石黒達昌というスーパー良い作家の話

みなさんこんばんち。
最近屋外プールに言ったら肌弱すぎて、日焼け止めを塗ったところがカブれた小澤演技です。

石黒先生みんな知ってます? とても面白い小説を書く作家さんで、具体的には日本SFの臨界点を呼んでもらえれば明らかだと思います。

日本SFの臨界点 石黒達昌

なんで面白いのか、と言われると、言語化しにくいんだけどともかく「人間」を書くのが上手いって思うからかも。

最近、というか昔から、純文学の新人賞とかの選評で、この小説は「人間」が書けているor書けていない。って言葉があって、僕はそれにいつも賛同できないことがある。

たとえばコンビニ人間とか、推し燃ゆとか結構評価高くて、内容的には多くの人がその生きづらさに共感ができる内容というか、ようは自分にもこんなとこあるある~みたいな、、、

つまり人間が書けているってことが評価が高い理由なんだと思うけど(もちろん他にも理由あると思う)いまいち僕にはささらなかった。自分にはあんまり賛同できない内容だったからかも?

それは僕が人間ってなんだよって思っているからでもある。

でも石黒達昌は僕にとって人間を書いているっていうか、自分が理解できる人間の嫌な部分を書いているなって思った。とうぜんSF的にも面白い。

僕のお気に入りは「或る一日」です!

この短編は石黒先生の作品のなかでも結構残酷な部類で、人が滅茶苦茶死ぬんですが、湿っぽいというよりは乾いている。それは主人公が医療系の職種の人で、死、ということについて慣れてしまっているからかもしれない。舞台はチェルノブイリ的な事故が起きた?のかもしれないけど、ともかく放射線汚染された地域の病院で、主人公は日々、被爆した患者たちの対応に追われている。

これはちょっとネタバレになっちゃうんだけど、僕が一番好きなのはラストで、というかこのラストがなかったら、自分はこの作品を良いなあって思わなかったかも。

ラストシーンで主人公は施設の外に出て、自分の家に帰って汚染されてないシャワーを浴びたいって思う。

ここに異様に痺れてしまった。↑のシーンは僕が感想として書き起こしちゃうとなんとも味気なくなってしまうんだけど、ともかく皆に読んでほしい。

ラストシーンだけ書くと、主人公がものすごく薄情な人間に見えるけどそうじゃなくて、たぶん主人公は自分から志願してこの病院にきたわけで、一定以上の、おそらく僕以上の高い志をもって医療に向かい合っている。だけど、その高い志が折れそうなほどの地獄がそこにはあって、自分が放射能によって汚染されていないか、おびただしい死に向き合って自分は健康的に大丈夫なのか、もう家に帰って安全な場所で穏やかにしたい、っていう感情がぐるぐる渦巻いてしまう。

でも、主人公にとってこれは日常の一部(或る一日)に過ぎないんだよね。これが特別な一日というわけでもない。ずっと続く異常な、でも普通な日常の一部でしかない。そして主人公はそのことにラストで絶望したのかもしれない。わからないけど。

でも、これってまさに人間だなって思う。やっぱりいいこともわるいことも思ってしまうんだよ人間って。

この作品、SNSで疲弊している僕たちにこそ刺さるのでは、とも思います。よいこともわるいことも人間はしてしまうけど、その一面だけがその人のすべてってわけじゃなくて、やっぱり過程あっての結果なのですから。
ここで言ってるのは、SNS上での発言が「結果」、これまでのその人の人生が「過程」って意味です。
結果だけ見て、もちろん結果も大事なんだけど、過程を見なくなってしまう時代だからこそ、この短編ってマジで最高です。早川書房に感謝感謝。

↑なんかまとまってないけど、これで良しってことにしましょう!

皆さまグッドバイ。よい一日を。

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