きる時代の文化と手を切ることはできない。

『はじめて考えるときのように』 野矢茂樹(2004)
p.186疑うことも含めて、何かをしようと思ったら、きちんと足をおろして、足場を確保しなくちゃいけない。常識はそのためにいちばんふつうに使われる足場になる。だけど、ときには自分の立っているそこを疑わなくちゃいけないこともある。

『ベロニカは死ぬことにした』 パウロ・コエーリョ
p.108「でも現実って何なの?」「大多数の人々が思いたいものさ。べつに最高のものでも、論理的に最適なものでもなく、社会全体の欲望に適合するようになったもの。」

などなど。
あなたが使う現実逃避の現実って何?とか、価値観にとらわれていたことによって自分の中でいい悪いの感情が生まれて気付ける、とか。あとは、頭で考えることより心の声を大事にしよう、とか。自分と他人は違うから比較対象にならない。自分と親も違う人であるから、価値観も違うし、分かり合えないこともたくさんある。
他にもいろんなためになること、くれました。当たり前を疑うきっかけをくれました。

③カウンセリング
第三者である他人に自分の悩みとか過去のこととかを相談するのは初めてでした。
友人とかだとやっぱり、嫌われたくないとか思うこともあるけど、そういうことなく話せたのは初めてだったなぁ。

ここでは、私の話を一通り聞いたカウンセラーの方が、「あなたが自分に対して思っているキライズと、私があなたに対して思った印象は違うよ」ということでした。また、「自分にとても厳しいのね」という言葉(目からうろこ)ももらいました。

会社に行けなくて、休職してしまったことに対しても、「それは逃げているのじゃない。自分を守るために、前に進むためにあなたが選択したことだよ」といってくれました。

私のことを好いてくれている友人であれば、これらの言葉に私情が挟まるな、なんてうがった捉え方もできます。けれど、カウンセラーは知らない人なので、そんな嘘をつく必要はないなって思えました。カウンセラーの人にとっては、私が自己否定をする理由は見つからなかったということです。

2週間に1度通っていますが、とてもいいですこれは。
人間的に相性がいいのもあるのかもしれません。

④日記、瞑想
自分の感情に気付くことができます。
その練習を毎日することができます。
日記は初めて続きました。
コツは、一カ月単位で終わる日記帳を心を込めて自作して、枕元に置いておくことです。
一カ月で終わるから日記帳が薄くて、ハードルが低くて乗り越えやすい。心を込めて自作しているから、愛着がわいている。枕元に置いているから、寝る前に気付ける。これが私が今回初めて日記が続いたコツでした。

瞑想は、NETFLIXに「ヘッドスペースの瞑想ガイド」というのがあって、それをやっています。たまに、Youtube(「ココイマ」がおすすめかなぁ)でもやったりします。1日15分程度ですが、なんか、いい気がしています。
変化としては、平常時になにか感情が先行しそうになったときに「落ち着け落ち着けドードー」とできるようになった気がします。


以上、私の悪い気をぶちのめしてくれたものたちでした。
もちろん他にも色々な出会いとか、発言とかあるんですが、ちょっときりがないのでここら辺で。

私の気付いていない価値観に気付かせてくれて、それを疑うきっかけをくれました。自分の見方が偏っていることに気付き始めました。気付いて、考えを修正できました。

これらの結果、私はどうなったかというと、自分を受け入れられるようになりました。自分がいいと感じたものに対して素直になれている気がします。気になったらできるだけ首をつっこむようにしています。
生きるのが楽になりました。そして、椎名林檎の今までわかってなかった歌詞が染みてくるようになりました。笑

自己否定→自己受容への変化って大きいと思います。
これから、自分との付き合い方が変わって、今までの友人たちとの付き合い方が変わって、そしてこれから出会う人たちも変わってくるのかなと思います。

なんとなく自分が受け入れられる。それがとても嬉しいことだなぁ、ってお思います。

ずっと、自分が嫌で鬱々としていた日々、会社に行けなくて休職して寝込んでた日々、泣きながら解決しそうにない悩みを友人に話を聞いてもらっていた日々、意味があるか分からない、私に望みはあるのか?なんて苦しかった日々も、報われたな、と思いました。

私を支えてきてくれた方々、本当にありがとうございました。
これからも、お互い良い人生が送れるように、進んでいきたいし、祈っています。よろしくお願いします!

ほんとうに、些細な言動でも救われている事ってあるので、私もそういうの大切にしたいなぁぁぁぁぁ。

とりあえず、頑張って一つの文章に纏めました。
Season1
これから先どうなるか分かりませんが。
自分の心にまっすぐに生きていきたいな、とは思います。


以上。

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